罪悪感の心理学1~罪悪感とは?~

「原罪」という言葉がありますが、実はとっても私たちは、この罪の意識というものに、振り回されているんです。

今日のテーマは「罪悪感」。
一般的にもよく聞く感情なのですが、なかなか本格的に取り扱った文献も実は少ないようです。

罪悪感とは?

「自分は悪い」「すべては自分のせい」という感情が芽生えたときに「それならば、自分は罰せられなければならない、罪を償わなければならない」と思います。
それが罪悪感です。

悪い人間は幸せになってもいいでしょうか?
いえいえ、だめですよね。
悪い人間はきちんと罪を償うべき、と感じます。
「罪を犯したんだから、罰せられなければならない」というのが罪悪感です。

ですから、罪悪感があると、幸せを受け取ることができません。また、幸せになることを自分に許すこともできません。もちろん、笑うことや楽しむこともご法度。苦渋に満ちた表情で生きていかなければならないような感覚がします。
そして、人生を重たい荷物を背負ったように苦しげに生きることしか出来なくなります。
それが補償行為と呼ばれる、罪を償う人生になるのです。
補償行為は自分が本当にしたいことではないので、やがて行為そのものに苦痛を感じ始めます。
それは僕たちの体を冒して行くウィルスのように僕たちの人生から楽しみや喜びを奪っていきます。

また、この罪悪感が抑圧されて無意識に入ってしまうと、自分でも意識しないうちに過剰な行動に出ることがあります。
例えば、ワーカホリック。必要以上に仕事に打ち込み、過酷なノルマや労働を自分に課します。その結果、あるとき突然無気力になってしまい、うつ病のような症状が出ることがあります。これは、何かに対する罪悪感から自分を仕事に駆り立て、優秀な成績や十分なお金を稼ぐことでその罪を償おうとする行動と見ることもできます。もちろん、これは自分が本当にしたいこととはかけ離れているため、やがて頑張りの源となる気力が燃え尽きてしまうわけです。

じゃあ、実際どんな感じなのか?というと、ほとんどの方は「ああ、あんな感じか」って思われるかと思いますが、ここは代表的な罪悪感の例をお話しましょう。

ちょっと皆さん、想像してみてください。

あなたが大好きな恋人と楽しいドライブに出かけていると思ってください。
もちろん、運転するのは自分。
おしゃべりに夢中になっていると突然目の前に人影が・・・。
ガツンという鈍い音と共に人が倒れているのを感じます。
恐る恐る外に出ると40台くらいの男の人が血を流して倒れています。
慌てて救急車を呼び、警察にも連絡し、あなたは取調べを受けます。
そして、取調べの最中にその男性が死亡したことを耳にします。
その男性は家族の大黒柱。会社の評判も上々。
昨年家を新築し、ローンは退職金を当てこんで組まれています。
そして、あなたはその家庭に謝りに行くと思ってください。
家族の顔が次々に浮かびます。
泣き崩れる家族、怒りに満ちた家族、白い布を被ったその男性。
あなたはそのときどんな気持ちでしょうか?
「いっそ、自分を殺して欲しい」
という気分になりませんでしょうか。

これが罪悪感という感情です。

その後の人生、あなたは笑って過ごすことが出来るでしょうか?
幸せになっていいと思うでしょうか?
あなたはその家族のために、自分の全財産や人生を売り払うことすら考えるかもしれません。
そして、その通りに生きようとするかもしれません。

このお話はある意味究極とも言える罪悪感ストーリーです。
これほどの痛みを伴うことはなかなかないかもしれませんが、これに似た感覚というのは僕たちの日常シーンのあちこちで出会うことが出来ます。

彼女に別れを告げた。
自分のわがままで彼を傷つけてしまった。
浮気をした。
好きでもない人と寝てしまった。
自分のミスで取引先や自社に損害を与えてしまった。
誰かの悪口を言ったり、暴言を吐いたりした。
約束の時間に遅れてしまった。

もちろん感情ですから人それぞれですし、生活習慣やお国柄、宗教とも関係してきますが、自分が「悪いこと」と思っていることをしてしまったときに必ず生まれる感情です。

罪悪感の作る態度

罪悪感は本当に基本的な感情ですので、僕たちの行動や態度に大きな影響を及ぼしています。ありとあらゆる問題の陰に罪悪感あり、というくらい、罪悪感は本当に多くの困難を僕たちに起こします。
また、基本的な故に自分ではそんなつもりはないんだけど・・・という状況にもよく出会います。そういう場合は、意識上ではなく、潜在意識や無意識の中にある罪悪感がそんな状況を招いていると言うことも出来ます。
そんな中から一般的ないくつかの行動パターン・思考パターンを紹介しましょう。

*正しさへのこだわり*と防衛のパターン

僕たちは一般的に「悪い」=「償わなければならない」=「犠牲を払わなければならない」=「それはとてもイヤな感じがする」という感覚になります。
だから、僕たちは自分のしたことを正当化したり、正しい・間違いにこだわったりしてしまいます。
そうすると「俺は正しい、おまえが間違ってる」というケンカや争いに発展します。

また、自分が「悪い。罪を補わなければならない」と思えば思うほど「きっと他の人もそう思うに違いない」となり「自分は周りの人から攻撃される」という恐れが出来ます。
そうすると当然相手の攻撃から身を守るための防御が必要になるわけで、その道具に「正しさ」を使うこともあります。「僕は正しい。だから君に攻撃される筋合いはない」という具合に。
これは罪悪感からの防衛のパターンと言います。

皆さんの周りやブラウン管を通して「私は正しい」と言ってる人を見かけませんか?
「私が正しい」って何度も言ってる人、いませんか?
それくらい自分の正しさを主張しなければならない人がいるとしたら、その人は心で何を思っているのでしょう?
きっと「私は悪い」という罪悪感があるのではないでしょうか。

ここからは「正しさの争い」というお話になりますので、このレクチャーは別の機会に譲ることとしましょう。

*自己攻撃*

また、先のお話にもあるとおり罪悪感があれば、必ず自己嫌悪・自己攻撃が生まれます。
私が悪いわけですから、幸せになることなんて許せません。
ですから、何かうれしい話、幸せな出来事があったとしても拒絶したり、疑ってしまったりします。素直に受け取ることができなくなってしまうのです。
一方では「自分は罰を受けなければならない」と思っていますので、積極的に自分を罰することもあります。次の補償行為のお話にも繋がってきますが、わざわざ選んでしんどい思いをしてみたり、そんな状況に身を置いてみたり、自分をどんどん幸せから遠ざけようとします。
罰を受けなければならないんだから、人に傷つけられて当然と思います。

これを僕たちは「罪悪感ブロック」と呼びます。
罪悪感を使って、うれしい・楽しい・幸せ・安心などの感情をブロックして感じられないようにしまうことです。

僕たちは罪悪感を感じるのはとってもイヤなので潜在意識の中に押し込めてしまっています。
ですから、普段はそんな思いがあることを感じられません。
そうすると意識上では「私は不幸」と思っていたり、そう思わざるを得ない出来事が起きたりします。

自分がよくそういう思いに出会うのならば、あなたの潜在意識・無意識の中に答えがあるのかもしれませんね。

*攻撃的態度*

自己攻撃も容量を越え、自分を攻撃するスペースがなくなると、その攻撃は他人へ向くようになります。「俺はちゃんとやってるのに(俺は正しい)、なんだお前のその態度は(お前は間違ってる)」みたいな感じで。

ちょっと想像してください。
皆さんの知り合いの誰かが「あいつは悪い奴だ、こいつも悪い奴だ、政治が悪い、会社が悪い」と口癖のように周りのものを悪く言う人がいます。
なぜでしょうね。

これは「投影」という心理現象になるのですが(詳しい説明はそちらに譲ります)、自分が悪いという思いが、周りの人や社会に映し出されてしまうんです。
だから、彼にとって「政治が悪い」というのはある意味本音なのですが、実はそれは「本当は俺が一番悪い」と思っている感覚からやってきます。

それがエスカレートするとやがては暴力や犯罪などにも発展します。
最近自分の子どもへの虐待がニュースになることが多いのですが、これも罪悪感という面から説明することができます。
子どもを虐待したいと思う親はいません。子どもに手をあげてしまった瞬間に「母親として最低なことをしてしまった」という罪悪感が芽生えます。そして自分を「母親失格だ」と責めるようになりますが、それを子どもに投影してしまうと自分を攻撃するように子どもを攻撃してしまいます。そうするとまた罪悪感が募り、自己攻撃が激しくなり、その分だけ子どもへの虐待も止まらなくなる、という悪循環に陥るんです。

このように罪悪感には、さらなる罪悪感を積み重ねてますます自分を苦しいところに追い詰める悪循環をもたらすことも多くあります。

*補償行為*

また、罪を犯した人が懲役刑を受けるように、僕たちは自然とその罪を償う行為を行おうとします。
自分が悪いと思っていますから、少々しんどいことや苦しいことがあってもそれは「罰」と思って受け入れてしまうのです。

例えば先ほどのワーカホリックのお話。自分の本当にしたいことではなく、何かを補うために、お金、生活などのために働くこととなり、やがては体や心を痛めてしまいます。

(参考:vol.13 『埋め合わせで手に入れられるもの』)

*逃避*

罪悪感があると当然そこには近づきたくありませんし、とても居心地が悪いのが普通です。
先の事故のお話でも病院になど行かずに逃げたくなるのが普通だと思うんですね。
霊安室で家族に対面するときの気持ちといったら・・・。

これは恋愛や家庭でも起こり得ます。浮気をしたり、そうじゃなくても「かまってやれなくて申し訳ない」と思っている彼やご主人が、徐々に家に近づかなくなるのも罪悪感から説明することができます。

*癒着*

これだけで一つのテーマになってしまいますが、「癒着」というのは、例えて言えばお互いを接着剤でくっつけてしまうような状態です。
恋人同士ならば、いつも一緒、くっつけて幸せ、何が悪いの?って感じになるかもしれませんが、ずっとその状態というのはどうでしょうか。トイレへ行くのも一緒、生理のときも、病気のときも一緒。ちょっと・・・イヤになりませんか?

罪悪感があると、その補償行為によって「相手に何かしなければ」という感情が生まれます。より強く「奴隷にならなければ」みたいな感じになるときもあります。相手に与えるというと聞こえはいいのですが、何でも面倒を見ようとします。それこそ、病気のときの看病はもちろん、ご飯も食べさせてあげて、トイレの後にはお尻を拭かなければ、といった感じです。

これは愛がなす与える行為ではなく、盲目的な奉仕となってしまうために、お互いがどんどん磨耗していきます。また、相手の感情と自分の感情の区別がつかなくなってしまうために、他人の感情で苦しまなければならなくなり、やがて二人とも出口がない暗闇に落ちてしまったような感覚を抱くようになります。
俗に言う泥沼化した状態になってしまうわけです。

(参考:vol.17 『癒着の心理学』

罪悪感を癒す

罪悪感とはそうした罪の意識、罰を受けなければという観念が作り出すもの。
最大の癒しのツールは「許し」そして「感謝」です。
とてもメジャーなツールですが、とても難しいのがこれら。
相手を許すこと以上に、自分を許すことには困難が付きまといます。
「自分が罪だ、悪い」と思っている観念を手放して、「自分は無罪だ」とストーリーを書き換えてしまうわけですから。
そして、多くの場合は罪悪感が罪悪感を作る悪循環にはまり込んでいるために、ひとつ癒してもまた別の罪悪感が顔を出すケースもあります。
しかし、完璧な許しを求める必要もありません。ひとつひとつの罪悪感を手放すたびに、どんどん自分が罰から解放され、自由に、無邪気になっていくのです。

だから、根気強く罪悪感と付き合っていることが必要になります。

ある意味、あって当たり前の感情なのですから、上手に付き合っていくことを最初に学んでいく必要があるでしょう。それは何か自分を責めてしまいそうになるとき、あるいは責めてしまったときに、そんな自分を許し、また、誰かに対して感謝をすることです。
自分に過ちがあったならば、すぐに「ごめんなさい」と謝罪できる謙虚さと勇気が必要です。

罪悪感を癒す方法は先に挙げたような様々な態度を改善していくことをまずは目的にします。
そのためにはまずは自分自身の心の中にあるその観念を受け入れていきます。
そこでは誰か「ごめんなさい」が言えないために苦しんでいるあなたがいるのかもしれません。
ならば謝罪が必要になりますし、自分をこれ以上罰さない決意も必要です。
そして、最後にあなた自身が無罪であることを受け入れます。
自分の未熟さや誤解が原因なのかもしれませんし、不可抗力があったのかもしれません。
そんな未熟さや勘違いを受け入れることは、大人であればあるほど、惨めだったり、屈辱的だったり、悲しかったりするかもしれません。新たなる自己否定に繋がりそうになることもあります。
でも、そこで自分の人間としての幅を広げ、それらを受け入れていくことは、ものすごい成長を僕たちにもたらしてくれます。

罪悪感を癒すことで多くのものを僕たちは手に入れることができます。
人を受け入れること、許すこと。人生を楽に、自然に生きていける解放感。生きがいや明るい将来への展望。肩肘張らずに済む謙虚さ。毎日を楽しむことはもちろん、人との繋がりをより深く実感することができます。
それらが手に入ったとき、僕たちはまさに人生が回っていることを実感し、楽しんで人生を歩いていくことができるようになります。

あなたの近くの罪悪感野郎のために

罪悪感を持っている人の近くにいる人は大抵怒りや恐れを感じています。
彼が「攻撃されるのではないか」と正しさを使って防衛している姿や物事から逃げている姿は、どうみてもかっこいいものではありませんし、自己攻撃したり、それが他人に転嫁する様子はいつ自分も攻撃されるかもしれないという恐れを作り出すでしょう。

だから「情けない」「だらしない」「弱い」「もっとしっかりして!」「そんなに強がらなくても」「もっと素直になればいいのに」などの感情を引き起こします。

また、罪悪感から彼がしてくれることは最初はうれしくても、それが補償行為である以上、愛情ではありませんから、やがては気づきます。
「なんか変」だと。
特に女性の方々は非常にこのことに敏感ですから、男性諸氏はご注意下さい(笑)

そうすると彼を攻撃してしまうかもしれません。
でも、それではあなたも彼の罪悪感の罠にかかってしまったということ。
(だって、彼は罰せられると思っていて、あなたが彼を攻撃したら、それは彼にとっては罰になりますから)

まずは、彼のそんな罪悪感を理解してあげようとすることが大切です。
罪悪感は個人的なものから社会的なものまでさまざまなものがありますから、なかなか理解することができないケースも多々あります。

そして、彼のその罪悪感をそっと抱きしめて、許してあげる必要があります。
「あなたは無罪よ」って。

でも、実際にこれをチャレンジしようと思っても、彼は攻撃される恐れから逃げ腰になっていますから、野良猫にエサをやるが如く慎重にしましょう。焦りは禁物です。

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