許しについて(3)~いつも損な役ばかりの私と「許し」~

いつも損な役にまわってしまう私

さて、私達は良かれとおもい「誰かを傷つけたくない」と感じることがあるようです。実はそんな思いが強い方が恋愛やパートナーシップ、対人関係などで「損」な役にまわってしまって辛い思いをしている、といったご相談もいただくんです。
誰かを傷つけたくないという思いを否定する必要はないんです。が、それで自分を縛ってしまうと弊害もあるようで、特に人の愛情を受け取れなくなることも起こります。
今回はそんなケースをもとに「許しの効果」について解説していこうと思います。

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■H子さん(女性・30代)は、対人関係とパートナーとの関係でお悩みだった、とします。

「今の職場に10年以上勤めている。今の仕事自体は好きだけれど、いつも私ばかり損な役回りばかりしている気がして、辛くなってきた。
恋愛でも同じ、彼はマイペースでいつも自分の都合ばかり優先する。彼のことは嫌いじゃないが、今のまま付き合っていく事を考えると怒りも感じるし、辛くもなる。
昔からいつも損な役ばかりだった気がする。そう思うとなんだかやるせない。こんな毎日を変えていきたい」

私は私なりに頑張っているけど、つい仕事が私のもとにどんどん舞い込んできたり、恋愛でもパートナーのペースにばかりあわせて自分を見てもらえていないような気がする、としたら切ないですよね。

これは一概に言い切れることではないんですが、こういったお話をしてくださる方が共通してお持ちである思いが「誰かを傷つけたくない(負担をかけたくない)」という思いであったりします。

もちろん多くの方がこういった思いをお感じだとは思いますし、それ自体が悪いことのようには僕も思いません。ですが、このようなご相談をいただく方は、そういった思いが比較的強い方が多いんです。

どこか「誰かを傷つけたくない」といった思いで縛られてしまうと、時としてそれはそれで「私の自由を制限する」ものにもなりかねないんですね。

なぜなら「誰かを傷つけたくない」という強い思いに隠れた心理は、「私は誰かを傷つける存在だ」という自己概念であったり、「誰かを傷つけたら私は攻撃される」といった怖れであることも少なくないからです。

どこか罪悪感であったり、怖れによって自分を縛ってしまうんですね。

なのでこういったタイプの方は自己表現が苦手になりますし、Noというコミュニケーションに葛藤を感じやすくなる方もいらっしゃいます。

そもそも自己概念レベルに「私は誰かを傷つける存在」といった罪悪感があれば、そんな自分を自由にしてはいけない、と感じてしまいます。また、自分が何かを表現したら相手から攻撃されると感じていれば、そもそも自分の意見は言えず、相手の気持ちをうかがい、受け容れるしかなくなるかもしれません。

だから結果的に「何でもかんでも引き受ける人」になってしまうこともあるんですね。

が、多く「誰かを傷つけたくない」と思われている方ほど、意識では良いこと、と認識し、そういった罪悪感や怖れを抱えてしまっていることが多いので、どうしても「人に頼る・手を借りる」「人にお願いする」ということが苦手になってしまいます。

だから「自分で頑張ったほうが気が楽だ」とおっしゃる方も少なくありません。

しかしなぜ「気が楽なのか?」を考えていくと、深層心理に罪悪感があれば、相手に関わることが申し訳ないことになり、人と関わることの怖れがあれば、わざわざ怖れを感じる行動を取らなくてすむからだ、という構図になり、自分自身が誰かの役に立っていたり、何かに貢献しているという感覚まで薄くなってしまいます。

だから、こういったご相談をいただく方ほど凄く頑張っていらっしゃるのに「私はそれほど頑張っていない」「そんないい人ではない」といったことをおっしゃる方も多いのです。

それは心理を見つめると理にかなったことで、自分自身の内面でそう感じている、ということなんですね。

なので、こういった問題を解決していく事を考えたとき、罪悪感を手放すメソッドである「許し」が効果的に働きます。

ここでのキーワードは、「あなたは一体誰を傷つけたくない、と、助けたい、と感じていたのでしょうか」なんです。

こういった「損な役ばかり担ってしまう」というような慢性化した問題は、多く過去から繰り返さえてきたもの。だからその「ルーツ」になる家族関係に答えが眠っていることが少なくないものです。

例えば、「いつも孤独に頑張っているお父さんを」「いつも犠牲的だったお母さんを」助けたかった。笑顔にしたかった。そういった思い。

しかし私がどれだけ願っても両親は笑顔になってくれなった・・・というハートブレイクだって隠れていることがありえます。

私は大切な人を助けられない、という罪悪感。
大切な人に思いが届かないという罪悪感や無力感。

もしそんな思いがあれば、また人との間で自分の思いを表現して、罪悪感や無力感を感じたいと思うんでしょうか?だからついつい何事も自分で背負ってしまう、という方もいらっしゃるんですね。

しかし、そこまで誰かを傷つけたくないと願っている私は、罪悪感にふさわしいのでしょうか。
そこにいる自分自分をもう「許して」あげて、その思いを汲み取ること。その自分自身の価値を認めていくことがこういった問題を解決していく鍵になることも多いのです。

許すとは赦すとも言います。自分の中に愛があって、罪悪感にふさわしい私ではないといったセルフイメージを手に入れることができると、「損な役ばかり引き受ける」ではなく「自分の意志を表現する」ことも楽になってくことがあります。

意識的には「私ばかり損な役を・・・」と感じてしまいますが、ここで登場する自分を縛っている罪悪感も怖れも、すべて私が感じているものです。だから私を癒し、私を許すことでもっと自由に生きることも可能になっていきます。

>>>『許しについて(4)~子育てにも「許し」は効果的~』へ続く

この記事を書いたカウンセラー

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年間400件以上の面談カウンセリングを行う実践派。「男女関係向上・男性心理分析」「自信・自己価値向上」に独特の強みをもち、ビジネス・ライフワーク発見なども対応。明快・明晰かつ、ユーモアと温かさを忘れない屈託のないカウンセリングは「一度利用するとクセになる」と評され、お客様の笑顔が絶えない。