明日から出社におよばず

「明日から出社におよばず」と言われたらどんな気持ちになるでしょうか?
ちょっと寂しく、悲しい感じがします。
「定年」とは寂しさと、悲しさと、ホッと肩の力が抜けた感じ、そして戸惑い。不思議な感情をもたらしてくれます。

会社勤めをされておられる方であれば「定年」というものはつきものです。
自営業をされておられ方には定年というものはないのかもしれませんが、それでも年老いてくるともうこれ以上仕事を続けるのはしんどい、ということがあって「もうそろそろこの辺で潮時かもしれない」と思うこともあるのではないかと思います。
それは定年とはいわないけれど、引退とか隠居とかいうものになるのでしょうか。

30代、40代のうちは、この「定年」ということを意識することはないのですが、50代にもなると頭の片隅に「定年」という文字がちらほらでてくる。

従来、定年は60歳が大半でしたが、それが65歳になり、70歳定年というところもたまに見受けられます。
いつまで働かせられるんだという声もありますが、それでも定年という事実に突き当たると、どうして毎日をすごしたらいいのだろう、という思いに悩む人もあるようです。

実際のところ、わたしも3年ほど前に勤めていた会社の定年を迎えました。
「これで毎日が日曜日だ!」という喜び以前に不安の方が大きくなりました。
まずは、収入が激減することに対する経済的な問題、年老いた親の介護の問題、そして自分自身の健康への不安。
そして、定年後に何をするのか、という自分自身の身の振り方。
どこに自分の居場所をもとめるかということです。

わたしの若い頃の60歳と違って、いまの60歳はとても若いと思います。
それを60歳という年齢だけをひとくくりにして、もう歳だから、と考えると、もったいないなあ、と思うのです。
考えだすと不安の種というのはたくさんあって、知人に相談すると「君の悩みは同じ年代の人には共通の悩みやなあ」と言われて、そういうものかと思ったものです。
であるなら、悩みに目を向けるより、もっと楽しいことに目を向けてもいいのかもしれないと思ったのです。

この定年、引退、隠居というターニングポイント、それまで何年も、人によっては何十年もやってきたことが、もうやらなくていい、という時が来る。
その時にどう考え、どう振舞ったら今まで以上に価値のある人生になるのだろうかと考えることがあります。

わたしの好きなテレビ番組に「ポツンと一軒家」というのがあります。
ご存知の方も多いと思いますが、ご近所からも遠く離れた一軒家で暮らす理由を探ると言う番組ですが、わたしは毎回涙を流しなら見ています。
そこには壮大な夢があったり、いまは亡き両親の思いを継いあげたいという愛がったり、年に一回ここで会える人の笑顔を守りたいという思いがあったりましす。

そこで暮す人々には自分以外の誰かへの思いが詰まっている人々が多いように思うのです。
もちろん、犠牲をせずに自分の喜びのためにそこに住んでいるのですが、そこに住むことでさらに誰かのためになっているんだという使命感のようなものに支えらているように思います。
しかも、その多くの人が、それまでの人生で培った技術を思う存分に発揮されているように思うのです。

人生のターニングポイントが訪れたとき、どう思うかは自由なんだけれども、同じ人生であれば、せっかくの機会なので肯定的にとらえられたらいいなあと思っています。
「ここまでよく頑張った。しばらくはゆっくり休めということか。充電してやってみたいことを考えてみよう」
「今までは家族のためによく働いた。これからは自分のために時間を使おう」
「いままで自分のしてきたことはこれからの人生のための準備期間、学びの時だったのかもしれない。学んだことをいかして喜んでもらえることをしてみたいなあ」

定年後は、余生でもなければ老後でもない。
いままで人生の集大成の時間かもしれないと思っています。
そうであるならば、せっかくの時間なので、自分のために、愛する人のために、そしてまだ見ぬ誰かのために役立てられたらとても嬉しいなと思っています。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

大西 三千男

職場や家族間の対人関係、パートナーシップ、自己肯定感の実現を得意としている。欠点としか思えなかったことを長所に変えるものの見方の提案と、楽になるためにの考え方の提案を行う。気づきを得てもらうことで「腑に落ちました」「そう思っていいんですね」「安心しました」と好評である。