●服従〜〜与えられた「役割」との葛藤〜〜社会心理学の実験から

 カウンセリング・セラピーの現場などで「自分の役割にはまっている」「本
当にしたいこと、好きな事をそのために選べない」などの指摘を行うことがあ
ります。
これはどういうことかと言うとたとえば、「男である」「女である」
「夫である」「妻である」「母である」「長男である」「教師である」「一家
の大黒柱である」・・・等々、何らかの「役割」に従った行動を自覚なしにし
ていることは案外多いものです。
 生まれたときの順番が一番初めで女の子だったから、きょうだい全員の面倒
をみる。長男だから親の家業を継ぐ。末っ子だから家族の皆は自分より何でも
出来て自分は味噌っかすである。こう言うことも「役割」ではないでしょうか。
 
 私自身、三人きょうだいの長女で、気がつくといつも人の世話をする位置に
いることが多いのですが、違和感なくその位置に入ってしまいます。
年齢や性
別に関係なく、「お世話上手」な人っていますよね。逆になぜかいつも皆にか
わいがられる、と言う人も。多くは家庭の環境やきょうだいの何番目だったか、
と言う事に関わりがあるように思います。
 そういったこととはまた違って、社会的な場面での「役割」によって行動が
変わったり時には心理的に大きな影響を及ぼすということを、いろんな方法で
社会心理学の専門家が実験していて興味を覚えたのですが、その中でも「教師
と生徒」「模擬監獄」という実験には少し戦慄を覚えるものがありました。
 まず「教師と生徒」の方は、・・・記憶に関する実験の助手を募集し2人1
組で罰が記憶学習の成績を上げるのに有効であるかどうかを実験すると説明を
受けます。
実は1人は常に「サクラ」で、くじの仕掛けにより必ず「生徒」役
になります。
つまり、本当の被験者には教師役が回ってくるのですが、教師役
の仕事は別室の電気椅子に座っている(と実際は思わされているのですが)生
徒役が解答を間違えるとスイッチを押し電気ショックを与える、と言うもの。
間違えるたびに電圧を上げる事になっているのだけど実際には通電はなく、サ
クラ役は演技を行うわけです。
間違いが続き電圧が高くなる状況になるとサク
ラである生徒役は解答拒否をしたり抗議をします。
この実験には「監督者(主
催者側の人)」がおり、監督者の指示どおりにスイッチを押さなければいけな
いと言うルールがあるのですが、どの強さで被験者が電気ショックを与えるこ
とを拒否するか、が実験の本当の狙いだったのですが・・・結果を言うと細か
い条件をいくつか変えてはみるものの、予測をはるかに上回る高確率で最高電
圧までスイッチを押すと言う結果が出たそうです。
 壁の向こう側ではサクラが叫んだり壁を叩いていて(実際は演技なんだけど)
電圧の高さにともない苦痛を感じているであろうことが予測されますから、教
師役の被験者はその苦痛と指示との葛藤で苦しみ、大多数は心理的葛藤の身体
的兆候・・・たとえばうめく、発汗、舌がもつれる、神経発作性の笑いなどが
見られたそうです。
そうまでして、くじで引いた役割に人はどうして忠実にな
ってしまうんでしょう。これはあくまでも実験ですが、社会や家庭、学校など
でこんな風に感じることが多いと思うのは私だけでしょうか。
 この実験よりはるかに恐い、と思ったのが「模擬監獄」実験です。
これはと
ても有名な研究で映画の題材にもなったらしいのですが、当初2週間の予定だ
った実験の期間が6日で中止されるくらい役割による人格の変わり方が極端だ
ったということなのですが、その実験の内容は・・・やはり実験の助手を募集
し、集まった中からもっともあらゆる意味で安定していて反社会的な行動とは
無縁の人ばかりを21人(24人などの説もあるようですが)採用し、ランダ
ムに囚人と看守の二つのグループに分け、2週間を過ごすと言う計画で、被験
者たちは実験の内容を知っていました。
 実験は、囚人が(協力した市警により)逮捕され、取調べを受け模擬監獄へ
収監されると言う本格的?なもの。囚人は背中とお腹に番号不だのついた囚人
服を着せられ、番号で呼ばれ、足には鉄製の鎖、24時間の「拘束」。方や看
守は制服、警棒、警笛を持ち、8時間交代で「勤務」をします。
看守には囚人
への懲罰や暴力を厳禁とし、細かい指示は特になし。そう言った状況で実験は
進みました。
この実験の囚人と看守のグループはくじで決まっており、サクラ
などはいない形。つまり全く同条件で選ばれた被験者が公正なくじで「囚人」
「看守」に振り分けられているのです。
 時の経過と共に二つのグループのメンバーの言動に差異が見られ出しました。
つまり囚人は受動的に、看守は命令的に話し、時には肉体的な懲罰の変わりに
言葉による侮辱が増加。反抗的態度だけでなく囚人の質問や冗談にも懲罰を与
えだしたので、囚人グループは反応しなくなり、看守の攻撃的行動はさらにエ
スカレート。看守役グループは交代時間に遅刻することはなく、最も攻撃的な
人が自然とリーダーシップをとり、仕切っていく。2日目には囚人の半数が抑
うつ、不安、怒りなど病的な兆候を呈し、「釈放」。治療を要する人も。そし
て・・・6日目には実験を中止。
 実験で、同じ条件で振り分けられていても、こんなに短期間で大きな影響が
起こったわけです。
個人的には被験者のその後の心配などをするわけですが、
こんなこと、身の周りを見て見ると案外多いぞ、と思いました。
こういった状
態を「役割の内面化」と言うらしいのですが、この実験においては看守は無制
限な権力を持ち、拡大解釈さえし始めます。
食事などの当たり前の権利さえ懲
罰に使っていたということ。権威を持つ看守はそうではない囚人を軽蔑し始め、
囚人自身も自分への軽蔑を感じていたと言うから、恐ろしいことです。
 これは極端な例ですが、立場が違うだけで不当な力関係が生じている事って
ないでしょうか?また、自分はこうだ(この実験だと囚人ですね)と思うまた
は思わされることで振る舞いが変わったり無気力になったりするのですから、
何も選べないような感じになってしまったり、あるいは「私は○○だからこう
であるべき」なので他の事は考えてはいけない、好きなことはできない、など
と感じたこと、あるいは進行形で感じてはいないでしょうか。
 「実験を続けたいのは山々だけど、人間にこんな仕打ちは出来ません!あの
人の心にまで傷をつける事になります。
申し訳ないがどうしても出来ないんで
す。」
 これは「教師と生徒」で教師役を買って出て、途中で監督者を拒否した方の
言葉だそうです。
全ての人の中にこの部分がある、と私は信じたいのです。

分の中にはおそらく「教師」も「囚人」も「看守も」いるでしょう。でもこう
も言えると思います、「神様」「天使」もまた自分の中にいると。そのことを
心から信じたい、と私は思います。
 そう、それが私が一番したい事に繋がっています。
誰かを疑ったり攻撃した
り自分の中にも様々な感情があり痛みがあり、それでも誰かを大切にしたい、
という気持ちをもう一度感じてみたいと思っています。
きれいごとに聞こえる
かもしれませんが、それこそが私たちが人間と言う証である、と言うことのよ
うに、私には思えるのです。
 
★ 参考文献「社会心理学ショートショート・実験でとく心の謎・」
                         岡本浩一著(新曜社)
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