メンドクサイが口ぐせ

ふと気が付くと「あーあ、メンドクサイ」そんなことを呟いているときがあります。
ひどいときは、朝起きた瞬間に頭に浮かぶ言葉が「メンドクサイ」。

そんな時私は、「ああ、私すごく疲れてるんだな」とか、「ここんとこ、自分が思ってるよりけっこう頑張ってたんだなあ」と思うようにしています。
そうして、なんでもいいので何か自分のために何かしてあげられることは無いかなと、探してみます。
この「メンドクサイ」を放っておくと、あとでさらにしんどいことになるからです。

たとえば、コンビニでちいさなお菓子を買ってきて、自分のために美味しいお茶を入れて、ひとりのティータイムを楽しむ。
お気に入りのカフェに行って、一人っきりの時間を楽しむ。
親友に連絡して、電話で話を聴いてもらう。
娘と一緒に、美味しいランチを食べに行く。
ウチの猫たちを眺める、(させてもらえるときは)もふもふする。
娘たちをハグさせてもらう。
面白そうな本や漫画を読んでみる。
電車でふた駅ほど先の、日帰り温泉に行ってのんびりする。
好きな音楽を聴く。

などなど、もちろん今すぐにできる事ばかりでないけれど、どれかひとつ、若しくは二つを選んで、やってみる。
そこで気分転換が出来たり、やる気が湧いて来たりすることもありますし、疲れが取れるような気がすることもあります。
時には涙が溢れて止まらないときもあったりしますけど、そんなときはそのまま気が済むまで、涙に流れてもらったり(笑)。

私がそんなことを試すようになってから、それほど経っていませんが、そこそこ効果はあるような気がしています。
自分のご機嫌を取るための方法は、あればあるほど生きやすくなるのかな。

そうは言っても、あまりに疲れていたり、何か辛いことがあって苦しかったりするときには、自分のために何かする気力すら湧かないこともあります。
また、自己嫌悪のネガティブなスパイラルにハマってしまっているときなど、自分を責める気持ちが強くなっていると、心の中の自分を赦したくない、罰したい欲求に負けてしまって、なおさら自分を楽にしてあげるための行動が執れなかったりも。

カウンセラーになってもうだいぶ経ちますが、それでもそんなときはあるんです。
だって、カウンセラーもにんげんだもの(笑)。

つい最近――、というかちょっと前になりますが、そんな時期が長くて、ほとほと疲れ切っていました。
いい加減しんどいなあ、なんとかならんかなあと思い始めていた時、ふと思い出したことがあります。

それは私が心理学を学び始めてだいぶ経った頃、カウンセラーの先輩に訊いた一言。
当時の私にとっては、かなりの衝撃だった言葉。

「メンドクサイも『怒り』だからね~」

え?怒り?「メンドクサイ」が?なんで?

そのときは頭の中が「???」でいっぱいになった私でしたが、妙に納得してしまいました。
そして、そのあと、一人になって私なりに考えたんですね。

「あーあ、メンドクサイ」

このあとに私は何を続けたかったんだろう、何を言いたかったんだろう。

そこでもう一度、言ってみたんです。
そこで止めないで続けて、大きな声で言ってみました。

「あーあ、メンドクサイ。なんで私ばっか!」
「あーあ。メンドクサイ。もう、いい加減にしてよ!」

なるほど、やっぱり怒ってたんだ、私(^^;
妙に腑に落ちて、そしたらなんだか泣けてきて、そのまま一人で泣いてました。
そしたらすごくすっきりしたんですね。

そこでやっと。
ああ、そうか。怒ってたのは辛かったからなんだなって、またしても納得したのでした。

カウンセリングサービスのHPの大量の記事の中ではおなじみの言葉ですが、「怒りは感情の蓋」と言われています。
そうですね、感じたくない感情が心の奥底から上がって来るのを無理矢理抑えつけるために乗せる重石のようなもの、と言えばイメージしやすいでしょうか?

さっきの私で言えば、辛さを感じたくないがために「怒り(メンドクサイ)」という重石を使って抑えつけていたのですね。
その「怒り(メンドクサイ)」とともに出てきたのは「もう嫌だ、何もしたくない」という「うんざり感」「疲労感」だったり、「自分ばかりが損をしている」というような「悔しさ」「惨めさ」、「どうせ私なんて最低なんだから」という「自己嫌悪」や「無価値感」というような、嫌な感情ばかりでした。

もちろん、感情はポジティブなものとネガティブなものに分けられはしますが、感情には本来「良い・悪い」も「正しい・間違ってる」もありません。
感情は感じつくすと消えていくものだから、嫌なものであっても感じ尽せば無くなります。
でも、感じるのは嫌だから抑えつけてしまって、そして抑えつけたままだからこそいつまでたっても心の中から無くならず、怒りも溜まっていきます。

それに、人が怒っているのは大抵の場合、「助けて欲しい」「わかって欲しい」「愛して欲しい」のいずれかの理由です。
だとしたらやっぱり、その辛い気持ちを私自身がわかってあげて、助けてあげる、軽減してあげることが必要なはず。
それに気づいてから、私はなるべく自分のご機嫌を自分で執ってあげられるようになろうと、思うようになったのです。

もう一つ、「メンドクサイ」にまつわる印象的な出来事があります。

私が二十歳くらいの時、当時はまだ結婚していなかったのですが、夫とお付き合いを始めたころでした。
夫には会社の同期入社の友人でとても仲の良い人がいて、その彼の口ぐせが「めんどくさい」だったんですね。

何をするにも、メンドクサイ。

夫はそれを面白がって、よく私に話してくれたのですが、私は聴くたびに腹が立って仕方ありませんでした。
ホントに腹が立った時は、こんな風に思ったくらいです。

「メンドクサイめんどくさいっていうなら、生きるのもメンドクサイんだろうから、さっさと死んじゃえば」

今、振り返ってみてもかなり乱暴な言葉ですし、本人に言ったりはもちろんしませんでしたが(^^;でも当時の私がその彼の言葉に何を感じていたかはよくわかります。

あの頃は全く気が付いてもいませんでしたけれど、本当は私、すべてが面倒くさかったんですね。
生きるのもメンドクサイくらい、すべてに苛立っていたんです。
そしてそんな自分が大嫌いで、だから自分が「死んじゃえばいい」と思っていたのでしょうね。

そう、心理学でいう「投影の法則」です。

それに大抵の人は、自分が禁止していることを平気で目の前でしている人を見たら、腹が立ちます。
だから私はあんなに彼に対して腹が立ってしょうがなかったんですね。
あの頃の私は心理学の知識も全くなかったし、年齢的には大人だったけれど中身はまだまだ幼い子どものようなものでしたから。

でもそんな私も、今、ようやく「それでも私、自分なりに頑張って生きてきたんだなあ」と思えるようになりました。
それはもしかしたら私が自分自身に「メンドクサイ」をいうことを許してあげられたこと、「怒ってもいいんだ」と許可を出してあげられたことが大きかったのかもしれません。

だからもし、あなたの最近の口癖が「メンドクサイ」だったのなら、ぜひ、ご自分にうんと優しくしてあげて下さい。
疲れていたり、うんざりしているご自分にご褒美を上げたり、労わってあげたり、好きなものやことをプレゼントしてあげて下さい。
そうしているうちに、気が付くと「メンドクサイ」の一言が減っていることに気付くはずです。

あなた自身のためにも、あなたの周りの人たちのためにも、どうか覚えておいてくださいね。

お読みいただいて、ありがとうございました!
あなたがもっと楽になって、毎日を楽しく、しあわせに過ごしていけますように☆彡

この記事を書いたカウンセラー

About Author

三枝 みき

家族や親子の問題、子育て、友人との関係など対人関係の問題や、罪悪感、自己否定など心や性格についての問題を得意とする。
長女の自傷と強迫性障害がきっかけでカウンセラーとなる。特に母子関係については、自身が母との問題、娘との問題の両方を経験しており、ライフワークとして取り組んでいる。