母とのつながりをもう一度

「お母さんが右足を骨折したので入院しました。」
3月上旬、母と同居する姉から連絡がありました。

「会いに行かなくちゃ!」
私は、何のためらいもなくそう思ったのです。
早速、病院へ連絡し、面会の予約をしました。
コロナ感染症対策のため、15分間のリモート面会だそう。
しかも、病院内のリモート室と母がいる病室とに別れるとのことでした。

母の入院する病院までは、車で1時間半かかります。
道中を運転しながら、
「母と会話が続くだろうか?」
と、15分という時間が長く感じられ、同室の方々や母への手土産を選んでいた時には感じなかった不安が出てきました。

母に会うのは実に3年ぶり。
コロナ禍以降、一度も母の元を訪ねなかったという、気まずい気持ちもでてきました。

けれど、姉から知らせを受けた時に、
母ともう一度 “つながる”機会がやってきた
そう感じたことを思い出しました。

全ての問題は繋がりが切れているところから始まる、と言われています。
私は、長い間、人との関係に悩み、結婚してからは夫婦関係や子どもとの関係にいくつも問題を持っていたのです。
それは、誰かとの“つながり”が切れていたからでした。

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心理学を学び、私が初めて“つながり”を切った人は、母だったということがわかりました。
「なぜそうなったのか?」
私は、その理由を探すために、幼少期から成人するまでの記憶を辿っていきました。

私は子どもの頃の母を、感情表現が乏しい、言葉数の少ない人のように感じていました。
ただ、子供を叱る時だけは、別人かと思うほど怒りを露わにするのです。
母に叱られて泣くと、「泣くな」とまた叱られる。
終いには、家から出されて夕食を抜かれることも度々あり、恐い人とも感じていました。
それと同時に、若くして夫に先立たれ、苦労している母を見て、
たいへんそう、かわいそう、
そんなふうにも感じていました。

そんな母を助けなければ、役に立たなければと、母に迷惑をかけないように、私は自分で何でもするようになりました。

本来、子どもには、母親に甘えたいという依存心があります。
私はその甘えたい気持ちを抑圧し、「なんで母親らしいことをしてくれないんだ」と、母に対しての怒りも抑圧していたようでした。

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病院のリモート室に着いた私の胸はドキドキしていました。
面会が始まると、多少白髪が増えた、以前と変わらない母がいました。

「美子、元気にしてた?
〇〇ちゃんたち(娘)は元気なの?
久宝さん(夫のこと)はどうしてる?」

長いと感じていた15分はあっという間に過ぎて、
「美子の顔を見て、安心したわ」と最後に母が言ったのです。

まさか、そんなことを言う人ではなかったはずなのに。
その瞬間、私の心の中に温かいものが流れてくるような感覚がありました。
すると、画面に向かって大きく手をふっている私がいて、それを見ていた母も笑顔で手をふっていた。
童心に返り、もともとあった母の愛を感じました。

ずっと、母は私のことを気にかけてくれていたのです。
口数の少ない母が、私に繋がろうとしてくれていました。
昔と変わらない温かさを思い出し、母に対する誤解が解けたのです。
やっと、大切な人と、もう一度つながれた。
恥ずかしさより、ようやく何かを終えたような晴れ晴れとした気分でした。

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私たちは、人とつながることで、幸せや安心感を感じられるのです。
それが、親や兄弟、パートナーなど、自分の近しい人であればなおのこと。
ただ、誰しもがほしいと思っているものなのに、傷ついた感覚を持っていると怖くなるんですね。

私たちは、人に、自分の期待を満たしてもらうことが“つながり”だと誤解していることがあります。

“つながり”というのは、誰かが自分のことをわかってくれた、受け入れてくれた、そんな時に感じるのです。

“つながり”は、相手と自分との間に、架け橋をわたすようなものだと表現をすることがあります。
もし、つながりが欲しい、つながりを作りたいと思っているなら、あなたは誰の心に橋をかけたいのでしょうか?
その誰かを思い浮かべ、まずは、自分からその相手に与えていく。
自分から、その人の心に橋を渡していくことで、きっと“つながり”は生れます。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

様々な困難を自分の中に受け容れ、乗り越えた経験に基づく懐の深さは、ジャンルを問わず幅広い世代から支持を得ている。感性と直観を活かし、「言葉で表せない気持ちを言語化してくれる」と定評がある。「しなやかに生きる」をモットーに、自己価値の見直し、自己実現に向けたカウンセリングを提供している。