心を癒やす

「心を癒す」こととは、精神的な疲れや心の傷を緩和し、あるいは無くすこと

「心を癒す」こととは、精神的な疲れや心の傷を緩和し、あるいは無くすことです。
精神的な疲れや心の傷は「受け容れがたい」と感じたことにより生じます。
本文では、なぜ受け容れがたいと感じるのか、失恋を例に解説しています。そこには自己価値の問題や自責の問題が影響を及ぼしています。

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「心を癒す」こととは、精神的な疲れや心の傷を緩和し、あるいは無くすことです。

ご存知の通り心と体は繋がっていますので、心の癒しは肉体的な癒しにもまた通じるものがあります。

精神的に楽になったら胃が痛まなくなった、失恋から立ち直ったら食欲不振が解消されたなどの話はよく耳にしますね。また、心因性難聴や手足の痺れなど身体表現性障害と呼ばれる病気が良くなったり治ったりもします。

心が傷つく直接的な原因は近親者の死や失恋、いじめや人格否定、失職や戦争体験など様々ですが、これらのより根本的な原因を考えると、総じて「受け容れがたい真実」に対する抵抗(防衛)ということがとても多いのです。

ここで、敢えて“真実”という言葉を使ったのには意味があります。

“真実”というのは“事実”とは異なり主観が入り、事実はあくまでも客観的だからです。

例えば“真実”は「真実を打ち明ける」「真実を告白する」などそこには人の目を通した捉え方が入り込んでいます。

一方“事実”は「事実に反する」「事実が判明する」など起こった出来事に対して客観的な捉え方です。

より具体的には、AさんはBさんに迷惑をかけたと思っているとします。これがAさんから見た“真実”です。

ところが、BさんはAさんに迷惑を掛けられたとは思っていなかったとします。

そうすると、事実としては、AさんはBさんに迷惑をかけていないことになります。

このように、同じ1つの事象を捉えるとき、真実と事実では異なるのです。

 

さて、従って「受け容れがたい真実」を受け容れたときに心理的抵抗がなくなるので、心は癒されることになります。

例えば、失恋をしたと考えてみましょう。

失恋をした多くの人が抱く、受け容れがたい“真実”は2つあります。

その1つ目は「もう2度とあのような素敵な人が現れない」「もう、あの楽しい時間は戻ってこない」「私のことを愛してくれる人はもういない」などという将来に対する絶望の気持ちです。

2つ目は「あの時にこうしておけばよかった」「あの時にあんなことさえしなければ」「あの人をわかってあげられなかった」など自分を責める気持ち(自責)です。

1つ目の、将来に対する絶望の気持ちについては、自己価値の問題と大きく絡んできます。

例えば、失恋してもその翌日にはもっとグレードアップした素敵な恋人が現れることが分かっていれば、今回の失恋は“受け容れがたい真実”ではなく、多少腑に落ちる時間は必要かもしれませんが“失恋したという事実”になって受け容れることができるようになります。

「そんな人が現れるわけない」と思っていることこそが、受け容れがたい原因を作り出しているのです。

ではなぜ、誰にもわからない未来の事柄であるにも関わらず、「そんな人が現れるわけない」と思うのでしょうか。

1つは「こんな私に現れるわけない」という自己価値の低さです。

「私はとっても素敵だから色々な人が集まってきて選り取り見取りよ」と思っていたとしたら「こんな私」という自己否定的な考え方は出てきませんね。自己肯定感を高めることがとても大切になってきます。

2つ目の自責については、成人してからの体験も影響をしますが、幼少期の生育環境に由来していることが多く見受けられます。

子供の頃に助けたかった誰か(例えば、父や母など)を助けられずに「自分が悪い」と誤解をしたり、「あなたが悪い」という趣旨の刷り込みをされたりして、そのように思う癖がついてしまうのです。

恋人や夫婦間の関係性はどちらか一方が悪くてどちらか一方が正しいということではありません。そこには関係性が近い分だけ、お互いが持っている問題や課題が普通の人間との関係性よりデフォルメされた形で表れてくるのです。

その結果、相互干渉的な影響を及ぼしあってお別れする結果を招いてしまうのです。このことが理解できれば、何も自分のせいだけでお別れするという結果を招いたわけではなく、お互いの関係性の中で結果がそうなったという捉え方ができるのではないかと思います。

ただ、更に心理的に深めていくと、「いい」「悪い」ではなく、私が解決しなければならない「課題」がそこに横たわっていることがわかってくるかもしれません。

 

私たちが行うこと全ては自己表現です。

言動はもとより、表情や服装など全てが自分の内側から醸し出される自己表現です。そしてそれは自身が作り上げている自己概念(自分はどのような人間だと決めているか)でもあります。

人との関係性や自分自身の課題を解決する過程では、その課題が人や自分に及ぼす心理的影響も理解しつつ進んでいくとここそが、実は全ての心の癒やしにつながっているのではないかと私は思っています。

ちなみに、心の課題を探求する過程では、この既成概念による「よい」「悪い」のジャッジがブレーキになるので、先ずは「よい」「悪い」のジャッジ自体を手放してみる(捉われなくする)ことが必要です。

思えば、私たちはなんと多くの様々な既成概念の中で自分の身を守りながら生きてきているかと驚くばかりです。

更に言えば、私たちはなんと多くの様々な既成概念の中で自分を縛りながら生きてきているかと驚くばかりです。

(完)

この記事を書いたカウンセラー

About Author

大谷 常緑

恋愛や夫婦間の問題、家族関係、対人関係、自己変革、ビジネスや転職、お金に関する問題などあらゆるジャンルを得意とする。 どんなご相談にも全力投球で臨み、理論的側面と感覚的側面を駆使し、また豊富な社会経験をベースとして分かりやすく優しい語り口で問題解決へと導く。日本心理学会認定心理士。