●心の中に誰かを入れる時

先日母方の祖母が亡くなりました。
祖母は私が大学生ぐらいのときに、認知症
の症状が始まり、引き取ってしばらく一緒に同居していました。
当時の私は頭の中では祖母が認知症と理解しているのですが、心では理解でき
ずにきつく当たってしまったこともしばしばありました。
その後、運良く老人ホームに入ることが出来、ホームの方もとてもよくしてい
ただいていたのですが、体調を崩してからはどんどん症状がひどくなって、こ
うなると、娘である母が行ってもわからなくなり、一人では食事も取れない状
態にまでなっていました。
そんな状況で、最後の最後まで祖母に優しくする機会を失ってしまったような
気がします。
本当はお見舞いに行っただけでも、その思いは通じているのかも
しれませんが、心の中ではごめんねの気持ちの方がいっぱいだったのかもしれ
ません。
祖母が亡くなったとき、私はちょうど旅行中でした。
家族が気を使ったのか、
全て式を済ませてから私のところに連絡が来たんですね。
その連絡を受けて、祖母が亡くなったと言うとても悲しくショックな気持ちと、
ちょっと寂しい気持ちがありました。
祖母が亡くなったところで、すぐに行け
るかわからないけど、家族なんだからすぐに連絡してくれても良いのにと。
そこで、思い出したことがありました。
「役立たず」とか「自分がいなくても良
いんだなぁ」と言う感情です。
子供の頃の私は、(というよりも、つい最近までなのかもしれませんが)いつも
この感情と一緒でした。
「私がいなくても誰も何も困らないし、悲しくもない」
と言う感じですね。存在していても存在しなくても誰も何も気が付かない感じ
です。
今でも覚えている出来事があります。
高校生の時、父方の曾祖母が亡くなった
時の事です。
喪主である父、その妻である母、跡取りである弟は遺影を持ったりして家の代
表として前の方を歩くことになりました。
どう見ても、人手はそこまでで、自分は余っているなぁと思った私は、自分は
どうしたら良いのかと聞くと、「後ろから祖父(母方の)と一緒に歩いてきなさ
い。」と言われました。
もう、「が~ん!!!」と言う感じですよね。やっぱり家族じゃないんだぁ。そ
う感じるには十分です。
今思えば、気を使ってきてくれた祖父を一人にしておけないから、その役目と
して私を信頼して任せてくれたのでしょう。でも、子供時代から「自分は必要
ない」と思って生きてきた私には、奈落のそこに落とされたような一言でした
ね。
どうしてそこで、私を信頼してくれて任せてくれたんだ。って思えなかったん
でしょうね。心理学を学んだ今、誰が誰を遠ざけていたのか(^^;
痛感します。
「役立たずで必要のない自分」を証明し続けてきたのは当の私自身でした。
これに気が付かせてくれたもの、最後までかかわってくれる友達に出会えたか
らと言うのが大きいかもしれません。
私にはそんな友達がいないわ。と思っている一人の人生を選んでいる方もご安
心ください。
私もそう思っていました。
でも、そんな友達はいつの時代にも自分の側にいた
んです。
ただ、私自身が顔を上げていなかっただけなんですね。
顔をあげたらそこにはずっと私に関わり続けてくれるお友達がいました。
ずっと居てくれたんです。
私はただ、その人たちを心の中に入れるだけでした。
もちろん、とっても勇気が要りましたよ。でも、一番信頼できる人からゆっく
りと順番に時間をかけて入れていたんですね。
どうなったかわかりますか?真っ暗で冷たかった心の中は春の日差しのように
温かになりました。
氷はゆっくりと溶けていったんです。
不思議ですよね。心
の中に入れてみると、世界は今までとはまったく違って見えるんです。
誰かと
何かを共有できるって新しいパワーももらえたりするんですよね。お互いに。
こんな変化を思い出させてくれたのは、祖母からの贈り物なのかもしれません
ね。控えめだけど優しい祖母でしたから。天国で祖父と伯母と再会しているこ
とを祈っています。
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