自分自身を見失っしまう理由とその処方箋

自分自身のことがよくわからなくなったときは

カウンセリングの現場にいますと恋愛、夫婦、仕事、学業、未来のこと、自分自身についてなどさまざまなご相談の中で「自分のことがもうよくわからなくなってしまいました」というなお声を伺うことがあります。今回は、どうして自分自身を見失ってしまうのかの理由とその解放についてお伝えします。

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「自分のことがもうよくわからなくなってしまいました」

カウンセリングの現場にいますとこのようなお声を伺うことがあります。このお声は恋愛のこと、夫婦のこと、仕事のこと、学業のこと、未来のこと、自分自身のこと、さまざまなご相談の中で伺うのです。

例えば

「自分なりに彼や夫(彼女や妻)のためにどれだけ愛情を注いでも、相手にことごとく跳ね返され失恋した」

「数ヶ月かけて練りに練った渾身の企画を上司に門前払いのように扱われた」

「会社のためにに目一杯努力を重ねてきたけれど、思うような結果が出せず社員や取引先に多大な迷惑をかけてしまった」

「親の期待にも答えたくて、なんとか志望校にと頑張ってみたが、結果不合格だった」

このような事例はたくさんありますが、共通している部分は「自分なりに目一杯与えた(努力・奮闘した)けれど、いい結果が出ず、むしろその結果に打ちひしがれてしまった」という部分でしょうか。

それはまるで「心がポキっと折れた」ような感覚が伴うようなできごとです。

それから「自分という存在に何の意味があるのだろう」と自分を疑ってしまい、よくわからなくなってしまうことがあるのです。

 

○感情の麻痺と防衛

私達の心は、自分にとって耐え難い感情を感じる状況に置かれると、その感情を感じないような反応を見せます。

これを心理学では防衛と呼びます。

例えば、自分なりにベストを尽くしたけれど思う結果が出なかったことで無力感を感じたり、自分を疑うとしたら、この状態からなんとか逃れたいと思うものなんですよね。

その時よく起きる反応の代表例が「抑圧」です。自分の感情を感じないようにギューッと押し込めてしまうのです。

このとき「もう辛い思いをしたくない」という気持ちがそこにあるものです。自分が経験した辛い気持ちを受け入れるぐらいならば、感じないようにするのです。

このとき「まるで感情を麻痺させる」ような状態になるのですね。

感情が麻痺すると、実際何も感じません。感じないから辛いとも感じない、というわけです。

ただ、感情が麻痺してしまうと感情を感じられないわけですから、いわゆる喜び、ワクワク、ドキドキ、バイタリティなどは感じなくなっていきます。

いわば、無気力状態になることもあれば、何も感じないロボットのようなイメージに近くなることもあります。
表情もなくなり、自分でも何を思っているのか、何を考えているのかが分からなくなります。この状態が自分が何者かよくわからなくなっている状態だと言えるのです。

ただ、感情が麻痺していたとしても、その感情がなくなったわけではないんですね。「もうあのときのような辛い思いはしたくない」と思って感情を抑圧しているからこそ、過去に無力感を感じた状況と同じようなシーンからは逃げ出したくなります。

だから、もうチャレンジしたくない、もう頑張りたくない、どうしたいかわからない、などと思うことがあるのです。

その時、感情を麻痺させるために使われるものが「怒り」です。だから、どれだけ自分が分からなくても、怒りだけは出てきてしまうこともあります。

 

○麻痺した感情に愛を贈ることが癒やしにつながる

このような麻痺した感情を扱う方法は様々ありますが、とかく今回取り上げているような「自分のことがもうよくわからない」という状態の場合は、より丁寧に自分を向き合っていくといいんですね。

特に「自分のことがよく分からない自分を責めない」「つらい思いをしたくないと感じている自分を否定しない」という視点は大切です。

「何事も頑張ればいいってわかっているんですが」というお声もよく伺うのですが、いや、今なにかの目的に向かって頑張れているならきっと感情も麻痺していないでしょうし、無力感などの感情も乗り越えられているのでしょう。

このようなときに求められているのは「自分のことがよく分からない」「もうあんなつらい思いをしたくない」と思うほどに、自分自身が努力したり、誰かに与えてきたという事実をもう一度取り戻すことです。

与える意識、愛する意識、期待に応える意識、なにかしらの「自分以外の人への思い」がなければ、強い無力感や自分への疑いに襲われることはなく、麻痺させようとする感情とも出会わないはずなのです。

それは「失敗した」「苦しい現実から逃げた」ということよりも、「どれだけ苦しくても自分の限界まで諦めなかった」と理解することもできないでしょうか。

このようにもう一度自分自身に向かって理解を示し、自分を受け入れる姿勢を見せることが「よくわからなくなった自分自身を取り戻す」プロセスになります。

とくに「もうあんなつらい思いをしたくない」いう思いから生じた「感情の麻痺」には、批判ではなく愛を送ることが求められます。

麻痺した無力感に対して、愛(理解)を贈ることができると、「そもそもの自分の姿」が見えてきます。

麻痺した悲しみに愛を贈ることができれば、その悲しみこそ「大切な人を心から思いやり愛しそうとした」という本来の気持ちの裏返しなのだ、と理解できるようにもなります。

そこで徐々に「本来の自分」を感じ、取り戻すことができるようになっていきます。

そのときには、今まで麻痺させていた感情を取り戻すこともでき、イキイキ、ワクワク、喜びといった感情を感じることも可能になりますし、ときには一度諦めかけた希望、勇気、愛などを感じて、人生を今よりも更に素晴らしいものへと変えてくれます。

このプロセスを歩む秘訣は、ただただ丁寧に自分の心と向き合うこと。時にはちょっと切ない気持ちに出会うこともありますが、丁寧に自分を見つめることなのです。

(完)

この記事を書いたカウンセラー

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年間400件以上の面談カウンセリングを行う実践派。「男女関係向上・男性心理分析」「自信・自己価値向上」に独特の強みをもち、ビジネス・ライフワーク発見なども対応。明快・明晰かつ、ユーモアと温かさを忘れない屈託のないカウンセリングは「一度利用するとクセになる」と評され、お客様の笑顔が絶えない。