母との会話

私は93歳の母と同居しています。
高齢なので身体的には年々衰えていますが、頭の方はおかげさまでしっかりしているので助かります。
それにしても、これまでの間には別々に暮らしていた時期もあるのですが、こんなにも長く一緒に暮らすことになろうとは夢にも思っていませんでした。

いくつになっても母親は唯一無二の存在で、その影響力は計り知れません。
近年は何ということもない日常会話しかしていませんでしたが、そんな会話が親子のコミュニケーションには結構重要なんだなと感じます。

゜゚*☆゜゚

3年ほど前、母がお風呂に入っていた時のことです。
浴槽に立てかけていた風呂のフタの安定が悪く、倒れてきたことがありました。
「あっ!」と思った時には遅く、フタは母の頭を直撃してしまいました。

その時には「風呂のフタで頭を打って痛かった。」と言うので、「危ないなぁ、今度から気を付けてね。」という程度だったのですが、どうやら甘かったようです。

打ち身自体は大したことがなかったのですが、その日から手足がしびれたり、痛みを伴うようになりました。
かかりつけ医に相談し、調べてもらったところ、どうやら頸椎(けいつい)が損傷していたようです。

高齢になると、それでなくてもあちこち支障が出てくるものですが、こんなちょっとしたことがキッカケで具合が悪くなるものですね。
しかも、体調が悪いとメンタル面でも気落ちして、すっかり元気がなくなってしまいました。

動かなければ、筋力も低下していくばかりです。
そこで、かかりつけ医の指導で週1回リハビリに通うことになりました。

正直なところ、週1回くらいリハビリした程度で良くなる気がしませんでしたが、同じような症状の方と接っして気分が楽になれば結構なことだと思いました。

母はそれ以来、付き添いなしでリハビリに出かけ、帰ってきたらいろいろ報告してくれます。
「今日は、こんな足の運動をした。」
「この体操を家でもやってくださいって言われた。」

そう言うので、試しに「こうするん?」と私がリハビリ助手のようにやってみました。
「そうそう、そないしてはった!」

なぁんだ、これなら私にもできる!
手短にやればトータルでも5分程度。
リハビリは一度に長くやるよりも、地道に継続していくことが大事のはずです。

そこから、母と私の朝晩5分のリハビリもどきが始まりました。
たかが5分と、侮ることなかれ。
毎日続けていると、かかりつけ医に行った時には症状が改善していて、先生に褒めてもらったそうです。

そう言って、ニコニコしながら報告してくれました。
いくつになっても、自分のやっていることを承認してもらうって嬉しいものなんですね。
まるで、子どもが学校で先生に褒められた時のように・・・。
年を取ると、だんだん子どもに返るって本当です。

今ではすっかり親子の立場が、逆転してしまった感があります。
かつて子どもの頃、私が母にしてもらっていたことを、今母に同じようにやっているのかもしれません。
人は自分が経験してきたことを基本にして、無意識に行動しているものだということを実感しています。

先日、いつものように我が家のリハビリをやっている時、母が「〇〇ちゃん達、どうしてるかなぁ。会いたいなぁ。」と言いました。
〇〇ちゃん達とは、私の従姉、母にとっては姪たちのことです。

父母の兄妹は、もうみんな鬼籍に入ってしまいました。
どの親戚も代替わりしています。
子どもの頃、よく遊びに来ていた従姉たちも、それぞれに家庭を持っているので、余程の行事がない限りなかなか会う機会がありません。

私も「そうやねぇ、長いこと会ってないねぇ。」と言いながら、一度こちらからお誘いしてみようかと思い、久しぶりに連絡を取ってみました。
すると、二つ返事で了解してくれて我が家での楽しいランチパーティーが実現しました。

言ってみるものですね。

【親は子の鏡】だと言います。
そこから母と私を重ね合わせて見るならば、今の母の姿が私の将来の姿、ということになります。

『ならば、そんなに悪くはないかな?』
と思ったのですが、ただ一つの問題は、私には私のような娘がいないこと・・・。
さて、どうなりますやら。

「人生は、なるようになるねんから。」
なるほど。
だから、今起きてもいない未来のことを心配しても仕方ない。
母は、時々ハッとするようなことを言います。
伊達に長生きしていませんね。

リハビリもどきが生み出してくれた母と会話できる時間。
後どれほどあるのかは、わかりません。
けれど、この何気ない当たり前の時間を、大切にしていきたいと思っています。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

1957年生まれのシニア世代。 自身の豊富な人生経験を生かした、自分らしく生きていくためのサポートが好評を得る。 得意ジャンルは、対人関係・自己啓発・恋愛。 “何かを始めるのに遅すぎることはない”の言葉通り、いくつになっても新しい人生を切り開いていけることを、身をもって実践している。