私のヴィジョン 〜どんな老後を迎えたいですか?〜 

「あなたどんな死に方をしたいですか?」
普段は、仕事のことや家庭のことなど目の前のことに精一杯なので、先のことに
まで考えが及ばないのですが、最近になって90歳を越えた祖母や病気の母のこと
を考えたり、知り合いの人が亡くなったり…でときどきそういうことを考えるよう
になりました。


死ぬときってどんな感じなんでしょう?
どこで?
どんな人に囲まれて?
どんな状態で?
どんな気持ちで?
私の場合、浮かんできたのは、2つの死に方でした。
ひとつは、暖かく和やかな感じのよい家で、家族や友達に囲まれて、「あぁ、いい
人生だったなぁ。楽しかったなぁ」と感謝しながら、幸せに死んでいくという死に
方。
そしてもうひとつは、古いアパートの寒々とした一室でひとりぼっちでさびしく死
んでゆき、死んでもしばらくは、誰にも気づかれないという死に方。
先日、「人生のヴィジョンを思い描けない人は、まずは、自分がどんな死に方をし
たいかを考えたらいい」という話を聞きました。
「死」というのは、人生の最後にあるものですから、どんな死に方をするか、には
それまでどんな生き方をしてきたかが反映されるからでしょう。
私が思い描いたよい方の死に方をしようと思ったら、豊かな生活や、家族や友達と
のよい人間関係を持つことが必要だということが、わかります。
そして、「よかったなぁ、楽しかったなぁ」と思える人生ってどんなのだろう?と
考えると私が好きなもの、楽しいもの、喜びを感じるものが明確になって、私が本
当に望んでいる生き方も見えてきます。
これが、「ヴィジョン」というものなのか…と少し納得しました。
そして、もうひとつの悪いほうの死に方。こちらは、私の怖れの部分を表している
なぁと思います。
結婚する前は、一人暮らしの部屋でよく「このまま死んだら、しばらくは誰にも気
づかれないかも…」と考えていたのを思い出しました。
私は、今から、よい方へ向かう生き方も、悪い方へ向かう生き方も両方できるわけ
で、一瞬、一瞬人生の分岐点に立っているんだと思います。
ただ、日々の生活に追われていると、目の前のことしか見えないので、自分がどち
らの方向に進んでいるのかわからないところが、怖いですね。
足元だけ見ながら進んでいって、気がついたら悪い方のゴールの前にいた、なんて
いうことだけは、避けたいです(^_^;
でも、そのためには、ゴールを明確にして、そちらに進んでいくんだ、という意志
を持つことが必要なんでしょう。
だから、「ヴィジョン」を持つことが大切だとよく言われているんだなぁと今頃に
なって納得しました。
「ヴィジョン」というのは、よく聞く言葉ですが、自分のヴィジョンについてこれ
まで、まじめに考えていなかったなぁと思います。
それは、忙しさや余裕のなさ、そして差し迫って必要ではないので、後回しにして
きたせいもあるし、改めてそういうことをまじめに考えるのは、照れくさかったり
、面倒くさかったり…
それに、「こうなりたい」「ああだったらいいのに」と断片的に思うことはあって
も、いざ「ヴィジョン」と考えると何も浮かんでこない感じがしていました。
私にとってあまり縁のない言葉のように感じていたのかもしれません。
しかし、今回こうして考えてみて。実は、私は「ヴィジョン」というものの考え方
がわかっていなかったことと、考える機会を持っていなかったことに気づきまし
た。
「ヴィジョン」がないわけではなくて、そこに目を向けていなかっただけなのかも
しれません。
「ヴィジョン」を持とう!と真剣に思いました。
「ヴィジョン」の語源は「見る」ことなんだそうです。
だから、「ヴィジョン」は、その様子や光景が目に浮かぶように思い描くとよい
と言われています。
死に方を思い描こうとすると、私が先に死ぬのか、夫が先に死ぬのかなどなどうま
くイメージできない部分もあるので、その一歩手前として「どんな老後を過ごしたいか?」を思い描いてみました。
私と夫が一緒に寄り添っている様子は、平和で穏やかで、なかなかいい感じです。
この感覚があるときは、幸せなんだなぁ、ということがわかりました。
何かを手に入れたいときは、それを手に入れたときの感覚を先に感じてしまうと
よいそうです。
平和で穏やかな感覚を感じながら、一歩ずつ、素敵な老後に向かって進んでいけた
らいいと思います。
あなたもどんな老後を迎えたいか、思い描いてみませんか?
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