「待つ」を楽しむ

「日にち薬」という言葉があります。

わたしは全国的に使われていると思ったいたのですが、これは、どうも関西地方で使われている方言らしい。
ですので「日にち薬」とはどいうものかということをまず説明しておきます。

例えば、骨折などの怪我をしたとします。
病院で処置をしてもらって経過の目処が立った。
日常生活にもほぼほぼ支障がなくなって、
「あとは日にち薬ですな」
などと病院の先生が言ったりします。
完治に必要なのはあとは時間の経過だけだということです。

あるいは、失恋して、悲しみに沈んでいる。
友達に話を聞いてもらったり、慰めてもらったりして元気がでてきだした。
「あとは日にち薬で心の傷が癒えていくと思うよ」
などと使います。
これも同様に時間が経てば辛さも消えていくよということです。

これは時間の経過が体や心の傷を癒してくれる、という考え方なんですね。
もちろん、時間が経てばなんでも解決するから放っておけば良いということではなくて、いろんな努力はするのですが、癒える、という部分に関して言えば、時間の経過というものも必要なことなんだというのです。
つまり、ただ「待つ」ということ。

いま、「待つ」ことが苦手な人が多いように思います。
相談を受けるなかで「LINEの返事がすぐに来なくて。嫌われてるんじゃないかと辛くて」というようなお話し。

早く返事が欲しいのに待たされているわたし。
待たされてただイライラしているわたし。
だから早く返事は返すべきよ。

こうなると「待つ」ということが苦しみになると思いますが、そうではなくて楽しみにしてもいいのではないかと思うのです。
苦しみにしてしまう時は、すぐに満たされたい、という思いが強くあるのかもしれません。

そして、過去にすぐに満たされたことがあったりすると、どうして今回は満たされないのだろうと不安感が出てくるのかもしれませんが、自分の希望が毎回叶えられるわけでもないですから、「待つ楽しみ」を感じられるようになった方がいいかもしれません。

昔は良かったという話をするつもりはありません。
ネットでいつでも繋がることができる世界というのはすごく便利だし、助かることが沢山あります。
便利な反面、それにかかっていた時間というものがどんどん短縮されて、すぐにすぐに、と自分を苦しめている現実もあるようです。

いまは手紙で連絡を取るということはあまり無いと思います。
わたしの子供の頃には、知らない人とコミュニケーションを取るのに文通という手段がありました。

月刊雑誌を買うと文通コーナーというのが巻末にあって、本人のプロフィールとどんな人と文通したいかという希望が書いてある。
それで、読者が文通を始めたいと思う人に手紙を出すわけです。

わたしが中学生くらいのときには外国に興味があって、いくつかの国に手紙を送ったら、しばらくしたらエアメールが1通届いた時はものすごく嬉しかった思い出があります。

もちろん英語なので、翻訳するににも時間がかかるし、送っても届くのにも時間がかかる。
1往復するのに1ヶ月くらいかかるわけです。
今から考えると気の長いことです。

でも、その間、まだかまだかと思うだけではなくて、いろいろ考えるわけ。
投函したばかりだからまだ国内かなとか、1週間経ったからもう現地の郵便局かなあとか。
そろそろ読んでくれている頃かなあとか。

そうやって意識の中で「返事まだかなあ」が薄れたときに、家に帰ってポストの中にエアメールを見つけたりすると一気に嬉しくなったりします。

これは、やることをやったら自分にできることは何もなくて、ただ待つことができるだけなんですね。
そして、待っている時間を楽しむ。
待っていることそのものが楽しさだったように思います。

「待たされているわたし」から「待っているわたし」に変えると「待つ楽しみ」が感じられるようになるかもしれません。

ワクワクと待つ、ということはけっこう楽しいものだと思います。
時間の経過が苦しみではなくて、楽しみになるといいですね。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

大西 三千男

職場や家族間の対人関係、パートナーシップ、自己肯定感の実現を得意としている。欠点としか思えなかったことを長所に変えるものの見方の提案と、楽になるためにの考え方の提案を行う。気づきを得てもらうことで「腑に落ちました」「そう思っていいんですね」「安心しました」と好評である。