プライドの心理学(2) ~悪い態度とその意味~

近づかれてはいけない 知られてはいけない

「悪い態度」とは人の愛を拒絶する態度のこと。僕たちは、傷ついた自分をたった一人で守るために強がるようになります。同時に「人の応援、好意、支援」からも遠ざかります。よって本来の目的とは異なる自立を強めながら生きることになり「悪い態度」をとるようになるのです。

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さて、前回は「ネガティブ・プライド(強がり)とは、心の痛みから自分を守る「防波堤」のようなもの。
「もう二度とあんな思いはしたくない」という痛みが作り上げた、まるで城郭を守るために張り巡らされた柵・壁のようなものとも例えることができると解説しました。

○傷ついた自分を守るために

では、この壮大な柵や壁のようなもので守られている城郭どのような状態なのでしょうか。

ご想像の通り、傷ついているのです。

屋根が剥がれ落ちて雨漏りしていたり、美しく強固であった城壁の一部も崩れてしまっているのかもしれません。

できればいつ何が起きても耐えられるように、もとの美しい姿を取り戻すために一刻も早く修理して立て直したいところです。

が、もし「またいつ誰かに攻められてもおかしくない」と思うなら、時間がかかる補修よりも、今すぐ周囲に「あの城は固くてそう簡単には落ちないだろう」と思わせたくなるでしょう。

更に柵や壁を強固に固めながら、城郭は外側からより良く見えるような簡単な補修だけ済まそうとします。

ただ、その事実は誰にも知られたくないはずです。他の誰かに「あれは表面的な補修で実は弱くて脆い、攻めれば落ちる」と知られてはまずいのです。

だから、こちらに誰も近づけないように警戒しつつ、近づく人間がいれば自ら先制攻撃をしたり威嚇する必要が出てきます。

そして万が一、周囲の拒絶や威嚇がうまくいくとしたら、その方法こそ「もう二度と傷つかない方法」となりえるでしょう。

ただ、その城郭の持ち主はきっと知っているでしょう。

「次攻められたら、この城は落ちる。あの柵や壁が突破されたらもうダメだ。」と。

そんな怖れや不安の中で毎日を過ごすことになるわけですね。

ここで出てきた城郭を「私」と置き換えてみてください。

これが私達にとってのネガティブ・プライド(強がり)そのものといえます。

そして、このプライドが生み出すものこそが「悪い態度」と呼ばれるものです。

 

○悪い態度とは愛を拒絶することである

もし、自分自身が傷ついていて、その傷を知られたくないと思うなら、他人に近づいてもらっては困りますね。

確かに、人を拒絶することで一時的に人からの攻撃などを受ける機会も減りますし、傷つかないようにもなります。

ただ、同時に人の好意や支援を受け取れなくなってしまうことにもつながるのです。

先の城郭の例で例えるならば、外からの救援として修理のための人員や資材が向かってきているとしても、受け入れることができないわけですね。むしろ近づいてきた人を「まさかこの城の状態を探りに来たスパイじゃないか」と疑ってしまうかもしれません。

だから、どんな支援が届いても拒絶するしかなく、たった一人の労力と一人で作り得る資材のみを用いて補修せざる負えなくなりますね。そして一人で頑張る限界や披露を感じていくのです。

僕たちの学ぶ心理学では、このような状態を「悪い態度」と呼びます。

それは、見た目として悪い態度だけを意味するのではなく、「人の好意を拒絶し、まるでドブに捨てているような状態」のことをいいます。

例えば

・敵ではなく自分の味方をも拒絶する、否定する、冷たくする
・人の好意や成功に対して、感謝や承認をする前にケチをつけてしまう
・きっと自分のことを考えている人はいないと思いこむ

この悪い態度は「傷ついた自分を守る手段」になっているので一定の意味はあるのですが、この状態を続けると自分を肯定できなくなり、自尊感情~自分は人の役に立つ存在だ~と感じ取れなくなります

これが「悪い態度」がもたらす最大のデメリットです。

その理由は「自分から人の好意などを拒絶しつづける状況が続くこと」にあります。

もし、傷ついている自分を知られたくないと感じていて、しかし誰かがそばに近づき、ときに愛してくれたり、助けてくれるとなったなら、自ら相手の思いを拒絶する必要が出てきます。

例えば、自分が設けた壮大な柵や分厚い壁を必死で乗り越えて、あなたを助けようと向かってくる人もいたとしましょう。

実際、救援を必要としているのは自分自身ですし、「あそこに見える人は味方かもしれない」と思えれば嬉しいはず。しかし、勝手に自分が作った柵や壁を突破してくるという意味ではやはり脅威なのです。

次々に自分が設けた柵や壁を突破される姿を見るたびに、怖れや不安、そして疑いが湧き出してきます。

だから、相手の好意を受け取るのではなく、時には相手を疑い、罵声を浴びせ追い返し、それでも諦めずに近づいてくる人に、矢や銃弾を浴びぜないと自分の安全が守れないと思う人もいるでしょう。

そして、矢や銃弾を浴びせた瞬間、ハッと我に返り、こう思うわけです。

「あぁ、自分は味方撃ちをするようなひどい人間だ」

手に持った弓矢や銃を見て自分に深く失望するのです。

もちろん自分の内面では罪悪感が溢れていき、「自分は愛されるにふさわしい人間ではない」と強く感じるようになります。

つまり、悪い態度を続けていると、自分自身の努力によって自らの能力は高まりますが、「いい意味でのプライド・誇り」ともいえる自尊感情がなかなか感じられなくなるというわけです。

例えば、愛する自信。愛される自信。
仕事や仲間・家族を自らが深く愛しているという誇り。
自分自身に価値があるという実感。

そういったものが感じられなくなるのです。

その結果

大好きなのにパートナーの思いを拒絶する。
仲間ができてもすぐ疎遠になるし、連絡しなくなる。
つい親密な人にあたってしまう、嫌味を言ってしまう。
親に感謝できないし、むしろ文句ばかり言ってしまう。
やりたくもないのについ人をマウンティングしてしまう。
親密になりたいのに拒絶してしまう。

こういった現象が「問題」として起こるのです。

何より切ないなのは、このような苦しい状態を変える手段として「自らの傷に気づき、癒そう」とはなかなか思えないことです。

実はこのようなとき、「自分が傷ついていることや、隠している感情」を受け入れ、癒やすことが求められているのです。

が、実際は、これ以上自分が傷つかないために「強がる」ことを考えたくなり、更に柵や壁を分厚くしようとすることが多く、癒やしとは別の方向に進んでいってしまうことも多いのですね。

>>>『プライドの心理学(3) ~痛みが生んだ才能と抱えやすい矛盾~』へ続く

この記事を書いたカウンセラー

About Author

浅野 寿和

年間400件以上の面談カウンセリングを行う実践派。「男女関係向上・男性心理分析」「自信・自己価値向上」に独特の強みをもち、ビジネス・ライフワーク発見なども対応。明快・明晰かつ、ユーモアと温かさを忘れない屈託のないカウンセリングは「一度利用するとクセになる」と評され、お客様の笑顔が絶えない。