奄美大島の空の下で

「来年もおいでね。」
少し涙目で空港でおばから言われた言葉。
僕の田舎(父方)である奄美大島に11月の末に帰省しました。
去年も帰省をしていたのですが、その時は偶然にもおばあさんの27回忌。
そのことをまったく知らずに帰り、あまりの偶然にまわりはびっくりしていました。

今回の帰省も初めの目的はおじいさんの骨をあげること(火葬ではなく土葬で埋葬したために、墓を掘り起こし
骨についている身などを洗い流し再度、お墓に弔う作業)
がメインだったのですがさまざまな事情により、前倒しになってしまい立ち会えないままの
一人での帰省になりました。
でも僕が田舎に帰るもう一つの意味。それは田舎との絆をとりもどすこと。
長男である父親はある意味、田舎を捨てて内地である関西ににきているという後ろめたさ、そして
長男の嫁としての役目をはたせていない母への風あたり、母の性格上過去の出来事とはいえ今でも許せないことが多々あり、
交流もほとんどないような状態。このままいくと自然消滅的な形で交流がなくなるのは
確実で、過去のぼくであればそれも良いかなという思いもあったけど、今は違って繋がりという
ものに対して大事にしたいという思いがあります。
僕はそれほど自分の立場というものを感じたことはなかったのですが、おじやおばから
直系で長男の息子というものがどれほど大切な存在なのかを改めて肌で感じさせてもらい、
「なるみ」という名前に対する誇りというものを教えてもらいました。
僕にとって「なるみ」という名前が本当に穢れていると思った時期があります。
血をすべて入れ替えたいと思う時期がかなり長い時間あったのも事実ですし、僕の代ですべてを
終わらしたいなと思ったこともありました。
その理由は沢山あるのですが、父親の酒癖の
悪さやだらしなさ、田舎にいるおじのだらしない生活などと聞くことすべてがよい話ではなく
情けない話ばかりであり、僕自身の性格的なことをすべて含めた環境などを血のせいにしていました。
その状況が今はかわったのかと言うと父親にしてもおじたちにしてもほとんど変わりません
逆にひどくなってます(笑)。かわったのは僕の考え方がかわっただけです。
両親に対する考え方は本当に変化しました。
親孝行をしたいと思えるようになっています。
この田舎への帰郷も田舎との繋がりを取り戻すことが、親孝行という意味もかねています。
様々なしがらみにとらわれている両親に変わり僕が田舎との関係を変化させる。そうすることで
しがらみの呪縛から解放させることができるのではないかと思っています。
父親から直接きいたわけではありませんが、僕が田舎へ帰ることはかなり嬉しかったみたいです。
田舎を捨てた形になっている父親からしては後ろめたい気持ちがあるぶん僕が田舎とかかわることで何か楽になるようですし、
母親も結婚してからずっと意地を張り続けていて誰にも相談できずに頑張っていたことが僕がかかわることによりだいぶ肩の荷がおりたと言っています。
また田舎のおじやおばも素直に喜んでくれています。
特におばは今までの思いを沢山話してくれました。
そして父親に対する気持ちも本当に色々伝えてくれました。
どれだけ距離が離れていても大事に思ってくれているんだなと嬉しく思いました。
僕は心理学を学びカウンセラーという職業につけたことは本当に幸せなことだと日々感じています。
こんな気持ちになれるとは夢にも思っていませんでした。
33年間の中で一番親子関係も
田舎との関係もいいのではないかと思います。
こんな風になれたのも様々や友人や頑張って前に向かって進もうとしているクライアントさん
たちがいてくれるからこそです。
僕の変化が周りを幸せにすることが出来る。それは皆さんに当てはまることだと思います。
人の気持ちの変化は制限をしなければ無限に変化しつづけると思いながら僕自身も、そして
友人やクライアントさんたちに持ち続けるつもりです。
日々の変化を楽しみながらさらに幸せを感じていきます。
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