ネイルが釣具に似ていると言われて ~過去に向き合った怖さが恋の自信につながる~

少し前に久しぶりにジェルネイルをしました。
キラキラした物が好きな私は、すっかりご機嫌になり、彼氏に会った時に言ってしまったのです。

「ねぇ、興味がないのは知ってるけど、可愛くない?」

何人かの方は、これを読んで「よせばいいのに」と思ったかもしれません。
相手に興味がないと知った上で、しかも男性に対して何と不毛な問いかけをしているのか。
その答えを聞いて、どうせ怒るのだろうと。
でも、いくつになっても、可愛くした時には見てもらいたい、あわよくば、せめてカタコトでもいいから「可愛い」と言ってもらいたい…そんな気持ちはわかると言う、優しい方もいらっしゃると思って、このコラムを書いています。

私も、「可愛い」まではいかなくても「そうだね」と言ったりするかなとは思っていました。
でも、彼はいつも私の想像の斜め上の発言をしてくるのを忘れていたことを次の瞬間、改めて思い知らされたのです。

「何かに似てるな…あ、思い出した!」
そう言って、彼が部屋の奥から引っ張り出してきたのは釣りの時に使うルアー。
別名「疑似餌」と呼ばれる、小魚に似せた釣り針でした。
小魚に似ているので、キラキラとプラスチックの鱗が光るんですよね。
久しぶりにしたネイルが釣具に似ていると言われたわけでございます…。

「何でやねん!」と関西の方は突っ込んでくれると思います。
私も一瞬、脱力感を覚えました。
でも、出されたルアーが本当にキラキラしていて可愛くてネイルに似ていたんですよね。
それを見ていると何だか心底、「本当に面白い人だなぁ」と思えて笑ってしまいました。
そして、ふと思ったんです。
「数年前の私なら、今日の彼の言葉を笑い飛ばせていただろうか」と。
いや、絶対無理だったと思います。

20代の彼氏を探していた時期、そこから婚活をしていた時期、両手では足りないくらいの男性と出会ってきました。
結婚相談所に入っていた時期もあったし、アプリを使って出会いを探していた時期もありました。
でも、その頃の私なら、きっと今の彼とはお付き合いすることもなかったでしょう。
なぜなら、あの20代や30代の初めの頃、私の心の中には「我慢」と「怖れ」がたくさん絡み合っていたからです。

誰かと出会う前は、「良い人だと思ってもらいたい」と相手に合わせることや、我慢して一般的に言われている「こういう人は好かれる」をいっぱい私はやっていました。
そして、出会ってお付き合いが始まってからも、「いい彼女」をして、その分だけ相手は長く一緒に居てくれるんじゃないかと期待していたんです。

今思い返すと、「良い人じゃないと好きになってもらえないよ」と自分を責め立てているようなところがあったと思います。
だから、「アナウンサーみたいな服がいい」と言うのも、まるで「そうじゃないとダメ」と声高に責められているように感じていました…なんて怖い世界に住んでいたんでしょう。
それは、本当は「第一印象は大事だから清潔にしていこうね」くらいのアドバイスなんですよね。
もちろん、好きな人の前では、誰も良い人をやってしまうものです。
でも、お互いに相手の色々な面を受け入れていくことで、私達は信頼や関係を深めていきます。
けれど、私は自分のことが嫌いだった分、相手の否定的な言葉にすごく敏感になっていました。
その頃の私のままだったら、彼氏にネイルが釣具に似ていると言われたら「遠回しに嫌い」って言われたと落ち込むか、「そんなこと言う人は嫌」になっていたと思います。

でも、何度も男性と出会って別れてを繰り返している時に、「どうして我慢してしまうのか」と自分に向き合ってみたんです。
そしたら、私の中で別れることをとても恐れていたんですよね。
「傷つきたくない」
「傷つけたくない」
「失敗してしまった」
「きっと、将来道ばたで孤独死する」
他にも、たくさんの感じたくない感情が私の心の中にいっぱいありました。
その嫌な感情を感じたくない、将来そんなことが起こって欲しくないから、我慢して良い人をするんです。
でも、誰かと一緒にいるたびにその感情を感じているなら、心にとっては未来も今もありませんから、恋愛はだんだん苦痛なものに感じてきます。
そうなると「嬉しい」や「楽しい」と言った感情も感じることができません。
そんな自分は女性としてダメな気がして、どんどん自信はなくなって「恋愛とか婚活ってしんどい」とよく感じていました。

もちろん、誰かと一緒にいると我慢や気遣いをすることって大事です。
愛情からくるものだったりしますしね。
でも、過剰にやりすぎて疲れてしまったり、関係性が停滞していると感じるような時、相手に「ムッ」としちゃうことが多くなる時は、自分の中で何か我慢したり、「こういうものだ」と制限を作っているものがないか、「何か怖がっていることがないか」を考えてみてもいいかもしれません。

私は、気付いてからは自分の感じている怖さが本当に起こるのかを考えたりして少しずつ心の中で溶かしていました。
自分の中にある恋愛の価値観や怖れを「本当にそうなの?」「そうなったらどうなるの?」といっぱい問いかけてみたんです。

「傷ついたら、傷つけたらどうなるの?」
「きっと、それでも私は時間が経てばご飯は食べるし、仕事にも行く」
「道ばたで孤独死ってするの?」
「今の日本では難しい…。色んな人と仲良くしたらいい」

もちろん、しんどい時はすぐに答えが返ってこないこともあります。
でも、私自身が怖がっていても自信がなくても、一緒にいてくれる人がいたり、過去に誰かいたのなら、その人には意外とあなたの自信のなさや、怖さも見えていて、それでも愛してくれていたんじゃないかなと私は思います。
きっと、あなたにも相手が自信がなさそうにしていたり、怖がっている瞬間が見えても一緒にいた時はあったんじゃないでしょうか。
「相手も同じかもしれない」
そう思ってあげられると、少し楽になるかもしれません。

私達は、何か怖さを感じている時、自分の感情を相手にどうにかしてもらおうとすると、どちらかが苦しくなってしまうんですよね。
「誰かといても、ひとりでいても、私は自分も相手も幸せにしていこう」
何度も問いと答えを重ねて、そんなふうに覚悟を決めた時、私は初めて自分の中で自信を持てたような気がします。
その頃から、私の男性を見る目や感じ方がたくさん変わっていきました。

今の彼といるとネイルを釣具に似ていると言われたり、たまにびっくりするような発想をいっぱい聞くことがあります。
それを「面白い」と感じて笑える私が、私らしくて一緒にいて楽だなと思いながら毎日を過ごしています。
今は面白く見えていても、いずれ「ムッ」とくるようなこともいっぱいあるんだろうと思います。
でも、そのたびにきっとそれは、抱えている感情を手放してお互いを癒していけるチャンスなんじゃないかと私は考えているんです。

皆さんの今起こっている出来事も、もしかしたらそのための変化なのかもしれません。
あなたの今、抱えている感情はどんな自分や自信に変わってくのでしょう。
そんなふうに考えてみてくださいね。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

お客様からは「話していて安心できる」「気持ちが落ち着く、整理できる」と定評がある。自身の過去のいじめから来る対人恐怖(男性恐怖)、過食症を克服した経験を持ち、繊細な感受性でお客様ひとりひとりの心に寄り添い、どんな時もお客様の魅力と光を見続けるカウンセリングを心情としている。