過去の記憶をとらえ直すと、人生が違って見えることもある

「私、家族とあまり仲良くないです」というお話をよく伺います。
いつも「分かる、分かる」と思いながら聞いているのですが、それはまさしく私もそうだったからです。

私の場合は、「家族との(心理的な)距離が遠い」という感覚をずっと感じていて、「だから私は価値のない人間だ」と自己否定してきました。
実際、小学校卒業と同時に親元を離れたので、物理的に距離ができて精神的に自立せざる得なくなり、家族や親との心理的距離が遠くなってしまったのだと思います。
親元を離れたのは進学のためでしたが、この経験が人生を悪い方に変えた全ての元凶だと思っていました。

はたから見ると何故そう思うの?と思われるかもしれませんが、当時13歳だった私にとって、家族や故郷とのつながりが切れて、自分は根無し草になってしまったというショックが大きく、アイデンティティを喪失したような感覚に陥ったのです。
さらに、親に「やっぱり早過ぎたから地元に帰らせてほしい」と訴えたら大反対されたことにより「親に見捨てられた」と感じて、「自分は天涯孤独で誰からも愛されない人間だ」と思い込んでしまったのです。

今考えると、親元を離れたからって親との縁が切れる訳じゃないし、親が帰ってくるなと言ったのは「挫折せず頑張れ」という応援だったのでしょう。
しかし、私は「親に見捨てられた」と受け取り、それから何年たっても「あれさえなければ、私はこんなにおかしくならなかった」とずっと後悔していました。

でも、大人になって「あれさえなければと後悔してきたけど、親元を離れる前はそんなに家族とのつながりを感じられていたのかしら?」と冷静に考えました。

勿論感じていませんでした。

家族とのつながりを感じられないと初めて感じたのはいつの頃だっただろう。
記憶を辿ると、夜道をひとりで走っている小さな自分の姿を見つけました。

うちは両親と父方の祖母、妹二人という家族構成で暮らしていました。
祖母は元気ですが病気がちで、入退院を繰り返していました。
祖母と両親の折り合いが悪かったようで、祖母が退院すると家族みんなで暮らそうとするのですが、しばらくすると祖母が出て行き、通りを隔てた別宅で別々に暮らすというのが通例になっていました。

ある時から、私は「おばあちゃんのところに行く」と言って、夜ご飯を両親宅で済ませたら、毎日21時に祖母の家に行って寝るという生活を始めました。(1分で行ける距離です)
しかし、家族で食事しながらテレビを見ている時に一人だけ家を出るのは想像以上に寂しく、心が張り裂けそうな思いでした。
夜道をひとりで移動するのも心細く、自分から言い出しておいて矛盾していますが、次第にその生活がつらくなってしまいました。
両親を裏切っているような申し訳なさを感じたり、この家の子ではないような疎外感を感じたりもしていました。
そんな生活がどうしても嫌になり、「夜も遅いし、夜道が怖いからもうやめたい」と言ったのですが、21時におばあちゃんが家の前まで迎えに行くから大丈夫ということで、私は引くに引けなくなってしまいました。

そんなある日、21時頃に私が母と話し込んでいたところ、父が「もう時間だぞ」と声をかけてきたので、「ちょっと大事な話してる」と言うとまた急かしてきたので、私が強い口調で反発したら、「お前、親に向かって何て言ったかーーーー!!!!」と父が怒鳴って襲いかかってきました。
私は恐怖と悲しみで泣きじゃくりながら祖母の家に逃げて行き、どうしてこんな扱いを受けるのだろう、私はここにいちゃいけないんだろうかと思って、深く傷つきました。

この出来事はすっかり忘れていたのですが、思い出して見ると、自分の抱えてきた孤独感や自己嫌悪に妙な納得感が生じ、親への不信感や恨みつらみが更に強くなり、あんな親は絶対許さない、どうにかしてやりたいような気持ちになるほどでした。
親に愛されなかった怒りや憎しみを抱えて、この話をカウンセラーさんにしました。
すると思いがけないことを言われました。

「それは、おばあちゃんはとても救われたでしょうね。睦代さんはおばあちゃんを助けたかったんですね」

もともと祖母の家に行くと言ったのは、「おばあちゃんがひとりぼっちでかわいそう、そばにいてあげたい」というやさしさからだったことを思い出し、冷え冷えとしていた心が急にあつくなり、苦しくなって涙があふれてしまいました。
子供ながらに、家族がみんなで暮らせないことに心を痛めていたし、家族みんなで一緒にいれたらいいのにと願っていたことを思い出しました。

私の中で、祖母宅に寝泊まりしていた記憶は、「家から追い出される私」「親から愛されない私」の強烈なストーリーだったのですが、それが、「おばあちゃんを助けたかった私」「家族を守りたかった私」のストーリーに書き換わりました。

大人になって父とぶつかった時、父から「自分はおばあちゃんとの距離感が微妙で、お前を人質にしてしまった」と言われました。
父も母親との関係に悩む一人の人間なのだと痛感し、人間として父の葛藤や苦しみを理解することができました。

自分が愛されなかった出来事として記憶している思い出も、その意味を捉え直すことで、自分自身の愛に気づいたり、両親や関わった人たちの人間らしい一面を知ることにつながります。
意味を捉え直すのは、つらい記憶と正面から向き合う勇気が必要で、とても大きな苦しみを伴うかもしれません。
でも、関わった人たちを理解して許すことは、あなた自身の背負ってきた苦しみを癒すことにつながりますから、どうか勇気を出して、取り組んでみてくださいね。

ひとりで向き合うのが難しい時は、どうか私たちカウンセラーにお手伝いさせてください。
あなたの背負ってきたものを受け止め、背中を押してあげたいです。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

渡邊 睦代

自己受容、親子関係の見直しによる生きづらさの克服やライフワークの発見といったテーマを得意とする。 「理解されづらい感覚を分かってくれる」との定評あり。 現在のような性格・思考になるに至った理由を、親子関係や家系といったルーツから読み解き、自己の変容を導くカウンセリングスタイルを取る。