5月の涙は、乗り越える力

「お母さん……」
大型連休を終え、学校から帰ってきた途端、なにも言わず涙しはじめた娘。

私は、娘を抱きしめ、
「泣いてもいいよ。頑張っているよ。愛しているからね。大好きだからね。大丈夫だよ」
と、伝えましたが、「5月病」というキーワードが頭にちらつき、動揺した経験がありました。

■5月と5月病

4月の進学や入学の時期を迎え、人によっては新しい環境、新しい制服を着ているお子さんもいると思います。そこでは、新しい友達、新しい先生の出会いもあったことと思います。新しい環境、未知なことへのときめきや希望を感じる反面、どのお子さんも程度の差はあれ、緊張や不安もあることと思います。

また、学年が上がればあがるほど、周囲から求められるものも増えていきます。その環境のなかで、お子さんも思っている以上に緊張して、頑張っているのかもしれません。

・緊張と緩和と

徐々に新しい環境に慣れてきた頃に大型連休があります。大型連休は楽しめたり、ほっとしたり、のんびり過ごせる大切な時間かと思います。
でも、お子さんによっては、新しい環境への過緊張と、大型連休での緩和によって、うまく調節できず、はりつめた糸がきれてしまったようになってしまい、疲労がでてきたり、元気がなかったり、落ち着きがなかったり、学校や園に行きたがらなかったりと、心身の不調が出てきやすい時期でもあります。
また、年々、5月の気温が高くなっており、暑さにも慣れていないこの時期が最も熱中症になりやすく、体の疲れも出やすいのかもしれません。

・大人でも…

新年度を迎え、大型連休が明けたものの、
「会社に行きたくない」
と、感じたり、こどもたちをやっとの思いで送りだした後、ぐったりしてしまって、なにもする気が起きなかったりすることもあるのかもしれませ

 

■心をむけてあげるということ

もし、お子さんから学校や園に
「行きたくない」
と、訴えられたり疲労や不調が続き、もし親御さん側に余裕があるのであればぜひ、
「なにかあった?」
と、少し心を向けてあげて、お子さんの話しを聴いてあげてほしいなと思います。うまくお子さんも話せないときがあるかもしれません。
「いつでも話してね」
と、待っているお気持ちを伝えてもいいのかもしれません。

・不安に飲み込まれそうになるとき

お子さんに涙されると、親御さんも動揺するものかもしれません。私もついつい娘の涙に
「なにもできない。もっとやってあげられることはないのか。もっといえば私自身の落ち度はなにかなかったのか」
など、正直、一気に不安にもなったりもしてしまいました。

 

■親御さんも、見守ってもらっていい

お子さんを育てることは、楽しいこともあれば、わからないこともたくさんあることと思います。不安や苦しさを感じる日もあることと思います。そんなときは一人で抱え込まず、誰かに話を聴いてもらったり、見守ってもらってもいいのかもしれません。
私も夫や、信頼する友人に話を聴いてもらいました。

◦受け取ったものを、与える

わかってもらったり、共感してもらったりして、安心することで、不安に飲み込まれた自分自身の本来の力が戻ってきたのです。そうすると
「今度はこどもを信じたい」
と、自分の内側から湧いてくる力みたいなものを感じました。
「ただ聴いてもらう」「大丈夫だよ」と言ってもらうことのパワフルさを感じると、受け取ったものを、こどもにも与えたいなと、改めて思ったのです。

 

■愛か怖れか

心の世界は、愛か怖れしかない。心理学の一つの考え方ではあるようです。
そういう意味では、心配というのも、愛ではないのかもしれません。でも、私自身も最初
「心配は愛ではないのかもよ」
そんな言葉をはじめて聞いたときは、私は強い心理的抵抗がありました。というのも、私自身、親から心配してもらうことで親の愛情を感じてきた経験もありました。また、親としてこどもを心配するのは当然なのではないかという反発心もありました。もちろん、心配のすべてを否定するつもりもありません。心配も愛の一つの形態でもあると思いますし、お子さんを心配するという思いのあるとてもいい親後さんだなと、私は思うのです。
でも、もし、過剰に心配してしまうと、実はお子さんの負担になるケースも実は多いようなのです。

・「心配だよ」と、「大丈夫だよ」

「心配は、愛ではないのかもしれない」
ということが、いったいどういうことなのか、少し体感してみませんか。親御さんから
「とにかくあなたのことが、心から心配で心配で……」
と、ものすごく苦しそうに、不安に飲み込まれたような目で、ずっと見られていると感じてみて下さい。どんな感覚がしますか。

「大丈夫!あなたならできる。でも本当に辛かったらいつでも力になるよ」
と、信頼して見守ってもらうと、どんな感覚がしますか。

 

■「自分をみてもらっている」という感覚

心配されているのと、信頼されているのと、どちらが自分自身の力が内側から湧いてくるなと感じますか。どちらが、本当にちゃんと自分自身を見てもらっているなと感じますか。どんなふうに見てもらっているとき、自分らしくいられたり、信頼されている感覚がありますか。
本当は、どんなふうに愛されたり、見てもらいたかったでしょうか。

・心配と、過小評価

時には心配でもいいから見てもらいたかった。そんな思いもあるかもしれません。でも、常に親御さんに心配されて育ったお子さんは
「親に心配されるのにふさわしい自分であり、自分はその程度なのかもしれない」
と、どこかで過小評価してしまったり、自分自身を信じられなくなってしまう傾向にもつながりやすかったりします。

 

■本当の不安の根っこは

お子さんを見守っている親御さん自身も、今現在なにか不安や痛みを抱えていたり、成長の過程で未消化となっている痛みを抱えていることが多いようなのです。本当の不安の根っこは、「お子さん自身」ではなく、「親御さん自身」だったケースも非常に多いのです。

・実際のカウンセリングでも

お子さんのことでご相談くださったケースでも
「今、なにか親御さん自身が不安を抱えていますか? または、今のお子さんと同じくらいの年齢のころ、ご自身もなにか大きな痛みとなる経験をしましたか?」
と、お聞きすると、
「実はあります」
と、お答えくださることがほとんどだったりします。

 

■癒しのチャンス

私自身も5月には涙の思い出があります。大学受験をなんとか合格し、喜びの4月を迎えました。でも、大型連休あけ、過緊張から解放されたからなのか通えなくなってしまった経験がありました。
娘の涙から、あの当時の自分自身の痛みや苦しみと未来への不安が一緒になって、噴き出してしまったのだと思います。
ただ、思い返すと、当時の母は私を女手一つで育ててくれていたので、もっともっと本当に苦しく悩んだのではないかなと思います。それでも母の見守ってくれていた眼差しや、待っていてくれた愛や思いも同時に思い出し、母の強さや、母への感謝を改めて感じました。

・あんなにひどかった私も

当時の私はかつてだいぶ荒れた5月を過ごしました。自分自身が嫌で、たくさん泣きました。でも、そんな私も社会に出ることもでき、結婚し、こどもも授かりました。5月の涙は、乗り越える力そのものなのかも。だからこそ、自分自身のことも、こどもたちのこともなんとかなる。何度でも信じてみよう。そんなふうにも思ったのです。

 

■信頼する

娘も、おかげさまで、元気に学校にも通っています。信頼すること、子ども自身に乗り越える力があることを思い出させてくれました。
それは同時に、私たち親自身にも
「泣いてもいい。そして、私たちには乗り越える力があって、大丈夫なんだよ」
ということを、こどもたちから見せてもらえたという大きなギフトを受け取ったなと私は思います。

また、親がこどもに対して
「こうなるのではないか、ああなるのではないか」
という想定を、こどもたちは「過去でもなく、未来でもなく、今を生きる力」とともに、どんんどん超えてくれるものだなとも、思っています。

・親とこどもは親子だけれども、別の人間だから

ついつい、自分のこどもだからと、同一視してしまうこともあるかと思います。でも、親子といえども、お互い別の人間です。お互いまったく別の経験をし、別の人生を生きています。ともに生きるなかで、お互いの違いも、
「いろいろと感じたりしながらも、乗り越えたりするんだな、すごいな」
と、こどもたちを小さく見積もることなく、こどもたちの持つ力を信じてみることがとても大切なのかもしれないと、こどもたちの強さや才能や乗り越える力を感じた経験となりました。

みなさまの何かのお役に立てることがあれば嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。

来週は、小川のりこカウンセラーです。
どうぞお楽しみに。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

発達障がい児の子育ての経験から、生き辛さの根っこにある未消化な思いや痛みに穏やかに寄り添い隣で支えることを大切にしており、 「話すことのすべてを大切に聴いてもらえる安心感」がある。 あらゆる人のなかにある豊かな才能・魅力に光をあてることで、生きる力を一緒に育てるカウンセラーである。