祖母は本当に「いじわるばあさん」だったのか?

小さい頃、私は父方の祖母が少しだけ苦手でした。
いつも、ちょっとしたことに文句を言ったりしていました。
でも、それだけなら別に聞き流すことができたと思うのですが、厄介だったのは私の母です。
母にとっては姑である祖母。
何かにつけては祖母に関する愚痴を聞いていた私は、ちょっと祖母は「母を困らせる意地悪な人」だと思ってしまっているところがありました。

祖母は、私が幼少期に暮らしていた家から車で1時間くらいの隣の県に住んでいました。
私が10歳の時に、祖父が亡くなってから、祖母は1人暮らしでした。
昔は、親子6人家族で住んでいた結構大きな家で、1人になった祖母は子供の私からも、ぽつんと寂しそうに見えましたし、実際に本人も口に出して寂しいと、私に言って聞かせることもありました。

祖父が亡くなってしばらくは、父と母と私の3人で月に1度くらいの頻度で顔を見せに行っていましたが、だんだんと2ヶ月に1度、3ヶ月に1度、と、少しずつ祖母の家に行く回数が減ってきているなと子供ながらに感じていました。

あの大きな家に1人でいる祖母を、時々思い浮かべると私は気の毒になって、父と母に『ねえ、そろそろおばあちゃんちに行かないの?』と、何度か言った記憶があります。

そんな風に、ある日、私が今度のお休みに祖母の家に行こうよ。と、言った時のこと。
じゃあ、あなたがおばあちゃんに電話してそれを伝えて、と母が言いました。
私は『わかった!』と言って、意気揚々と電話をかけ、祖母に言いました。
すると祖母が、つっけんどんに、こう言いました。『来たって、食べるものないで。』 と。
あ、そうなのか。
何も考えず私はその言葉をそのまま母に伝えました。

何も食べるものないでー、って言ってるよー、と。
その時、母の顔がこわばったことを今でも鮮明に覚えています。
あれ?もしかして、何かまずいことを言っちゃったかな。
私は戶惑いながら、じゃあね、と言って電話を切りました。
そして、多分その週末は祖母の家に行かなかったのだと思います。

何となく、後味が悪くて、私はもし1人で行けるなら行ってあげたいのに、それができない自分に、もどかしく感じた覚えがあります。
今こうして思い出しても、どことなく切ない気持ちになります。

母は、その言葉から、祖母は私たち家族が来ることを歓迎していない、と受け取ってしまったのだと後でわかりました。
でも、いつも寂しい、また来てね、という祖母がなぜそんなことを言ったのか、食べるものの話なんてしていないのに、どうして?
よくわからなかった私ですが、このことはずっと心の中にありました。

心理学を学び、自分を攻撃していると、人にも攻撃してしまうのだと学びました。

祖母は、子供4人を育てた人ですから、働き者でテキパキ家事ができて、お料理も上手な人でした。
子供たちが一人、一人とそれぞれに巣立って行って、伴侶も見送って。
ひとりぼっちになってからは、ほとんど料理を作っていないと言っていました。
自分のことは後回しで、家族のためにひたすら頑張ってきた人だったからこそなのかも、って思うのです。
独居になり、年をとるにつれ、大勢のための料理を昔の様に作ることができなくなっていったのだと思うのです。

だから、あの祖母の言葉の裏には、もしかしたら、『今はもう、昔の様にたくさんの料理を用意して、みんなをおもてなししてあげられない自分になってしまった』という思いがあったのではないかと思うのです。

決してそんなことは悪いことでもないのに、 それができなくなった自分を責めていたのかもしれない。
そして、そんな自分には価値がない、こんな自分は愛されないと思った気持ちを、心理学で言うところの「投影」をして、私たちも家に来たところでどうせ喜ばないだろう、と思ってしまったが故の言葉だったのかもしれない。

小さな子供だった私は、そんなことないよ、おばあちゃんに会えるだけで嬉しいんだよ!なんて気の利いたことを上手く言えるわけもなく、それどころか、その言葉をそのまま母に伝えてしまいました。

実のところ、母も、あまり自分をいい「妻」ではないと思っていた節がありますから、祖母同様『きっとこんな、至らない妻だから行っても歓迎してはもらえない。』 って思って、姑のその言葉を受け止めたのではないかと思うのです。
母も自分は愛される価値がないと自らを卑下していた気持ちを、祖母に投影して「好かれてはいない」と思っていたわけで、言ってみれば、祖母と母の二人は似たもの同士だったのかもしれません。

ご飯なんて、買えばいいのに。
何なら、外に食べに行ったって良かったのに。
食べるものがないくらい、どうにでもなることなのに。
だけど、『来たって、食べるものないで。』
苦々しそうに、この言葉が祖母の開口一番に出てきた、ってことは、それぐらい、きっと大皿にたくさん盛った得意料理でみんなを迎えてあげたい思いが強かったのでしょうね。

優しい人だったのです。
その優しさが故に、結構、実は自己攻撃をしていて、母にも勘違いをさせる言葉を色々と言っていて、二人は分かり合えず、いわゆる「嫁姑問題」の様な型に、はまってしまっていたのだと思います。

あの時、祖母の思いをわかってあげることができなかった幼い私。
意地悪なことを言うからお母さんがまた嫌な気分になっちゃったじゃない、だなんて思ってしまって、ごめんね。
今なら、そう思います。
祖母は素直に温かい言葉を言える人ではなかったけれど、本当はとても愛情深くて、あまり表には出さないながらも、思いやりと母性のある人でした。

このように、人の発する言葉が「え?なにそれ、意地悪なの?」と、どこか引っかかる感じがしたとしても、それは必ずしも誰かへの意地悪や、皮肉、嫌味ではなく、その人自身の中にある自己攻撃の表れなのかもしれません。

この祖母のたった一言のように、その言葉を解釈する方向が違うだけで起きてしまうすれちがい。特に日本人は言葉が足らず、コミュニケーションが下手なところがあると言われます。
祖母が、『もてなすことはできないけど、それでもいい?私は来てくれるだけで嬉しいよ。』と、ちゃんと気持ちを伝えてくれていれば、母の対応も違った可能性があるわけで、言葉って本当に大事ですよね。
祖母はそれが上手く言えなかっただけで、「いじわるばあさん」だったわけでは決してないのです。

今はもう天国にいる祖母。
もしかしたら天国ではまた、大皿いっぱいに好きなだけ料理を作って、雲の上にいる祖父を始め、親戚一同にいきいきと、思う存分ご馳走をふるまっているかもしれないな、と思います。

この記事を書いたカウンセラー

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