母性が欠落した母親が子育てをしていくには?

母性が欠落しているのでは?というお母さんからのリクエストをいただいて、その背景となる心理や実母との競争などにフォーカスを当て、いかに自然で自分らしい母親になっていくかを考えて行きます。

子育って答えがないし、正解もあるようでないんですよね。
しかし、どのお母さんも初めての子どもならば余計に、神経質に、一生懸命、必死に子育てをされています。そうすると、いい母親ほど悩み、自分がダメな母親ではないか不安になり、自分を責めてしまったり、母性が欠落していると感じたりするものなんですね。

でも、お子さんが一番嬉しいものって何なのでしょうか?育児書に書かれたとおりの接し方が喜びになるのでしょうか?
違いますよね。お子さんが嬉しいのは、お母さんの自然な笑顔。心からの笑顔です。
そんな笑顔を作るためのアドバイス、そして、今の悩みの原因について考えます。

◎リクエストを頂きました◎
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(一部、頂いた内容を編集させていただきました)
現在8ヶ月の子供を育てていますが、いまだに母性というものが自覚できません。子供は可愛いと思いますが、キャラクターグッズを見て「可愛い~!」と黄色い声を上げるのとあまり変わらないニュアンスで、世に言われるような、子供の身に危険が迫ったら自分の身を投げ出してでも守るような、そういう深い愛とはどうも違います。

が、もし母性が欠落していたとしても、子供は育てていかなければなりませんよね!こういう不安を持った母親が子育てをする上で、何かアドバイスなどありましたら、教えていただけるととても嬉しいです。
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リクエストありがとうございます。
今回、担当させていただく根本裕幸です。どうぞ、よろしくお願いします。

意外に思われるかもしれませんが、もしかすると、案外あなたはいい母親なのかもしれないな・・・と思ってしまいました。
なぜかというと、母性が欠落していることなど、母親としての自分について、かなり考えたり、何とかしようと頑張ったりされてる姿が垣間見えるからなんです。

私もよく耳にしますが、ほんとうに機能不全な母親というものは、そういうこと自体を考えないものだと思いますから。

つまりは完璧な母親というものは誰一人いないんですよね。
私の妻も、周りの友人などを見ていても、それぞれが一人の母親として、みんな、必死に、そう、ほんとに必死に子育てをされています。

でも、その一人ひとりに「ほんと、一生懸命、必死にがんばってますよね」と言うと、一様にこう言われます。

「いやいや、私なんて、まだまだダメなところが一杯で。こんな母親で子どもに申し訳ない」と。

子どもへの愛が深ければ深いほど、完璧な母親を自分に課してしまうところがあるようなんです。

そして、あなたのように、「子どもへの愛が不十分なのではないか?自分には母性が欠落しているのではないか?」そう不安に感じ、問題として意識されるお母さんも、実に多いんです。

そこで、次はそう感じてしまう理由を考えていきましょうね。

まずは、やはり現代における価値観の変化は大きな影響をもたらしていると思います。

ここ数十年、個人の自由が声高に叫ばれるようになりました。
自分で生き方を選択でき、男女の不平等も徐々にではありますが、解消されようとしています。
そうすると、「女は結婚したら家庭に入り、子どもを育てるもの」という定義も崩れてきているのです。(特に都市部では)

そうすると、結婚しても、子どもを産んでも、なお、一人の女性として、一人の人間として、社会とのかかわりを持っていたい気持ちが強くなります。

それがいいとか悪いとかではなく、時代の流れということなんですよね。

そうすると、相対的に昔の時代よりも子どもにかける愛情、あるいは、内に秘める母性が薄くなり、「子どもよりも自分」という思い、そこまで行かなくても「子どものために人生を犠牲するのは嫌だ」という思いが強くなってきているのは確かです。

でも、それは母性が欠落しているというよりも、価値観の多様化の問題だと思うんですよね。
様々な選択肢があり、それを自由に選ぶ権利があるわけですから、相対的に母性が欠落しているように感じられても無理はありません。

むしろ、そのように感じられるあなたは実は愛情深い方なんだろうな、と思うんです。

だから、そういうお母さまにお願いするのは二つのこと。

1.いい母親になろうとしないこと。

2.気分のいい日は子どもに「大好きよ!」と言って抱きしめてあげること。

“いい母親”像はたいてい、自分の実母をベースに作られるものなのですが、自分自身の感受性や価値観、思いや考えを否定せざるを得なくなることが少なくないと思うんです。

これは子育てに限りませんが、自分本来の姿を捨てて、別の何者かになろうとすればするほど、私達は「自分」を見失います。

「自分」を見失うとどうなるでしょう?

そう、笑顔が無くなるんです。もちろん、その笑顔とは心からの笑顔です。

特に現代は情報化社会で、雑誌やネット、様々な場所に様々な情報が踊っています。
そうすると、相反する二つの情報も必ず生まれるわけです。

(子育て論でいえば、“好きなだけ抱っこして甘やかしたほうが結果的に自立が早まる”という説もあれば、逆に“子どもの自由にさせるとわがままになり、社会に適応できなくなるので甘やかしてはいけない”という説も根強くあります。)

しかし、心理面で見れば、子どもにとって、大切なことは、お母さんの笑顔なんです。
究極、自分のことをあまり相手にしてくれなかったとしても、お母さんが笑顔でいてくれたら、それだけで子どもは幸せを感じられるものなんです。

無理して頑張って笑顔を作っていても、感受性の塊である子どもは騙せません。

だから、心から笑顔になれること、それを探していただきたいんです。

また、この問題の背景には「自分の母親との比較・競争」の問題が潜んでいることも少なくありません。

あなたのお母さんはどんな母親だったでしょうか?
専業主婦で家事を完璧にこなし、申し分ないお母さんだったでしょうか?
それとも、子どもにあまり感心のない、自分の世界だけで生きているようなお母さんだったでしょうか?

お母さんを肯定していれば、あなたは、自分のお母さんのようなお母さんになろうとするでしょう。
でも、時代も違えば考え方も価値観も違います。
それがものすごく無理、負担になることが少なくなく、意識をしないところで“競争”を仕掛けてしまうことが少なくありません。
「私はお母さんみたいにうまくできない」と自分を責めることがあれば、潜在的な競争に巻き込まれてると考えていいでしょう。

お母さんのことが大好きなのはものすごく素晴らしいことなのですが、競争や比較を手放して、お母さんをいい教材として、自分らしい母親像を創り上げて行きたいところですね。
その時お母さんは、ライバルではなく、協力者になってくれるはずです。

一方、お母さんのことを否定していたとしたら、きっとあなたはお母さんを心のどこかで反面教師にしているはずです。

しかし、残念ながら、「あんな母親になんかなりたくない!」と強く思えば思うほど、心は“あんな母親”に惹かれて行く様になるんです。不思議ですけどね。

そうすると、お母さんとは真逆のことをしているように見えて、実は、全く同じ態度になってしまうこともあるんです。

やはり、機能不全だったり、十分愛してくれなかったお母さんだったとしても、そのお母さんなりの愛情を受け取ったり、お母さん自身が抱える問題に共感してあげたりすると、やがては自分オリジナルな母親像を構築できるのではないでしょうか?

どちらのケースにしても、あくまでお母さんは参考図書。
私らしさを軸にした“私なりの母親像”を築いていきましょうね。
それは“自然な笑顔が作れる私”であり、その笑顔がお子さんへの最高の贈り物になるのです。

簡単ですけれど、参考になりましたら幸いです!
ありがとうございました。

この記事を書いたカウンセラー

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