いつも時間のある人、いつも時間のない人

どういう仕事をするかで忙しさの度合いが違ってくることはあると思いますが、職場で部署が変わっても、何を担当しても、いつも忙しい、忙しいが口癖のような人がいます。

いつも忙しいが口癖の人は、時間に追われている毎日を送っているのかもしれません。
時間に追われている人、時間を追いかける人、その違いはいったいどこにあるのでしょうか?
いっしょに考えてみましょう。

わたしのサラリーマン時代にこういう経験があります。

A君、ある得意先を担当している営業社員です。
「ああ、もう忙しい、忙しい」それが口癖です。
得意先から電話があって、すぐに来い、と言われたようです。
「もう最悪や、時間がないのに」と言って呼び出しのあった得意先に出かけて行きました。

時が経って、そのA君の担当していた得意先をわたしが担当することになりました。
A君はその得意先から呼び出しがあるたびに、何をさておいても駆けつけていく。
そういう最優先で対応しないといけない時間のない得意先なんだなあ、とわたしも認識していたのです。

そういう認識があったので、当初はその得意先を優先して対応していたのですが、これでいいのかな?という疑問が湧いてきました。
どこかおかしいのです。
試しに、その得意先のすぐに来いという要望を断ってみました。

すると、何も変わりなく仕事が進んでいくのです。
すぐに行かなくても問題なく仕事を進める事ができたのです。

ではどうしてこういうことになったのか?
それはこういう理由があったのです。
仕事には納期があります。
納期というのは、最後だけにあるのではなく、これはいつまで、次の工程はいつまで、とそれぞれの段階に締め切りというのがあります。

しかし、途中経過に遅れが出ても、最終の納期が守れれば本来は問題ないはずなのです。
この得意先は自分の締め切りをいつも守る事ができませんでした。
そのために、遅れた自分の遅れを取り戻すために早く早くと伝えてきていたのです。

わたしは全体の納期を管理する立場でもあったので、得意先の遅れは次の行程で取り返そうと予定を組み替えました。
そうすることで、わたし自身の効率も良くなり時間に追われるということは回避されたのです。

イソップにこういう寓話があります。
木こりのジレンマとして紹介もされていますのでご存知の方もあるかもしれません。

旅人が、森の中を歩いていると、一生懸命に木を伐っている木こりに出会いました。
ひと休みしてその様子を眺めていましたが、かいている汗の量ほどに仕事がなかなかはかどっていきません。
どうやら使っている斧の刃がボロボロにこぼれているようでした。
旅人は木こりに忠告しました。
「木こりさん、斧の刃がだいぶボロボロになっているようだね。一旦手を止めて、斧の刃を研いだらどうだね」
すると木を伐ることに一生懸命の木こりは
「忠告はありがたいんだが、ごらんのように木を伐ることで精一杯で、そんことをしている暇がないんだよ」
と、こういう話です。

この話を聞くと、刃を研いだら効率が上がるのにバカだなあ、と思えるのですが、往々にしてこういうことをしてしまっていることがあるのですね。

わたしがA君のように時間に追われることは回避できたのは、これでいいのかな?と疑問に思ったからです。
仕事の一部だけでなく、全体を見渡すことで、ここに余裕の時間があるということに気がつけたからなのです。

自分の仕事ぶりを俯瞰して眺めてみるということ。
目先の仕事に追われて時間がないというのはわかりますが、こういう時間をもつことが時間に追われことから解放されることにつながるような気がします。

これでいいのかな?
他にもっといい方法はないのだろうか?
自分の向かってる方向はこれであっているのだろうか?

たくさんの時間を割く必要は無いと思います。少しでいいので、今日一日を振り返って、これで良かったかなあ?と見つめる時間を持っても良いと思います。

お読みいただきありがとうございます。
みなさまのしあわせをお祈りしています。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

大西 三千男

職場や家族間の対人関係、パートナーシップ、自己肯定感の実現を得意としている。欠点としか思えなかったことを長所に変えるものの見方の提案と、楽になるためにの考え方の提案を行う。気づきを得てもらうことで「腑に落ちました」「そう思っていいんですね」「安心しました」と好評である。