1人の女性として母を見る

私は長年、自分の母親に対して、怒っていました。
母のことが嫌いでした。

「なんで、お母さんはちゃんと料理をしないんだろう。お友達のお弁当はカラフルなのに、私のお弁当は茶色くてかわいくない。」

そんな子供の頃に思った沢山の文句を、ずっと大人になっても引きずっていました。
母にやって欲しいこと、認めてもらいたいこと、受け取ってもらえなかった色んな気持ちが、長い間、心に重く残っていました。

カウンセラーを目指して心理学の勉強を始めると、子供の頃の親との関係性が人生の基盤になっていると何度も目にしました。

心理学の勉強のため、嫌々ながら子供の頃の親との関わりについて考えると、私に関心がない母親のことばかりを思い出しました。

学校で習ったこと、友達との出来事、そんな些細なことを聞いて欲しいと思っていましたが、聞いてもらった記憶がありません。

良い子にしてたら興味を持ってもらえるだろうかと、勉強を頑張ったり、運動会で1位を取ったりと努力をしましたが、母の態度に変わりはありませんでした。

そのうち、頑張っても変わらないのだと、私は母親に話を聞いてもらうこと自体をあきらめ、母親から距離を取るようになりました。

そんな時期に私に初潮が来ました。

その頃の私は、母とあまり会話をしていなかったので、自分に生理が来たことを話しにくいと思いました。
最初は自分で下着を洗い、母には言わずに隠していましたが、自分では対応できなくなり、何日か経ってから母に相談をしました。

あの時に、家に生理用品があれば、もっと長い時間私は隠したままだったと思います。

実は、母は私が小学1年の時に病気で子宮を全摘出してからは生理はなく、家には生理用品が置いてなかったのです。

今の私は、母が手術をした年齢よりも、歳が上になりました。

今、お腹に手を当てて、「ここに子宮がないとしたら。」
そう考えただけで、とても悲しい気持ちになりました。想像するだけでも、
怖くなりました。

私は母が入院中、母方の祖母に預けられていました。
祖母と私は会話らしい会話をしませんでした。
祖母は口数の少ない人で、孫の私と会話をすることもなく、テレビばかりを見ているような人でした。

きっと、母も自分の母親と会話をしていなかったのだろうと、今になって思います。

母は私に関心がなかったというよりも、親子としての関わり自体を知らなかったのだと思います。
やり方を知らなかったのだと思うのです。

母は自分の親との関係が悪かっただけでなく、夫婦の仲もよくありませんでした。
私の父親、母の夫は、お酒ばかり飲む人でした。
家にきちんとお金も入れていなかったようです。

私は父から、母が入院する前に「子供が2人いるお母さんには、もう赤ちゃん用のお部屋が無くなっても大丈夫なんだ。子宮が無くても大丈夫なんだよ」と言われました。

父は命に係わる病気ではないという意味で言ってくれたのだと思いますが、子宮を取った当人の母には辛い言葉だっただろうと思います。

そんな父が病気の母親に寄り添っていたとは思えません。
母は頼る人もなく、入院中はずっと1人だったと思います。
そういうことも子供の私には、分かっていないことでした。

私も大人になり、結婚をして、子供を持ち、母と同じような立場になって、少しだけですが母の気持ちを想像して、理解することが出来るようになりました。

自分の母親や、夫の助けがなかった母は、母なりに頑張っていたのだろうと思うのです。

母に対して文句ばかりを言っていた私ですが、今では母親の頑張りを認められるようになりました。
「お母さん。お疲れ様。」って言ってあげたくなります。

私の母は、今の私と同じくらいの歳で離婚しましたが、60歳を過ぎてから再婚しています。
私がロマンスに生きるところは、母親譲りなのかもしれません。
母親のことが嫌いだ、嫌いだと言いながら、似ているところもあるのです。

母を母として見るのではなく、1人の女性として見ると、一生懸命に生きてきた姿が見えます。

母のこれからの人生を新しいパートナーと共に幸せに過ごして欲しいと応援したくなります。
頑張って生きてきた母に、これから素敵なことがたくさんありますようにと思うのです。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

森本 みすず

夫婦関係を再構築した経験から、パートナーシップの課題を越えることは幸せに繋がると実感し、豊かなパートナーシップを望む女性を応援している。クライアントの言葉にならない思いに共感し、感じ取ることを得意とする。女性ならではの包容力は「すべてを受けとめてもらっている安心感がある」と好評である。