人との付き合いが苦痛で不愉快。

相談者名
mariko
私の友人をきちんと紹介したわけではないのに、新しく知り合った人が私を介さずに、断りもなく友人と親しくなった。そのことに関してその後も一言もない。親しき仲にも礼儀ありと、友人同士でも礼節は守りたい私の態度は、人により仰々しいととられたりする。では反対に、くだけて親しくすると馴れ馴れしいと陰口を言われたこともあった。

また、私のお気に入りの店を人に紹介して、お店とその人がとても仲良くなるのはお店にとっても利益になるしいいことだと喜ぶ半面、私の領域に侵入されて、大事な庭をかき回されたようで、とても不愉快に感じる。

私が叶えたいと望んでいることを、他の人が先に手にしているのを見るととても苛立つ。悔しくて嫉妬してしまう。

だから人が私より遅れているとか、逆にずっと先に進んで追いつかないことがわかりきっている場合は、手放しで安心して素直に喜んだりする。

私を無視しないでほしい、私をもっと大事に扱ってほしいと思う。

人の態度の変化も敏感に感じ取ってしまう。変わってゆくことが恐ろしく、
前と同じ気持ちだよねと確認を繰り返す。やがて確認してもしても安心できないループに陥ってしまう。

他人に強く期待もしてしまう。喜んでくれるだろう、感謝してくれるだろう、謝罪してくれるだろう、口にしたことを実行してくれるだろう、メールを返してくれるだろう・・・期待通りいかなかった時の落胆と、相手への恨みは激しい。

人はこんな私を常に責めているとも感じてしまう。
いっそのこと、人に愛など示さなければよかったと、自分を閉じようとする。

どうしてこんなに、人との付き合いが苦痛に感じるのか。

カウンセラー
赤松わこ
marikoさん初めまして、ご相談ありがとうございます。
担当させて頂きます、赤松わこと申します。
どうぞよろしくお願いします。marikoさんのご相談を読ませて頂いて、まず最初に感じたのは、
「とてもキチンとした方だなぁ」と言うことでした。
『礼節』と言う言葉・・・とても素敵な日本語ですよね。
『お互いがお互いを尊重して、礼儀と節度を持って接する』と
言う気持ちは、日本人が昔から大切にしてきた、美点だと私は
思いますし、人と付き合う上でも、大切なことだと思っています。
そんなお気持ちを持っていらっしゃるmarikoさんは、本当に人を
大切にしたいと思っておられる方だなぁとも感じました。

そんなmarikoさんが、人とのつきあいに苦痛を感じられるとしたら、
とても淋しいことでしょうね。「分かってもらえない」と言う、
お気持ちからmarikoさんが、人を遠ざけてしまっておられるのなら、
この回答が少しでも、marikoさんのお気持ちを軽くする手助けに、
なってくれればいいなと思います。よろしくお付き合い下さい。

>どうしてこんなに、人との付き合いが苦痛に感じるのか。

とご相談に書かれていますが、コミュニケーションには、

(A)自分とのコミュニケーション
(B)他人とのコミュニケーション の二つがあるんですね。

『他人とのコミュニケーションが上手くいかない』時には、
まず、『自分とのコミュニケーション』はどうだろうか?と言う
ことを、考えて頂くとお悩みの本質が見えて来ると思います。

>私を無視しないでほしい、私をもっと大事に扱ってほしいと思う。

周りの人にこう求めておられる時、marikoさんが感じておられたのは、
どんな感情だったのでしょうね?
例えば「淋しい」とか、「独りぼっちは辛い」とか、
「自分を見て欲しい」、「つながりをしっかり感じたい」とか・・・
どんな感情も目をそらさず、じっくりと思い出してみて下さいね。

そんな風に感じていたご自分を、marikoさんご自身が、
無視していた、と言うことはありませんか?
大事に扱っていなかった、と言うことはありませんか?

自分とのコミュニケーションとは、自分の感情をしっかりと感じること、
そして自分がどんなにネガティブな時でも、向き合うことなんですね。
marikoさんは、いつもご自分を厳しく律してこられたようですね。
キチンとした真面目な方なんだなぁと思います。でも余り厳し過ぎて、
苦しくなってしまいませんでしたか?自分に×を沢山つけていませんか?

自分に厳しい目を向けている時、人は気づかない内に他の人にも同じように、
厳しい目を向けてしまうんですね。それが期待になってもいたんでしょう。
「自分の思うようになって欲しい」と言う、『期待』には、どんな場合も必ず
『期待はずれ』がついてきます。期待が大きければ大きいほど、失望や落胆も
大きなものになってしまい、結果として相手を恨んでしまったりするんです。

じゃあどうしてそんなに大きな期待をしてしまっていたんでしょうね。
それはmarikoさんが、一生懸命『愛』を伝えようとしておられたからですね。

同性異性に関わらず、恋愛であれ友情であれ、marikoさんと同じ様に、
人は誰でも自分以外の人に、『愛』を伝えたいと思います。

その『愛』にも、二つあって
(1)条件付の愛・・・愛してくれれば愛してあげる
(2)無条件の愛・・・相手がどうであろうと私は愛していける

分かりやすく言うと、(1)は欲しいが先で、あげるは後ですね。
でも(2)の場合は、あげられればそれで満足と言うことなんです。
marikoさんからは、「いつも自分は先にあげているのに、もらえない
から腹が立っているんです」と、言葉が返ってきそうですが(苦笑)。
でも、「もらえることを前提に、何かしていると」したらどうでしょう?

人は『愛』を求めている時、「何かしなければ」と頑張ってしまったり、
「相手の役に立たなければ」と、無理をしてしまうことがよくあります。
それはなぜかと言うと、実際には自覚がある場合もない場合もありますが、
「何も出来ない自分は愛されない」と言う、『不安』や『怖れ』を感じて
いるからなんですね。(心理学では、『無価値観』と言います)

marikoさんも人と接する時に、そんな風に『不安』や『恐れ』を感じて
いらっしゃらなかったでしょうか?

愛されているかどうか不安があればある程、人は相手に確認したく
なるんですね。「こんなに愛しているんだから、愛してくれるよね!」
と、詰め寄りたくなってしまうんです。逆に不安が高じて、「愛されて
いないのかも知れない」とか「愛を貰えていない」と感じてしまうと、
傷つくことを怖れて、事実を確認することさえ出来なくなって、傷つく
前に自分の方から、「愛なんかいらないわ」と拒絶してしまったりもします。

>人はこんな私を常に責めているとも感じてしまう。

marikoさんの心の中にはいつも、「こんな私じゃダメだ!」、
「もっと努力しなれければ」がいっぱい詰まっていませんでしたか?
自分を厳しく鞭打つばかりでなく、労わったり褒めたり出来ていましたか?
ご自分がご自分を、「どうして出来ないんだ!」と、責めてばかり
いませんでしたか?人は自分で自分のことを責めている時、無意識に
その辛さから逃げようとして、周りに「問題がある」と考えてしまいます。
と同時に、自分が自分をこんなに責めているんだから、周りの人は当然、
「自分を否定的に見ているだろう」と、思い込んでしまうんですね。

ここでお伝えしたかったのは、自分に優しくしてあげること、自分を認めて
あげることが、「出来ていたかな?」と言うことに、気づいて下さい。と
言うことなんですね。つまり他人とのコミュニケーションの前に、まずは!
ご自分でご自分と、コミュニケーションをして下さいと言うことなんです。

そして『愛』を与える時には、「当然○○してくれるだろう」と言う、見返りを
期待しないで「与えられることを喜ぶ」ことが出来るようになれば、相手を
恨んだり怒りが湧いてきたりすることもなく、「出来る自分が嬉しい」と思える
ようになりますから、自分で嫌な自分を責めることもなくなって、楽に他の人と
接していけるように、なって頂けますよと言うことなんですね。

marikoさんの理想とされている、『礼節』を持ったつきあいをするためには、
『お互いがお互いを尊重する』ことが不可欠です、人はそれぞれ異なった価値観、
異なった行動の仕方、異なった考え方を持っています。それを認めて受け入れる
ことが、人とつきあう上ではとても重要なことだと私は思っています。
そしてそれ以前に、自分自身を尊重出来ているか?認められているか?受け入れ
られているか?それは、自分とのコミュニケーションが取れていないと、他の人と
コミュニケーションをとる場合に、自分を責めてしまったり相手を責めてしまったり、
と感じなくてもいい感情を、抱えてしんどくなってしまうからなんですね。

まず!ご自身を楽にしてあげて欲しいなと思います。「やり方が分からない」と
思われたら、ご遠慮なく私達カウンセラーにご相談下さい。
marikoさんが人とふれあいつながることを、心から楽しんで頂けるように、お手伝い
させて頂けると思います。お役に立てば幸いです、ご相談ありがとうございました。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

家族関係・対人関係・パートナーシップ・自己肯定自己実現を得意分野とし、がん看護・認知症介護の経験から医療・福祉関係にも精通している。 深層心理への唯一のアプローチである【感覚・感情】を解放する、癒しのスペシャリスト。 「体感で楽になった」「腑に落ちる」「納得がいった」と好評をえている。