◇すいませんと言ってしまうのはなぜ?

〜「受け取る」ということについて考える その1〜
僕が悩んだ心理学用語のひとつについて、まずはあんまり難しいものじゃない
ところから。
エレベーターで、ボタンを押してもらったとき、電車で席を譲ってもらったとき、
お店で、お客さんに対して感謝を伝えるとき、なぜか
「すいません」
といってしまうことが多いようです。
大阪の下町の居酒屋なんかで、活きのいいご主人が、
「毎度!おおきに!」
と、お客さんに大きな声で言ってるところを耳にします。
でも、そんな気合いのはいったご主人でも、時々、
「毎度!すんまへん!」
と言ってらっしゃることがあるみたいです。
どうしてなんでしょう?
皆さんの日常ではどうでしょうか?
エレベーターで、ボタンを押してもらったとき、電車で席を譲ってもらったとき、
お店で、お客さんに対して、僕たちが、相手に感謝を伝えるとき、
「すいません」
と、お詫びしてしまうのではなく、
「ありがとう」
「ありがとうございます」
「さんきゅ〜!」
「おおきに!」
と、本当の感謝の言葉にかえてみるとどうなるでしょうか?
僕は試したことがあります。
まあ、言いにくいのなんの!
皆さんもぜひ一度お試しください。
意識して「ありがとう」と言うようにします。
絶対に一瞬、間があいてしまいます。
舌をかむこと請け合いです。
実はこれ、たまに本などで、レッスン的に取り上げられていますが、
そもそもどうしてあんなに「ありがとう」が言いにくいんでしょうか?
単純になれていないから、とも言えるでしょうし、また、日本人の慣習、
ということもあるかと思いますが、ひょっとすると、それだけ僕たちは、
自分を迷惑に感じたり、誰かの負担に感じてしまったりすることが、
多いのかもしれません。
とすれば、僕たちはそれだけ、自分が、誰かに何かをしてもらうとき、
「申し訳ない。。。」と感じてしまうのかもしれません。
僕たちの使う心理学の用語のひとつで、「受け取る」というのがあります。
僕が悩みぬいた結果、「受け取る」というのは、自分が誰かに愛されてしまうことを、
自分に許可してあげる、許してあげる、ということのようです。
結局、「受け取る」ということも、許しのひとつのようですね。
たとえばさっきのエレベーターや、電車の中のシチュエーションを例に取ると、
誰かになにかをしてもらったとき、「すいません」と言ってしまう裏側には
「迷惑をかけてしまった」「借りを作ってしまった」といった、申し訳ない気持ち、
悪いなぁ、というような感じがあることが多いのかもしれません。
僕はそうでした。
皆さんはどうでしょうか?
カウンセリングサービスの心理学講座でも、受け取れないときは、罪悪感や
無価値観が。。。と教えてくれていますね。
ためになります。
「受け取る」作業では、自分は何もする必要はありません。
ただ、感覚で、「愛されているなぁ」と感じてあげるだけで、受け取る作業は完了
します。
僕の経験では、こう感じた瞬間、喜びで思わず飛び上がってしまうような、文字通り、
「心が躍る」という感覚があります。
至高ですね。
友人、その他の方で、「がんばって受け取る!」という人を何人か見たことが
ありますが、というか、僕も以前、そう言っていましたが、これはだいぶ無理が
あるようです。
「愛されているなぁ」って、がんばって感じるものではありませんから当然ですね。
「受け取る」をテーマにしたとき、重要なのは、肩の力を思いっきり抜いて
しまうことです。
小さなことなら、そう、「すいません」といってしまうようなとき、
ちょっと方の力を抜いてあげるだけで、意外に、「ありがとう」と
受け取れたりします。
でも、小さなことにも、「すいません」といってしまうとしたら、それこそ、
恋人や両親の愛を「受け取ろう」と思ったとき、いろんな抵抗が出たって、
それはぜんぜん不思議なことじゃあないのかもしれません。
だから、小さいことからはじめてみるのも一興です。
「すいません」と遠慮するよりも、「ありがとう」と笑ってお礼を言ってみると、
愛されることに慣れていって、少しずつ、愛され上手になれるかもしれませんね。
by 田村厚志

この記事を書いたカウンセラー

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