この1-2年、今までのことやこの先のことを考えることが多くなりました。
それは私がシニアと呼ばれる年齢になったこともあるとは思うのですが、それ以上に年老いた母(今年で90歳)を見るといろんな想いが湧いてきます。
父の死後、25年以上1人で暮らしてきた母ですが、数年前に大腿骨を骨折し足腰も少し不自由になり、軽い認知症も始まってさすがに家での1人暮らしは無理となったので、コロナ渦となった3年半ほど前からグループホームでお世話になっています。
母には(あまりアテには出来ないかもしれない)子どももと孫もいるけれど、私は結婚はしたけれど子どもはおらず、10年ほど前にリコンしてからは独り身なので、母を見ていると、「私が死ぬときはどんなふうに死を迎えるんだろう・・・」という思いが湧いてくることが増えました。
とは言え、どんな死の迎え方が幸せなのか、どのような形がいいのか何もわからないのですけどね。
ただ、最期は私は1人なんだろうと漠然と思っているのが正直なところです。
晩年、母はどんな気持ちで毎日を過ごしていたんだろう、今は何を思っているのだろうと現在の自分自身と重ね合わせて考えるようになりました。
1人で元気に、気丈に頑張ってきていた母ですが、今更ながら、本当は寂しさや虚無感などでいっぱいだったのではないかと強く思ったり、母が元気な時にもっと連絡を取り合っておけばよかったと少し後悔のような気持ちがでてきます。
同時にここまで1人で頑張ってきてくれた母を凄いと思うし有難さも感じます。
私と母の関係は必ずしも良好ではなく距離をとっていた時期もあったけれど、今、シニアとなった私にとって、母が居る(生きている)ということは心の支えでもあったなとつくづく思うのです。
だから、「もしママ(私は母をこう呼んでます)が死んじゃったら私は本当に1人になっちゃう・・・ 」と思い、とてつもなく独りになる怖さが心を占めてしまうこともあります。
どうしようもなく不安になり、そんな時は、「ママが元気でありますように。長生きしてくれますように。」と何度も心の中で祈ることで自分を落ち着かせようと必死です。
現実に向き合いたくないのかなあと、こんな自分を情けなくも思いますけどね。
このコラムの読者の中には、年代に関係なく私と同じようにひとりの心細さや寂しさや虚しさ、怖さなど様々な気持ちを抱え葛藤していらっしゃる方もいるかもしれませんね。
数年前までの私は、母とはそりが合わず話せばケンカになっていました。
私の中では、母は昔から私のことをわかってくれない人。私を否定する人。そういう思いがあったからです。
妹ばかりが可愛がってる
妹が同じことをしても怒らないのに、なんで私は怒られるの?
「もっとちゃんとしなさい。お姉ちゃんなんだから・・・」と言われガマンばかりさせられる
そんな気持ちを子どもの頃からずっと持ち続けていました。
だから、まだ40代、50代の頃の私は、母がいなくなってしまったらという本当の怖さや悲しさを感じることはなかったように思います。
けれども、心理学を学び続け、私が年齢を重ね、母の通った道をたどることで、少しずつ母へのわだかまりが溶けてきたようです。
そして、こんな気持ちが溢れてきました。
母がまだ杖をついていても1人で住んでいた頃、私は帰るたびに母を散歩に連れ出しました。
1人では家の外へはもう出られなくなっていたからです。
杖をついてゆっくりと歩く母なので、転ばないように何十年ぶりかに手をつないだことが嬉しいような恥ずかしいような感じだったり、母は私より背が低いのは知っていたけど、こんなに小さかったっけと思い切なくなったり・・・・
母が安心したような嬉しそうな表情を見ると、ちょっとは役に立てたようで嬉しい気持ちにもなったのに自分でも驚いたよね・・・
10月初旬に母は体調を崩し、現在入院しています。
まだ面会が出来る状態ではないのですが、そろそろ私も腹を括らなければならないのかと実はびくびくしているところです。
ずっとずっと、母に私のことわかってよ、わかってよ、と心の中でずっと叫び続けてきましたが、この数年でその思いから解放され母に対して愛おしく思える気持ちになったことは私の中では大きな変化でした。
(これは私がほとんど介護に関わってないから思えたことかもしれないですね。)
これから私の人生がどう流れていくのかはわかりませんが、柔軟にしなやかに対応していければと願っています。
あなたにとっても、これからの毎日がさらに心地よくステキなものでありますように。
最後までお読みくださりありがとうございました。