「信頼」に気づいた日 ~「誰かを何かを信じられない時」、それは「自分を信じられない時」

私は、今でこそ、個性豊かと言えば、聞こえはいいですが、
「天然」と言われたり、「いるだけで笑える」と言われたり
かなり変わった、ユニークで個性的なカウンセラー、とお客様から言っていただいておりますが、以前は、全く自分の個性を認めることができませんでした。
自分のことを否定していたし、嫌いだったし、また、個性的であることは良くないことだと、できるだけ普通になろうと思っていた節があります。
しかしながら、カウンセラーになって急に個性的になったはずもなく、今から思い返せば、幼少期から、大人になってからも、ずっと、実は、かなり変わっていたと思います。
私は、カウンセラーになるまでは、ずっと何かしら「生きているのが苦しい」と感じていたのですが、個性的なのに、一生懸命、普通になろうとしていたのですから、「生苦しい」と感じるのは、ある意味、当たり前だった、と今は思います。
私は、幼少期から、変なことで悩む子ども(と自分のことを感じていた)でした。
どんなことで悩んでいたかと言うと、例えば、
「どうして世の中には戦争が起こるんだろう」とか、
「男らしさ、女らしさって何だろう」とか、
「人の心は、悪なのか、善なのか」とか、
そんなことをずっと悩んでいました。
このように、はっきり意識したのは中学校の頃だと思うのですが、これは、大人になってからもずっと悩み続けていたことだったのですね。
今振り返ってみると、思春期にこうしたテーマで悩むのは、ある意味当たり前だったと思うので、自意識過剰、だったとも思います。
しかし、この悩みは結構深刻で、
高校生の頃は、哲学科に進学した方がいいのかな、と思っていた時期もあったくらいです。
(結果的には、一番無難と思った経済学科に進学したのですが)
こうした悩みには、答えはありませんでした。
当時は、そう思っていました。
ところが、私がカウンセラーになろうと決意し、カウンセリングを勉強した学びの中で、また、カウンセラーになった後にカウンセリングを通じて、答えは出ていないけれど、方向性みたいなものが見えたように感じたのです。
昔、私は、「愛」というものを、信じられませんでした。
正確に言うと、「愛」があることを信じたいけれど、「愛」があることを信じられない出来事が多過ぎる、ということになるでしょうか。
私の悩み続けたテーマというのは、結局は、こうした思いが原点にあるようです。
だから、「愛」というと嘘くさいと感じていました。
「愛」をまっすぐ表現されると嫌悪感があったし、「愛」を感じると自分のことを偽善者のように感じていました。
ところが、カウンセリングを学ぶ中で出会った人たち。
そして、カウンセリングを通じてお話させていただいた方達。
そうした方々との間で感じざるを得ないことが、出てきました。
それは、どんな人も「優しさ」や「愛」を心の中に持っている、ということ。
もちろん、だからといって、世の中にはいろんな事件が起こるし、許されるべきではない行為もたくさんあります。
これは、このことを語る時に、本当に大切な視点です。
でも、それを踏まえた上でも、どうやら、本当にたくさんの人々の心の中には「愛」や「優しさ」があるらしい、ということを実感しざるを得なくなっていったのです。
カウンセリングでお話を伺うと、必ず、出てくることがあります。
それは
「悩んでいること」
です。
悩んでるからカウンセリングに来るんだろう!とツッコミをもらいそうですが、私は、このことが、「愛」や「優しさ」の証拠だとは思ってもみませんでした。
もし、「愛」や「優しさ」がなければ、
「悩まない」
なずなんですね。
では、
「何も感じない」
場合はどうなるのか。
そこには、人の心の不思議や、単純にはいかない事象が起こってきます。
あまりに辛いと、人の心は、自分の心を守るために、感情を麻痺させて、感じなくなってしまうこともあるのですね。
確かに、人の心は、そんなに単純ではありません。
けれど、悩み苦しんでいる方が、あるいは、何も感じないと言っておられた方が
カウンセリングを通じて、それが変化していく姿を見た時。
そして、その変化のきっかけが、多くの場合、
「誰かを大切に思う気持ち」
であることを、目前にした時。
私は、自分が疑い続けた、人の心の「愛」や「優しさ」について、思いを変えざるを得なくなりました。
どうやら、人の心の中には「愛」や「優しさ」があるらしい、と。
そう思えるようになってから、私自身の中で大きな変化が起こってきました。
自分が個性的でもいいじゃないか、と思えるようになっていったのです。
そこには、こんな気づきがありました。
誰かを、何かを信じられない時。
それは、自分を信じられない時。
誰かを、何かを信じようと思えた時。
それは、自分を信じようと思えた時。
実は、私は、「愛」が信じられなかったのではなく、自分が信じられなかったのです。
私は、カウンセラーという仕事を通じて出会った多くの方々に、「自分を信じる」ことを教えていただいたように思います。
そのことによって、私は、自分を信じてみようと思えるようになり、そのことで、個性的でもいい、と思えるようになり、今の私があります。
この「カウンセラーのコラム」には、私は、こうしたテーマについて、折々に書かせていただいてきました。
振り返ると、7年の間に、45本のコラムを書かせていただいています。
このコラムのテーマを一言で現すとしたら、「信頼」というテーマを書いてきたのだと、今回、このコラムを書かせていただくのに、気づきました。
この気づきをくれた、私と関わってくださった多くの皆さまに感謝しています。
そして、これからも、この答えの出ないテーマについて、考え、悩みながら、進んでいきたいと思います。
いつも、本当にありがとうございます。
そして、これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
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この記事を書いたカウンセラー

About Author

池尾 昌紀

名古屋を軸に東京・大阪・福岡でカウンセリング・講座講師を担当。男女関係の修復を中心に、仕事、自己価値UP等幅広いジャンルを扱う。 「親しみやすさ・安心感」と「心理分析の鋭さ・問題解決の提案力」を兼ね備えると評され、年間300件以上、10年以上で5千件超のカウンセリング実績持つ実践派。

1件のコメント

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    講義に参加して いつも、心が納得して満たされて 色々考えて、頭が一杯になり帰宅します(^-^;)
    コメント 心に染みました。
    ( ^_^)