依存体質、考えすぎる癖を直したい

相談者名
こまつ
初めまして。
3か月ほど年下の男の子とお付き合いしてましたが、先日別れました。

私は、人と付き合ってみて分かったのですが、かなりの依存体質だったようです。
きっかけは、向こうが告白してきたので「好きになれるかな」と思い付き合いました。
最初は、嫌われてないかなという不安から、頻繁に会ったり遊びに行ったりしていましたが、何かしらの不安にずっと悩まされていました。
しかし、その不安があるとき解消され、相手に本当に愛されてると実感した時に、ふと自分の感情がわからなくなり、「そういえば私はこの子が好きなのか?」「私は一緒にいたくて一緒にいるのか?依存してるからじゃないのか?」という疑問でいっぱいになり、「友達に戻ろう」ということで別れてしまいました。

片思いから発展したカップルは世の中に沢山いると思います。
でも、私はそれを重く捉えすぎて「両思いであることが一緒にいる条件だ」とかなり自分を追い詰め、自分で自分を彼のもとに束縛していました。
義務感と不安から一緒にいたので、彼自身のことを何も見てあげられなかったと思います。
依存心を振り切り、適切な距離感を保てば、相手と自分の感情も尊重でき、こんな結果は避けられたんだろうなとも思います。
不安感からではなく、ポジティブな意味で「会いたい」と思えたのが別れてからだったので、別れた後悔でいっぱいです。

別れてから、依存体質を治すため、恋愛以外に楽しみを作ったり、ほかの友達とちゃんと向き合おうと頑張ってはいるのですが、まだ少しうまくいかない時があります。
何より、付き合ってる最中でさえ、他のことに没頭することを、恋愛や自分の性格に対して真面目に考えることに対しての「逃げ」だと無意識に思ってしまい、またずるずると彼のことで悩んでしまいます。
なので、依存体質と、こういう「考えなきゃいけない、真面目に考えてはっきりさせなきゃ」と悩みすぎる癖を治したいです。

悩みを全てぶつけてしまったので、雑な文章ですみません。

私はどうすればいいでしょうか?

カウンセラー
大塚亘
こまつさん、はじめまして。

今回担当させていただきます、大塚亘と申します。
どうぞよろしくお願いいたします。

まず、こまつさんは、ご自身のことを依存体質だと思われているようですが、私には、
むしろ「自立」の方のように思えます。

大前提として、そもそも、「依存」も「自立」も、それ自体に良い悪いはありません。
正しい、間違っているという概念もありません。

仮に、依存が悪いものであるとしたら、誰も頼らない、ということですから、完璧に
一人で生きていかなければなりません。

誰の助けもいらない、ということは、男女関係における相手だけではなく、友達、
親兄弟など、周りのあらゆる人の好意や、思いやりや、役に立ちたいという願いを、
全てはねつけて、一切受け取らないということになってしまいます。

言い方を変えると、「周りの愛は、一切受け取らない」ということです。このような
状態を、「超自立」といいます。これが正しいと言えるでしょうか。自立に良い悪い
はありませんが、それが行き過ぎると、問題を起こしてしまいます。

逆に、依存も行き過ぎると、問題を起こしてしまうでしょう。あえて悪い書き方をすると、
「超依存」とは、相手の事情を一切考えずに、自分の欲望ばかりを周りに押し付ける
ことといえるでしょう。そして、ここがポイントなのですが、

「超依存」の方は、自分が依存体質であることに、全く気付いていない

ので、「超依存」といえるのです。「超依存」の人は、「私は依存体質かもしれない」
なとど悩みません。依存体質だから気を付けなければ、と考えて下さる時点で、周りへの
配慮をしているではないですか。

「超依存」の人は、一切周りへの配慮をしません。だから依存体質なのです。

例えば、

>きっかけは、向こうが告白してきたので「好きになれるかな」と思い付き合いました。

これは、相手の好意に応えたい、という気持ちによるものですよね。これのどこが依存
なのでしょうか。相手のことを考えているわけですから、この時点でそもそも依存体質
ではありません。

>別れてから、依存体質を治すため、恋愛以外に楽しみを作ったり、ほかの友達とちゃん
>と向き合おうと頑張ってはいるのですが、まだ少しうまくいかない時があります。

本当に依存体質なら、相手の事情を全く考えないわけですから、そもそも一切の謙虚さが
ありません。なにか不快なことがあったら、それは全て周りが原因であると思い込み、
自分自身の内面に一切向き合うことがないのが依存体質の人です。

こまつさんは、謙虚に、ご自身に向き合い、さまざまな努力をされているわけです。
これのどこが依存体質なのか、私には全く分かりません。自分でなんとかしようと
努力すること、これを「自立」というのではないでしょうか。

ですから、そもそもの大前提として、こまつさんは、どちらかと言えば「自立」の方で
あり、依存体質では全くない、ということを、どうかご理解いただきたいのです。

私のカウンセリングでの経験上、自分が「依存」だと思っている女性は、そのほとんどが
「自立」の方です。再度書きますが、本当の依存体質の人は、自分が依存体質であることに
気づいていないからこそ、本物の依存体質なのです。

さて、それでは、こまつさんはどうしたらいいのでしょうか。もし、こまつさんが、
どちらかといえば「自立」であるとしたら、「依存」と「自立」のバランスを取れば
いいわけですから、なんと、

もっと周りに依存したほうがいい

ということになります。

適度な依存は、要するに「自分自身の感情、感覚に素直に生きている」という状態と
いえます。これが行き過ぎて、相手の事情を一切考慮しなかったら問題ですが、相手の
事情もふまえつつ、自分の希望や願い、感情を素直に表現できることは、魅力的な
ことだと思いませんか?

これが、依存に良いも悪いもない、正しいとか間違っているということもない、
ということです。要するにバランスの問題ですね。

>きっかけは、向こうが告白してきたので「好きになれるかな」と思い付き合いました。

こまつさんは、周りへの配慮ができる「自立」の方です。彼の気持ちをくみ取って、
自分の気持ちを少し横に置いておいて、お付き合いしてくれたのです。

>最初は、嫌われてないかなという不安から、頻繁に会ったり遊びに行ったりして
>いましたが、何かしらの不安にずっと悩まされていました。

この状態も、相手のことを考えているからこその行動だったのではないでしょうか。
もちろん、嫌われたくない、という気持ちはあったのだと思いますが、人間は、誰しも
嫌われたくありません。嫌われたくないというのは人間として当然の気持ちであり、
どこも悪くありません。

「自立」の傾向のある方は、「依存」が「自分自身の感情、感覚に素直に生きている」
という状態であるならば、それと逆のことをするわけですから、要するに、周りへの
配慮が強いため、自分の感情や感覚を封印してしまうことがあります。そして、
あるとき、自分の気持ちが分からなくなってしまうこともあります。

>しかし、その不安があるとき解消され、相手に本当に愛されてると実感した時に、ふと
>自分の感情がわからなくなり、「そういえば私はこの子が好きなのか?」「私は一緒に
>いたくて一緒にいるのか?依存してるからじゃないのか?」という疑問でいっぱいに
>なり、「友達に戻ろう」ということで別れてしまいました。

このエピソードも、こまつさんが「自立」傾向であるからこそ起きた出来事だと私は
思いますよ。念のためにお伝えしますが、悪いとか、間違っていたという意味は全く
ありません。「自立」に良いも悪いもありません。

>不安感からではなく、ポジティブな意味で「会いたい」と思えたのが別れてからだった
>ので、別れた後悔でいっぱいです。

ポジティブな意味、つまりご自身の感情、感覚が出てきたのですから、「自立」だけで
なく、良い意味での「依存」もお持ちです。そして、この「ご自身の感情、感覚」を
信じて、考えすぎずに、ご自身に素直になっていくこと、ご自身の感情、感覚を周りに
表現すること、これが、私の提案である「周りにもっと依存してください」ということです。

感情というものは、何も考えずに自動的に出てくるものです。例えば、ある人に、
とんでもないひどい言葉を言われたとしましょう。そのときに、

「ここは冷静に考えよう。えっーと、これは、相手はひどい言葉を言っている。
ということは、怒るのが正解だと思う」

と一呼吸おいて、考えてから怒るでしょうか。そんなことはしませんよね。何も考えずに、
言われたらすぐに反発すると思いませんか。

とはいっても、考えてもかまいません。考えないようにする、というのは無理で、考えて
しまいますよね。ですから、少しずつ、どんなことでもいいですから、直感的に浮かんだ
ご自身の感情や感覚を信じて、そのときのご自身の行動を決めてみてくださいね。

読んでくださり、ありがとうございました。

大塚亘

この記事を書いたカウンセラー