お手伝いする子は損なの、得なの?

皆さんは小さいころ、家でお手伝いはしていましたか?
私は小学校の高学年ごろから、夕食の後の食器洗いを担当していました。
そのお仕事自体はそんなにイヤではなかったのです。
ただ、私には二つ年上に兄がいるのですが、彼は私が食器洗いをしていても何もせずにテレビを見て笑っているのです。
そのことが納得できず、ずっとモヤモヤした怒りを感じていました。
だって、同じ兄弟なのに私だけがお手伝いをさせられるのです。
そのことを何度か母に抗議しましたが、母から帰ってくる答えはいつも同じ。
だってお兄ちゃんは男の子でしょ、あなたは女の子なんだから。
多分、今から思えば、兄は黙っていうことを聞くタイプではなかったので、
お手伝いをさせたくても、言いつけた途端に怒って暴れて面倒な展開になる。
だったら最初から頼むのはやめとこう、というのが母の本音だったと思います。
でも、娘の私にそんなに正直に理由を言えなかったのでしょう。
そこで登場するのが、お兄ちゃんは男の子、あんたは女の子だから。
それを聞いた私は、女というだけで不平等な待遇をされる悔しさ、地位の低さのようなものをたっぷり感じながら育っていきました。
そして、時を経て私にも二人子どもができました。
上が長女、二つ下に長男、そして、見事に私と兄の関係性を再現するような光景が繰り広げられるのです。
それは、ソファーにふんぞり返って何もしない長女、いそいそと私を手伝う長男。
これではマズイと思うのですが、娘に何か頼んでも癇癪をおこしたり、二階に閉じこもったり、とにかく一筋縄ではいきません。
忙しいときなどは、そんなやり取りに時間をかけていられないので、ついつい私も夫も息子をあてにするようになりました。
昔の私と違うところは、長男はその役割を嫌がっていないのです。
お手伝いをすると褒めてもらったり、時々お小遣いをもらったり、彼にとってはお手伝いをすることで得していることも多かったようでした。
一方、そんな息子を横目に、娘はますますゴネて文句を言うようになり、兄弟の仲も、親子の仲も目に見えて悪くなっていきました。
娘からすると、私は何もしないから悪い子で愛されない、弟はいい子だから自分よりもたくさん親から愛されている、そんな寂しさを感じていたようです。
(もちろん誤解なのですが)
そこで、娘が小学校5年生、息子が3年生の時に、今までその場その場で頼んでいたお手伝いの役割を決め、それができたら一か月分のおこづかいをもらえる事に決めました。
最初はしぶっていた娘も、おこづかいはもらえないと困るのでしぶしぶながら賛同してくれました。
ちなみに、彼女の役割は猫のトイレ掃除でしたが、お小遣いがもっと欲しいからと、自分から夕食の後のお皿洗いもやるから、お小遣いをあげてくれと言ってきました。
 
そして、意外なことにキチンと仕事をこなしました。
はっきりと役割と責任を決めたことで、余計なトラブルがぐっと減り、娘の口からも余り
文句が出てこなくなりました。
きっと、何もしていない罪悪感から解放されて、彼女も楽になった部分があったのだと思います。
そんな娘も今は中学生になりました。
今回このコラムを書きながら、当時の兄のことを思い出しました。
兄はどちらかというと問題児でしたが、彼が感じていたであろう罪悪感は、小学生の私には見えませんでした。
ずっと私ばかり損している、そう思っていました。
でも、お手伝いをしない罪悪感、あてにされない無価値観を兄もたっぷり感じていたのではないかと思います。
もしかしたら、兄も私の方が親から愛されていると感じていたかもしれません。
そんな誤解をもし兄がしていたとしたら、お手伝いをしない兄が一方的に得をしていたとも言えないなと思いました。
兄は兄でしんどかったみたいよ。
当時口をとがらせて悔しがって洗い物をしていた私に、そんな事をそっと教えてあげたくなる気分なのでした。
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この記事を書いたカウンセラー

About Author

森實 ゆた

アダルトチルドレン、自己表現が苦手な方の婚活、パートナーシップの危機、育児にまつわる葛藤が得意ジャンル。 小学校の心の相談員としてのキャリアも長く、児童とその保護者から高い評価を得ている。 その人の持つ隠れた魅力や才能に光を当て、自信や自己愛を取り戻すスタイルが支持されている。