「自由」と書いたあの日

中学校を卒業する時か、高校の時か思い出せないのですが、卒業アルバムに、「自由」と書いたことを、なぜか忘れずに、今でも覚えています。

では、私は「不自由」だったのかというと、そうでもなかったはずなのですが、それでも、私はその頃、「自由」を手に入れたかったようでした。

両親は、長野県の雪がたくさん降るところの人でした。(今も健在です)
ふたりとも、高校を卒業すると、名古屋に集団就職をしています。
18歳の頃は、親元を離れて、社員寮に入っていたのだそうです。

母は、長野県の方言が抜けず、語尾に「〜ずら」をつい付けてしまって、よくからかわれたものだと話していました。

お盆やお正月には、母の実家によく遊びに行きました。
おじいちゃんやおばあちゃんと話をすると、普段は言わないのに、母の言葉の語尾には、「〜ずら」が付くようになるので、子どもの私は、「ああ、これか」と思ったものでした。

私が子どもの頃の父と母は、今思うと、とても真面目な人たちでした。

父は時々、仕事の後、飲みに行ったと言って、ご機嫌で帰ってきたりしましたが、ふだんは、晩酌もしない人でした。
母は、フルタイムで仕事をしていて、日曜日は休みでしたが、家のことをしたり、お昼寝をしたり、コーヒーを「あー美味しい」なんて言いながら、新聞をゆっくり読んだりしていました。

でも、友だちと何処かへ出かけるとか、友だちが遊びに来るとかもなかったし、買い物も、必要なものを買うだけで、新しい家電!とか、面白そうなゲームとか、そういう目新しいけど、実用的かどうかが微妙なものは一切ありませんでした。

旅行も行ったことなかったし、行くのはいつも、長野のおじいちゃんとおばあちゃんちでした。

節約していたのもあるかもしれませんが、当時のふたりには、今思うと「遊び心」が、あまり感じられませんでした。
余計なものがあまりなくて、もともとあるものを、気に入っているとか、少々古いとか、関係なく使い続けていました。

ある日、私が、学校の友人と話していると「缶切り」の話になりました。

彼女の家にある缶切りは、レバーをくるくると回すと蓋がギザギザにならないタイプのものだと言いました。
そして、こう言いました。

友人「あなたの家のも、そう?」
私 「ちがうよ、ギコギコ開けるやつだよ。」

友人は、どうしてまだ、そんな原始的なものを使っているのかみたいなことを言ったような気がしますが、そもそも、彼女のいう「おしゃれな缶切り」を、今知ったところなんですけどと思ったものでした。

母が仕事から帰宅すると、「おしゃれな缶切り」の話をしてみました。
すると、思った通りの言葉が返ってきました。

「そんなのがあるんだ、知らなかったわ。
 でもまだ使えるよ、うちの缶切り。」

ほんとは、缶切りなんて、ちっとも欲しくありませんでした。
でも、友だちとのやりとりで、私のどこかがバカにされたような、と同時に、母のこの呑気さを、バカにされたような気もしたのかもしれません。

新しいものに飛びつくなんてことの決してなかった父母との暮らしでは、こういったことが、物の話だけでなく、知識や情報や、いろんなジャンルでちょこちょこ起こったものでした。

それは、「知らない」ということで感じた、私の中の「不自由さ」だったのかもしれません。

もしかしたら、真面目な両親に対する、反発もあったかもしれません。
あなたたちのせいで、恥かいたわ!もっと流行に敏感な、スタイリッシュな親ならよかった!みたいな気持ちもあったかもしれませんね。

そして、家の外には、まだ見ぬ、たくさんの面白そうなものがありそうだと感じ始めた頃に書いたのが、卒業アルバムの「自由」だったのかもしれません。

でも、それ以来、両親が知らないことや、新しいものを、両親に教えてあげる役目をするようになりました。
面白いものや、便利なものをみつけたり、買って帰って、感心されることもあれば、要らないものにお金を使ってもったいないなんて、怒られたりもしたものでした。

そして、現在も、私は面白いものや、楽しいことが大好きなのですが、なんと、両親も、本当はそういう人だったようなのです。

特に、父は、定年退職してからというもの、解き放たれたように、さまざまな習い事をするようになりました。
カラオケ、社交ダンス、大正琴・・
お友だちもたくさんいて、いつも旅行行ったり、ご飯に行ったり、楽しそうです。

母も、あっちのお友だち、こっちのお友だちと、モーニングや、ランチや旅行の約束が忙しそうです。
新しいお店の情報や、季節の花や、イベント情報は、母が一番よく知っています。

コロナが終息したら、また楽しく出かけるんじゃないでしょうか。

あんなに、時代遅れの香りでいっぱいだった子ども時代ですが、当時の両親は、面白いものや新しいものよりも、仕事や子育てのほうに、意識が向いていたのかもしれません。

そして、私は、そのことに気づくには、まだまだ未熟だったようです。

でも、私の面白いものや、楽しいことが大好きな遺伝子は、どうやら間違いなく、両親からの贈り物のようです。
そして、両親も私も、当時は、うまく感じることができなかった「自由」を、おかげさまで手に入れているようです。

ちなみに、「おしゃれな缶切り」は、今現在も、実家、我が家共にありませんが、缶詰を開ける度に、脳裏をよぎる、なつかしい思い出になっています。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

池尾 千里

「自分らしく自分の人生を生きることに、もっとこだわってもいい。好きなことをもっとたくさんして、もっと幸せになっていい。」 そんな想いから恋愛・夫婦関係などのパートナーシッップを始め、職場、ママ友などの人間関係、子育てに関する問題など、経験に基づいたカウンセリングを提供している。