●不安の奥にあるもの

もう何年も前になりますが、精神的なバランスを壊してしまったことがあります。
何に対しても不安と恐れが付きまとって身動きが取れなくなってしまっていたんですね。
仕事で新しい大きなプロジェクトに取り掛かろうとして、その重責をひしひし感じていたところに失恋が重なってパタッと倒れてしまったような感じでした。
何でも一人でやろうとしてプレッシャーばかりを感じていましたし、傲慢にも自分のモノと思い込んでいた彼女と別れることになって男としての自信をすっかり失っていました。
どうしていいのか分からないので、ついに個人的にカウンセリングを受け始めることにしたんです。
それまで心理学を学んではいたし、過去の辛い経験もだいぶ癒されたかなあ、と思っていて、さあ、これから頑張るぞぉー!と思っていた矢先だったので、この出来事はなおさら強いショックでしたね。
もう毎日“絶望”“不安”“恐れ”という感じで。
ほんとに何をするにも不安でね、藁をも掴む気持ちをひしひし感じてしまっていました。
もちろん、電車にも乗れず、夜は眠れず、かといってベットからも降りられない日もあって、半ば死人のようになっていたかもしれません。
そのカウンセリングを申し込んだ時に、受付のお姉さんに「ねむねむもようやく私たちを頼ってくれるだね。ありがとうね」って言われて、うかつにもその場で嗚咽してしまったんです。
(僕は心理学仲間には“ねむねむ”って呼ばれてます。
眠たそうなカオしてたから、らしいんですけど。因みにこの受付のお姉さんが名付け親で、今でも僕の大切な友人です。

そんな自分の反応にびっくりして「やばっ、隠さなあかん」と必死に繕いました。
たぶん、間に合ってばれてないと思うけど。(ばれてないと言ってね(笑))
今でこそ「感情を解放しましょう」とか言ってるけど、当時は自分がどんな感情を感じているのかってことがほとんど分からなかったんですね。
だから、彼女のその些細な温かさが僕の凍っていた心を直撃して、わけもわからず涙が吹き出てしまったんです。
外出先だというのに・・・。
その一方で、人の温かさとか繋がりがほんとに切れてしまっていたんでしょうね。
自分を気にしてくれる人がいる、なんて思いもしませんでした。
そういう状況ですから、僕自身カウンセリング(セラピー)に過剰な期待を持って挑みました。
これで楽になるんだ、よかった、助けてもらえるんだ、、、と。
実際、セラピーを受けた後ってたくさんの気付きと感動とあったかい思いで一杯になっていました。
「あんた、なんでそこまで俺のこと分かるん?」とか「もしかして、俺、今泣いてる?」とか「おー、めっちゃすっきりした」とか「あ、そういうことなんかあ・・・」とか、そんな感じでしたね。
だから、クライアントさんが「なんでそんなことまで分かるんですか?」とかおっしゃっいたくなる気持ちはよく分かります。
不思議ですよねー。
でもね、その気持ちってなかなか続かないんですよね。
数日経つとまた不安が襲ってきて、「何も変わってないやん」という状態になりました。
(その経験があるから、今はカウンセリング後のフォローを大切にしたいんです)
気付いたことや学んだこと、いっぱいありました。
でも、それ、自分で実行しなきゃいけないってことまで気付けなかったんですね。
何か、全部やってもらえるものと思い込んでいました。
つまりは、僕のこの不安や恐れを全部取り除いて、この後元気になってまた仕事や恋に頑張れるようになるまで手取り足取り面倒を見てもらえるような気がしてたんです。
ちょうど今目の前にある問題の壁を、カウンセリングという牛車に乗っていれば勝手にカウンセラーが引いて乗り越えていってくれるような気持ちだったんです。
今から思えば自分の人生だし、自分の仕事で、自分の恋だから、最後は自分自身で乗り越えなきゃ意味がないんですけど、当時は自分では抱えきれない色んな思いがたくさんあって、もうそれらを持ちつづけるのが嫌で嫌でたまらなかったんですね。
だから、責められないわけだけど、この日常のカウンセリングも何もない時間をどう過ごすのか?というのが僕に与えられた大きなテーマになりました。
不安なときって、とかく誰かに頼りたくなりますね。
そして「何とかしてよー」という悲痛な叫びを挙げてしまうものです。
そして、この不安を僕の代わりに持ってくれそうな人を次々探そうとするんです。
とっても依存的になっちゃうんです。
自分では意識していないけど、まるで24時間介護を求めてるような感じでした。
でも、人それぞれに日常があり、生活があるわけですから、それは無理ですし、一人暮らしの身だったので家族も近くにいないし、とことん追い詰められていくのを感じていました。
人に迷惑かけてはあかん、という思いがあったから、電話魔になることはなかったけれど、ほんと許されたなら、真夜中でも電話かけたい気持ちになっていました。
もし電話をかけたらこう言うんです。
「早く僕のこの不安を取り除いて」と。
そして、そうしてくれなかったら激怒するんです、きっと。
それが分かってたからこそ、しなかったけどね。
でも、そんな生活が続くと、もうずっとこのまんまだろうか?良くなることなんてあるんだろうか?抜けられるものだろうか?と不安が不安を呼ぶ悪循環になりました。
でも、そこで僕は大きなことを学べたんですね。
それは誰かに頼るということ。
変な話ですけどね、矛盾してるよ、て言われそうだけど。
言い換えると受け取るということ。
人の思いや優しさや繋がりを、受け取る、ね。
そして、自分と向き合ってこのしんどいところを抜けよう、て思いはじめました。
これが僕にとっての転機でした。
状況は変わってないんだけど、なにかほっとしたような感じがしました。
そうして気が付けば自分を心配したり、助けてくれる存在が周りにたくさんいたんです。
僕は誰もいない、ひとりぼっち、孤独、と思っていたんですが、それはまるで目を瞑ってうつむいてしまっていたからだったんですね。
怖い時や不安な時って映画でもよくあるシーンだけど、目や耳を覆って蹲ってしまうでしょう?
そしたら、誰かの声も姿も見えないし、その優しい存在すら自分を苦しめるもののように感じてしまうんです。
その「向き合っていこう」という気持ちは、ちょうどそんな蹲っていた自分が顔を上げたような感じに似ています。
そのことを友達に話したら「それは腹括ったんだよ」と教えてくれました。
なるほど。
そうして自分の心を観ていこうとすると、その分だけぐっと意識が前に向き始めます。
もちろん、すぐにうまくなんていきませんでした。
昨日は大丈夫だったのに、今日はまたダメだ・・・とか。
顔を上げかけては俯き、また顔を上げては・・・という感じだったと思います。
でも、徐々にぐっと地に足が付いたような感覚がやってきます。
そして、その頃になると今起きている苦しい状況にも意味があること、学ぶべきものがあることが分かってきます。
頭で分かるというよりも、感覚的に腑に落ちるような感じでした。
(だから、言葉で表現しようとするのはすごく難しいですね。)
それからの僕の口癖は「この状況は自分にとって必要なことなんだ」になりました。
そう自分に言い聞かせながら、不安な気持ちと向き合っていったんだと思います。
でも、状況はすぐには好転しないもの。
ほんまにたくさん忍耐を学べましたよ。
そんな中、休憩にいつも寄っていた公園から帰る途中にすーっとお腹の底のほうにしっくりくる感覚がやってきたんです。
いつもその公園ではこれからの自分についてものすごく思い巡らせていたんです。
もうその頃は仕事も手につかずに、四六時中今の状況を考えたかったので、この公園での休憩時間は日常の中でも貴重な自分と向き合えるときだったんですね。
ぱちっと何かがはまるような感じだったし、扉がさーっと開いていくような感覚がしました。
そうすると心にぱーっとものすごい安心感が広がったんです。
それはほんまにすごかった。
そして久々に自然と笑顔がこぼれていたと思います。
周りの人に怪しまれそう、と思いながらもニコニコが止められませんでした。
自分でも「苦しすぎて気がふれたんかな?」と、ちょっと思ってしまいました。
でも、そのときはっきり自覚したんです。
何とかなる、と。
大丈夫、このしんどい状況を抜けられる、と。
そこからは何があっても意外と平然と受け止められました。
上司にきつく言われても、前の彼女に冷たい言葉をもらっても。
むしろ、周りの視線は日に日に厳しくなっていました。
でも、気持ちは徐々に前向きになっていきました。
その後はそのときほど強い安心感を感じることは無かったけど、その感覚と、いつも誰かの思いを感じながら過ごせます。
そして、気が付けば自分を信じ始めることもでき始めていました。
僕がそこから問題を乗り越えるにはさらに1、2ヶ月ほど時間を要したのだけど、それも長くは感じませんでした。
不安や恐れって僕たちの周りに常にあるものかもしれないけれど、その奥には実は大きな安心感があります。
他にもこの経験を通じて学んだことはたくさん過ぎるほどあり、そのどれもが今の僕の貴重な糧になってます。
だから、あの当時はほんとに死にたい気持ちでいっぱいだったけれど、決して無駄なものではなかった、すべて意味があり、学ぶ必要のあることだった、と思えるんです。
その後、数年してカウンセリングをさせていただくことになり、そんな経験を色んな方に提供させていただけるようにもなりました。
やっぱり皆さん同じことおっしゃってくれます。
「状況は良くなってないどころか、悪くなってるようにも思えるけど、何だか『大丈夫』って気がします。
なぜかほっとしている自分がいます」と。
これが“希望”というものの正体なのかもしれません。
あなたにも今、そしてこれから、漠然とした、あるいは明確な不安や恐れに出会うこともあるでしょう。
でも、大丈夫です。
そこは必ず抜けられます。
あなたがその状況から逃げずに、自分の心を見つめていくこと。
それが出来た分だけ、その先にきっと信じられないくらい大きな安心感を出会えることでしょう。
それまではどんな状況でも決して諦めないでくださいね。
根本裕幸

この記事を書いたカウンセラー

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