困っている人に手を差し伸べる勇気 〜結果が出なくても、あなたは素晴らしい〜

見て見ぬふりをしないためには、自分を丁寧に承認する必要があります。

困っている人に手を差し伸べない人が優しくないわけではありません。
誰かを助けたいけれど身動きが取れないのは、普段から行動には結果が伴わなければ意味がないと思っているのかもしれません。勇気をもって物事に挑戦するときに必要な心構えは、良い結果を出すことだけではないようです。

電車でお年寄りを見かけたときに「どうぞ」と反射的に席を立つような人もいれば、席を譲ろうかな、どうしようかなと悩んでいる人もいますよね。

すぐに席を立つ人も、悩んでいる人も、どちらもお年寄りを見て「席を譲ったほうがいいんじゃないか」と思ったとしたら、その時点では同じように優しい人と言えるのかもしれません。

席を譲ろうかどうしようかと悩むとき、席を譲りますと声をかけて「(年寄り扱いするな!という感じで)私は大丈夫です。」と言われたら嫌だな、と思うかもしれません。
せっかく声をかけても、差し出した手を振り払われたら悲しく感じることがあるからです。
自分は若いと思っている人のことを年寄り扱いしてしまったとしたら申し訳ないし、声をかけていいのかな、どうなのかな、と思うかもしれません。

そうこうしているうちに、誰かが席を譲ったとします。

「あーよかった。」とほっとすると同時に、勇気が出せなかった自分をふがいなく思うかもしれません。

私たちは子どもの頃から家庭や学校などで、正しいことをすれば褒められ、間違ったことをすれば叱られるということをしつけとして繰り返してきたのではないしょうか。

褒められると、自分には価値があると言われているように感じ、親や先生などから愛されているように思えて嬉しいものです。

反対に叱られると、自分には価値がないように感じ、愛されていないように思えて、辛く悲しいものです。
そのため子どもの頃は、親の言いつけを守ったり、必死に勉強をしたり、いい子になって褒められようと努力したかもしれません。

私たちは成長したあとも、「結果が出せなかったら意味ないでしょ。」という思いで必死に努力をしている方もいらっしゃるでしょうし、目的があるときはそれもいいかもしれません。

しかし、良い結果を出すことだけがいいことだと思ったり、間違いはしないようにしようという思いが強すぎると、私たちは失敗を怖れる気持ちが強くなることがあるようです。

失敗というのは、正解・不正解、合格・不合格などが明確な場合だけでなく、物事がスムーズに進まないことがあると、それを失敗であると捉えてしまうこともあるようです。

電車でお年寄りに席を譲ろうとしたときに
「(私はそんなに年寄りではないので)お気遣いなく。」と言われたり「次の駅で降りますから大丈夫です。」と言われたとしたら、それは単にその方が席を必要としていなかったというだけのことなので、「そうですか」と言ってまた元の席に座ればいいはずなのです。

ところが、「席を譲ろう」とした目的が達成されず、助けようと思った好意が受け取られなかったことが失敗であると思ってしまうと、そんなことになったら恥ずかしいとか情けないと思ったりするので、声をかけることに勇気が持てないことがあると考えることもできるのです。

とはいえ、お年寄りを見かけたときに「席を譲ったほうがいいかも」と思えるほど優しい人なので、勇気が持てずに声をかけられない自分を小心者のように感じてしまい、声をかけないことで自分を責めてしまうこともあるかもしれません。

私たちには「罪悪感」と呼ばれる感情があります。自分は罰せられるべきだと感じる感情と言われています。
この罪悪感には大きく分けて二つあり、何か悪いことをやってしまったときに感じる罪悪感と、やるべきことをやっていないときに感じる罪悪感があります。

そしてやるべきことをやっていない罪悪感のほうが、より私たちを苦しめるものだと言われているのです。
心優しい人が、困っている人に手を差し伸べようと思っても差し伸べられないときに感じる嫌な感情は、この「やるべきことをやっていない罪悪感」のひとつであるともいえるのかもしれません。

では、人に手を貸したいけれど勇気が持てない人が、勇気を出せるようになるために、何ができるでしょうか。
間違えることや失敗を怖れるのは、絶対に失敗をしてはいけないと考えているからと言えるのかもしれません。
絶対に失敗をしてはいけないと思うと恐怖を感じるので、物事に挑戦しづらくなります。

私たちには、物事の結果だけを見て、できた・できない、と判断することばかりではなく、そこに至るまでに努力をしたこと、挑戦したこと、誰かを思いやったことにも大きな価値があるといえます。
賞賛されるような結果をともなったときだけでなく、結果が出なくても素晴らしいのです。

何もしてあげられなかったとしても、困っている人を見かけたときに、まず何かしてあげられないかなと考えたあなたは素晴らしいのです。
次にもし声をかけられたならば、あなたから相手に関わろうとしたことがまた素晴らしいのです。
そうやってひとつひとつ、結果だけでなくそれ以外の、あなたの素晴らしさを認めてあげましょう。

(了)

この記事を書いたカウンセラー

About Author

職場の人間関係、夫婦・家族の問題を主に扱う。 「解決したい問題がある時に、悪いところを探して正そうとするのではなく、自分の魅力や才能を受け取れば物事を全く別の見方で捉えることができ、自分の枠から自由になり、のびのびと楽に毎日を送れるようになる」というスタンスでカウンセリングを行っている。