過去を抱きしめる ~私の頭の中の消しゴム~

先日、「私の頭の中の消しゴム」という韓国映画を見ました。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、主人公が若年型アルツハイマーにかかり、過去の記憶がなくなっていくというものです。
ストーリー自体は、パートナーとの記憶が薄れていくという、極めて感傷的なラブストーリーになっていますが、それ以外にも奥の深いメッセージがいくつもこめられていました。
物語の中では、彼が自分を棄てた母親に対する怒りを表現するシーンが出てきます。
そこで、彼女が「許し」ということについて語っているのですが、それがとても分かりやすい気がしました。
ちなみに、心理学でいう「許し」というのは、自分がひどいことをされたり、苦しんでもいいと認めることではありません。
相手を憎む気持ちの束縛から、自分の心を解放することなんですね。
彼は建築家、彼女は代々伝わる建築企業の娘なので、語られているメタファーも建築に関しする表現でした。
母親に棄てられた怒りで自分を傷つける彼に対して、彼女は、
「許しは、心の部屋をひとつ空けること」
と伝えます。
「あなたは、大事な心の家を、そんなに憎んでいるひとに渡して、家の外でブルブル震えているのよ」
もし、「許せない」と思うひとがいたとしたら、私たちはそのひとたちのことを思うたび、嫌な気持ちになりますよね。
そして、自分の心というとても大切な部分を、その嫌なひとのために明け渡している、というのです。
嫌なひとのために、大切な心の一部あげてしまうくらいなら、こんな気持ちは手放せたほうがいいですよね。
「許しとは、心の一部屋を空けるだけなのよ」
相手に何かをするのではなく、自分の心を自分のために取り戻すということ、これができたら、ずいぶんと私たちの人生は楽になるのではないでしょうか。
何より、こだわっているのは自分であり、苦しんでいるのは自分なのですから。
許しとは、心の部屋に閉じ込めてしまった嫌な感情を手放し、自分の心の部屋を自分のために取り戻すことでもあると思うのです。
それは自分を解放すること、つまり自分を許すことでもありますね。
物語は進み、主人公は若年型のアルツハイマーだと診断され、記憶が少しずつなくなり始めます。
もし、私が自分の記憶が薄れてしまうとしたら。
生きていれば、忘れたいことや、なかったことにしたいこと、身を切るような思いも、胸がつぶれるような記憶も、たくさんあるけれど、それらを失うということは、やっぱりせつないと感じました。
楽しく誇らしい過去はもちろんのこと、つらい過去も、やっぱり自分の一部ですよね。
この経験があるから、今の自分がある。
実は、私たちのほとんどが、過去に生きています。
なぜなら、過去の延長線上に未来を見るからです。
過去に愛されなかったと感じるひとは、未来も愛されないのではないかと恐れます。
過去に裏切られたひとは、未来もそうなりたくないがゆえに、防衛します。
若さゆえに愛されてきたと感じるなら、若さの代わりを手に入れようとするでしょう。
私たちは、意識するしないに関わらず、どこかで過去の経験にこだわって生きているのです。
それは、どこかで自分の過去を消化しきれていない部分、過去の自分を許していない、過去を認めたくない部分でもあります。
自分の過去を許すこと、それは過去をもう一度抱きしめてあげることかもしれません。
許せないこと、後悔していること、ああだったらよかったと思うこと、そんなふうに思うとき、私たちは心の大切な部屋を、自分が消化しきれていない過去で埋めています。
その過去を抱きしめてあげられたとき、過去にこだわらなくなった度合いだけ自然と部屋が空いてゆくでしょう。
そのとき、ようやく過去にこだわらない、全く新しい未来が開けてくるに違いありません。
あなたの心の部屋にあるもので、今はもう、必要のないものを手放してゆきませんか。
空きができたら、あなたは何でその部屋を満たしたいですか。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

退会しました。

4件のコメント

  1. はじめまして。
    丁度、過去の自分を許せないで苦しんでいたときにこちらのコラムを読ませていただきました。
    カウンセリングを通して、過去の辛かったことを話し、今は単なる過去の出来事の一つとしてこころに収まった経験があります。
    しかし、全てを話す気になれないし、自分自身で許す作業ができたら、、と思ってしまいます。
    過去をもう一度抱きしめるとは、具体的にどのような作業をすれば良いのでしょうか。。

  2. 山下ちなみ on

    Tさん、ありがとうございます。
    過去を抱きしめる、とは、過去のできごとを受け入れ、そのときの自分もまた、受け入れていくということなんです。
    つらかった自分を受け入れる、ちょっとしんどい作業でもありますが、受け入れることができると同時に、自然とそれは手放されます。
    その出来事に拘束されなくなるのです。
    でも、もし、許せないと感じているのなら、「許す」ということからいったん離れてみるのも方法なんですよね。
    Tさんが許せない理由や言い分、さまざまな思いがあるはずです。
    そこには、Tさんがなんとしても守りたかった、何かがあるはずなんです。
    Tさんは、誰かや何かに対するその「思い」を大切にしたいのではないでしょうか。
    その思いを大切にする方法が「許さない」「自分を罰する」ということだけではないのだと理解したとき、自然と許しの作業がなされ、このことから解き放たれることもあるのです。
    「許せない」と思っているひとの多くは、本当は思いやりに満ちた優しいひとだということを、Tさんは知っているでしょうか。
    Tさんの思いやりや愛情を、今よりももっと生かして、表現できるようになっていくといいですよね。
    ^^
    コメント、ありがとうございました!!!

  3. 丁寧なご返信、ありがとうございました。
    なかなか難しい作業ですね。
    >Tさんの思いやりや愛情を、今よりももっと生かして、表現できるようになっていくといいですよね。
    私は言語などで表現をすることが上手く出来ません。コンプレックスでもありますが、少しずつ、表現できるようになりたいです。

  4. 本コラムに救われました。
    ありがとうございます。
    なぜ私は「私の頭の中の消しゴム」という映画好きなのか、よく分かりました。
    自分を取り戻すために。
    そのためにできることをしようと思います。
    私にとってとても価値ある本コラムに、
    深く深く感謝いたします。
    重ね重ね、ありがとうございました。