ひき籠もりの父

父が亡くなって何年か経ちます。
父はもともと頑固で、年をとるにつれて更に難しくなっていったように思います。
何かにつけメモするのが、父の晩年の習慣で、時折ボールペンの強い筆跡でびっしり書かれた文字が数ページ、一文字も間違っていないのを見ると、すごいというか恐いと感じる事もありました。
字はその時によって違い、弱い筆跡で書かれている部分もあり、その中に線でグチャグチャに塗り消してある漢字を見つけました、よく見るとそれは「ひき籠り」の籠という漢字でした。
そのときあらためて父の人生は「ひき籠もり」だったことに気づきました。
たったひとりでひきこもっている訳ではありませんでした。
どうしようもなく懲りてしまった物事があり、自分に対してなのか、人に対してなのか、多分両方ダメージを受けた事が、「ひき籠もる」きっかけだったように感じます。
父はエリート意識が強くバリバリと仕事をしてきた人で、外では社交的にふるまっていたのかもしれませんが、家では庭仕事が好きでろくに家族と話しもせず、花はすぐ枯れてしまうからと敬遠し、蛙を見つけては喜んでいました。
仕事では猪突猛進する「猪」のように努力家でありながら人には気を遣い、会社から帰るとピリピリしている事もよくありました。
重病を境に同様の会社員には二度と戻りませんでした。
外に出ないとか、仕事をしない籠もり方ではなく、傷ついて誰にも本心を見せない「心を籠らせているような状態の人」は、むしろ沢山いるような気がします。
ひき籠もるの「籠」は「かご」と読み、竹で編まれた籠は、「篭」とも呼ばれ、物をやさしくかこってくれます。
「籠もる」とは、お寺に籠もるなど、いろいろな意味があるようです。
人に触れられては困るほどの傷ができたとき、それをかばうように身を護りながら、心を養い育て、またどう生きたらいいか模索(思索)する時期として「ひき籠もる」事にも意味がありそうです。
時として怒りや恐れで一杯になり、そのいっぱいの感情が人と接する際に不都合になり、一人でいたいとも思います。
人間関係が煩わしい、一人になりたいと思うこともありますが、人と離れきってしまう事が何かと不都合で、ひき籠りが問題とされる場合もあります。
人がいつ傷つき嫌になってしまうか、その可能性が全くゼロの人も、本当はいないといってもいいのかもしれません。
不況下の就職事情も厳しく、がんばったのにリストラにあう等、高度成長期とは明らかに違う流れが押し寄せています。
一人になりたいと思うときに無理なく一人でいられ、自然と心が癒え、人と接したいという気持ちが出てきて、外に向かっていけるのが理想なのですが、そううまくいかない場合もあるでしょう。
どうしようもなく傷ついたときに、たった一人で這い上がっていくことは、本当はとても難しいことです。
そんな時に自分はひどく「弱い」と思いこんでしまう人も多いように思います。
私の父は弱さを嫌いました。
そんな父に私は若い頃何度か「お前は弱いから駄目だ」と言われ、更にダメージを受けた事もあります。
今では誰でも弱い部分は持っているものではないか、と感じています。
自分も世界も嫌になった時、嫌っている自己像を映し出す、自分以外の人が持つ別の鏡があり、違う部分を映し出してくれると、自分自身の思い込みに気づける事もあります。
たったひとりではないと思える事が必要な場合もあります。
本人が頑なになっている原因には、そう簡単にわかってもらないような物事を抱えている場合もあり、本音を吐ける場所を持てず、そのうち自分の本当の気持ち、または自分自身の長所にも気づけなくなってしまう場合もあるからです。
時として腫れ物みたいで、そこにうまく触れるのが簡単ではない場合もありそうです。
「おとうさんはひき籠りだったね。」と亡くなった父に言ったら「ふざけるんじゃない!」と怒ると思います。
「人をあてにしても仕方ないし、それほどの人もあまりいなかったからね。」と言えば少しうなずくのかもしれません。
いつも前向きな考え方、しかも自分を表現しながら誰にでもオープンな気持ち、決してそれだけではいられないのが本当のところで、どこかで自分の心を守ろうしながら生きているものかもしれません。
釣りに行ったり、仕事だけにのめりこんだり、衝動買いをしたり、お酒を飲んだり、ちょっとひきこもったり・・・・etc。
実際父はがんばるときにはがむしゃらで、努力家で前向きで、今の時代の「ひき籠り」には何故かとても否定的でした。
亡くなってやっと父はずっと見せたことのない穏やかな表情をしていました。
随分戦っていたんだな・・よく生きてくれた、本当におつかれさま・・と感じました。
もしかしたら父は「ひき籠り」の部分の自分を断固として否定しながら戦っていたのかもしれない、と思ってみると、そのあまりの必死さを思い出します。
心の底に「こんな自分こそ最低・・・」という意識もどこかにあり、必死でそれを感じまいとしていたのかもしれません。
時代は移り、時としてわかりあえない部分もあるけれど、よく考えて見れば同じ所もあり、父自身そんな自分の劣等感を拭い去って「俺もひき籠もりだな・・。」と穏やかに言えたのなら、もっと楽に生きられたのかもしれません。
そんな父も本当は子供のように無邪気で、才能も豊かな面白い人だったな・・・と昔のできごとを懐かしく思い出します。
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この記事を書いたカウンセラー

About Author

柔軟な思考と深い洞察力を用いたサポートを得意とする。人間関係全般、介護、メンタルヘルス、セクシャルマイノリティー等のジャンルを扱う。理屈よりも寄り添う事を大事にしている。成人過ぎの子供を持ち、自らもいろいろな体験をしていて、知識も豊富である。産業カウンセラー

2件のコメント

  1. ぴんくいるか on

    私の父は健在ですが みわさんのお父さんの生きて来た様が父と重なって涙が出ました。
      ずっと闘い続けて来られての最期の表情だったのでしょうね・・。引き籠ってた自分を引き出せるのは他ならぬ、自分。私の父はそう言うことを、身をもって教えてくれた存在です。
     みわさんにお父さんの分まで穏かな時間が訪れますように・・。  こころあたたまる記事でした。
    ありがとうございました。

  2. そんな風に感じてくださったのですね・・。
    とてもうれしいです。
    ぴんくいるかさんの、あたたかい心が伝わってきます、本当にありがとうございます。