●心のブレーカ

仕事を終え家に帰ると、留守番電話のランプが点滅していました。
留守電には、祖母が病気で亡くなったことが入っていました。
涙も、悲しみもでず、「あぁ、帰らなくちゃ」留守電を聞いて頭の中に出てきたことは、この一言だけでした。
あくる日朝6時の電車に乗り、大阪―隠岐ノ島間の帰路につきました。
電車の中でなんとなく祖母のことを思いだしてみようとしました。
でも、なぜかまったく祖母のことが思いだせません。
頭の中にでてくるのは、葬儀の知らせをしていないところはないだろうか、今回の葬儀では僕が喪主になるだろうから挨拶を考えておかなければ、大阪に帰る時は今回の件でお世話になった人たちにお土産を買って帰ろう等、頭の中もでてくることは祖母との思いではなく、祖母の葬儀に関しての事務的なことばかり。
思いでもでてこず、なにも感じない状態で電車の窓から流れていく景色を眺めていました。
長い電車の移動を終え、午後3時に境港からでるフェリーに乗りかえ亡き祖母にもう少しで会えるなと思いながら隠岐の島へ向かいました。
フェリーの上から見る海は、波もほとんどなく穏やかで、まるでなにも感じない僕の心を移しているようでした。
長い帰路を隠岐ノ島に着くと、亡き祖母が棺の中で眠りながら僕の帰りを迎えてくれました。
「ただいま」
心の中でそうつぶやき亡き祖母を見ていました。
しかし、亡き祖母を目の前にしても、一滴の涙も、悲しみも、祖母との思いでも、出てきませんでした。
周りの人たちが祖母とのお別れを悲しんでいるのを見ると、自分が冷たい人間に思えてもきました。
その後、葬儀を終えて、大阪に帰ってきました。
大阪に帰ってくると祖母とのお別れの悲しみで僕が落ち込んでいないか心配してくれる、心暖かい友人達が待っていました。
「大変だったね。」「ひと段落ついた。」など
友人たちは会うと声をかけてくれました。
悲しみをまったく感じなかった僕は、その友人達の暖かさに触れるたびに、
自分って冷たい人間かな?と益々思えてきました。
祖母とのお別れを終えて2週間ほどした頃、ふとした拍子に
「あぁ、生きているうちに、もっと会いにいってあげればよかったな」
「もっと、なにかしてあげればよかったな」
という後悔の念がでてきました。
後悔の念が出てきた後に祖母との思い出が心に浮かんできました。
幼い頃祖母に預かってもらって祖母と暮らしていたこと、遊んでもらったこと、やさしくしてもらったこと、大事にしてもらったこと、いろいろの思いでがでてきました。
思い出が出てくると同時に悲しい感情が出てきました。
祖母が死んで2週間してようやく悲しみを感じたわけです。
どうやら、強すぎる悲しみ、寂しさ、喪失感を感じて僕の心のブレーカが落ちてしまっていたようでした。
2週間かかって、やっとそれに気づけました。
僕はこれからしばらくの間、いっぱい落ちてしまった心のブレーカを1個ずつ元に戻していき、祖母の思い出と、祖母を失った喪失感と、祖母が残してくれた愛情を徐々に感じていくのだろうなと思います。
人は、あまりの悲しみや、あまりの喪失感など強い感情を感じた時、自分を守る為に心のブレーカを落として何も感じなくなる時があります。
僕も無意識的に心のブレーカを落としていたようです。
心のブレーカが落ちていると悲しみや、喪失感など、ネガティブな感情を感じなくて済むのですが、感情と記憶はくっついていますから思い出を思い出せなかったり、思い出の中にでてくる優しい気持ち、愛情、慈しみなどポジティブな感情も感じなくなってしまいます。
みなさんの心のブレーカは大丈夫ですか?
楽しい、嬉しい、悲しい、寂しい、愛されている、っていっぱい感じられていますか?
感度は鈍くなっていませんか?
チェックしてみてくださいね。
特に、楽しい、嬉しい、愛されているって感じたくない人はいないと思います。
一度きりの人生、いっぱいいろんなことを感じて生きていけるとより豊かな人生がまっているでしょう。
ブレーカの点検をしたい時、ブレーカを再びつなげようとする時、私たち点検、つなげなおしのプロに一度お声をかけてみてください。
お待ちしております。
原 裕輝

この記事を書いたカウンセラー

About Author

若年層から熟年層まで、幅広い層に支持されている、人気カウンセラー。 家族関係、恋愛、結婚、離婚、職場関係の問題などの対人関係の分野に高い支持を得る。 東京・名古屋・大阪の各地でカウンセリングや心理学ワークショップを開催。また、カウンセラー育成のトレーナーもしている。