無力感の心理~何も出来ない、という“誤解”を解く~

本当に、何も出来ないのでしょうか?僕たちは生まれてから今まで、いつもどこかに「無力な私」を感じているのかもしれません。

自分には何もできないような気がしてきたり、
目の前の問題を乗り越える力が自分には無いような気がしたり、
あるいは、ありがたい話を頂いたのに受け取り切れなかったり、
僕たちの生活の中には、そんな「無力な自分」を感じさせる出来事があちこちにありますね。

今日はそんな「無力感」に関するお話をさせていただこうと思います。

実はこの無力感という気持ちは自立している心が作り出すものなんです。
子ども時代に端を発していたとしても、それを自覚するのは思春期以降、すなわち、僕たちが精神的な自立を試み始めた頃から出てくるものです。

怖いもの知らずだった子ども時代も、思春期になれば変わってしまうことがあるように、この時期は本当に僕たちにとっての転換点になります。

●無力感とは?

助けられない、守りたいけれど守れない、などの感覚を作り出すもので、力がない、何もできない、役にたてない(と感じている)自分を責めてしまうようになります。

この無力感が出てきているときには、自分が出来ることに関して何の価値も感じなかったり、今自分がしていることに何の意味も見出せなくなります。

具体的には、例えば、困っている友達を手助けしたい気持ちになったときに
「私が何かしてあげたとしても、きっと助けにはならないだろう」
と思ってみたり、今、自分が抱えている仕事について、
「この仕事は別に自分じゃなくてもいいわけだし」
と感じてしまったりするんですね。

もっと明確に、悩んでいるパートナーを助けられない自分を感じたり、見殺しにしてしまったような、見捨ててしまったような気持ちになると、より激しく自分を責め立ててしまうものかもしれません。

その気持ちがあると、その無力感を補償するように権力欲や金銭欲などが高まり「力」を求めるようになります。
直接的に武道を習い始めたりする場合もありますし、自分がスーパーヒーローになるファンタジーを描くこともあります。

●サーカスの象の物語

無力感を説明させていただくときによくお伝えする例え話を紹介します。
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サーカスにいる象の物語です。
彼はもう大人になった象で、とても大きな体をしているんですね。
力持ちで、サーカスではピエロを鼻で抱え上げたりしているんです。
でも、彼は少しでも力を入れたら抜けてしまいそうな、そんな杭に繋がれているんです。
サーカスでの酷使に耐え切れなければ、いつでも逃げ出せる、そんなちっぽけな杭なのですが、彼は決して逃げようとはしないんです。

どうしてかというと、それは彼の子ども時代に遡ります。
小象の頃、このサーカス団に連れてこられた彼は、毎日の調教が苦しくて、毎日毎日逃げ出そうと必死に暴れまわりました。
その時も今と同じ杭に繋がれていたのですが、その杭は小象が暴れるくらいでは抜けないくらい頑丈なものだったんです。
大人になれば、簡単に引っこ抜けるものであっても、小象だった彼にはとても力の及ばぬ、そんな杭だったんですね。
そして、毎日毎日暴れるんですけど、その杭は抜けず、ある時、彼はもう諦めてしまったのです。
「この杭はもう抜けない。だから、自分はもうここからは抜け出せない」

その気持ちを抱えたまま、彼は大人の象へと成長していきました。
その杭を簡単に抜けるくらいの力を得ながら。

でも、彼にとってその杭は決して抜けるものとは思えないんです。
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●無力感の形成プロセス

僕たち人間が感じる無力感もその多くは、この象の物語に例えることが出来ます。

本当かどうかはさておいて、僕たちは生まれるとき、そして、小さな子ども時代、両親を助けようと一生懸命頑張ることがあります。

家計簿を眺めながら溜め息を付いていると、小さな娘が手のひらに一円玉や十円玉をかき集めてきて「お母さん、これあげる。これで少しは楽になるでしょう?」って逸話を聞いたことがあります。

はたまた、風邪で高熱を出して寝込んでいると、小さな息子が台所を泡だらけにしています。
どうしてそんな悪さをするのか困り果てて尋ねてみると、彼は雪を作ってお母さんの熱を下げてあげようとしてたんですね。

でも、そんな健気な一生懸命さは、残念ながらお母さんやお父さんを現実に助けるには至らないことが多いんです。
そんな子どもの気持ちを受け取る余裕がお母さんにあれば別ですが、多くの場合、お母さん、お父さんにも余裕なんてないんですよね。
だから、結果的に助けようとして叱られたり、溜め息をつかれたり、口では「ありがとう」と言ってくれても実際には熱が下がらなかったり、そんな経験を僕たちはたくさんしながら成長していくんです。

その時「自分にはお母さん、お父さんを助けられないんだ」という無力感を抱えながら。

もちろん、その一方で、大人になっていく過程で、現実として助けられなかった人がいる方もいらっしゃるでしょう。

仲の良かった親友がある日突然自殺してしまったとしたら・・・
一生懸命相談に乗ってあげていた彼女が「もうあんたなんかには相談しない」と切れられてしまったとしたら・・・
自分が必死に作り上げた企画書を一刀両断にされたとしたら・・・
一生懸命尽くした彼にあっさり振られてしまったとしたら・・・

自分の無力さを痛感し、責めざるを得なくなるのではないでしょうか。

そうして僕たちの心に堆積していく無力感は、必要なときに一歩踏み出せない、怖くて逃げてしまう、寄らば大樹の陰、などの行動に反映していくようになります。

●“誤解”に気付く

僕たちが両親を助けられなかったという無力感はその後の経験で色づけされながら、大人になったときに「何もできない自分」を強く感じさせるに至ります。

でも、小象だから抜けなかった杭も大人になれば簡単に抜ける力を持つことができます。

少し前から、2,30年前に流行ったガチャガチャ(コインを入れて回すとプラスチックケースに入ったおもちゃが出てくるもの。今もありますよね?)が、30代、40代に受けているそうです。
他にも漫画やおもちゃなど、リバイバルブームなんて呼ばれながら昔のものが売れるんです。

小さい頃になけなしの100円を握り締めて必死の思いでガチャガチャを回してた子どもが大人になり、「財力」という力を手に入れたんですね。
そして、その財力に物を言わせて、ガチャガチャの機械そのものを購入するんです。
漫画本を一括購入するなんてなかなか出来ませんでしたが、大人になればできたりするんですよね。

あるいは「小さい頃はいつもポテトチップスを兄弟で分け合っていて、一度で良いから心行くまで一人でポテトチップスを食べたい」なんて思いを大人になって達成された方もいらっしゃるのではないでしょうか。

そんな風に子ども時代にはできなくても大人になれば簡単にできることが少なくありません。
あなたが大人になって手に入れたのは経済力だけではないはずですから。

だから、かつて助けられなかった人がいたとしても、今、助けられないのかどうかは分かりません。

でも、どこかで諦めてしまっていませんでしょうか。
自信を失ったままでいるのではないでしょうか。

「何も出来ないこと」に、自分の思い込みや誤解があるのかもしれない・・・。
そう思ってみることが、自分を変える、無力感を乗り越える一つのきっかけになるかもしれません。

●今、あなたが手に入れているものを見つめてみる

無力感が隠れていると、あなたが今手に入れているもの、できることに対して、価値や意味を感じられなくなります。

それはそのものを粗末に扱うだけでなく、あなた自身を粗末に扱ってしまうことを意味するのです。

あなたの日常生活を見てみましょう。
仕事、家族、パートナー、友人、家、服やアクセサリ、食べ物、雑貨、オブジェ、本、CDやMD、パソコン etc…

あなたが手にしているものを見つめてみましょう。

もちろんあなたが自分で稼ぎ、自分で買ったものばかりではないかもしれません。
今失業中だったり、離婚が成立したばかりだったり、途方もない孤独感に苛まれている最中かもしれません。

でも、それでもあなたの身の回りにあるものを見つめて見ましょう。

その一つ一つに価値を見てみましょう。
そして、そこで出てくる気持ちに気付いてみて下さい。

自分をちっぽけに扱っていたり、人生に絶望したり、諦めたりしている分だけ、何も価値が見出せなくなるものです。
そのことに気付いてみましょう。

あるいは、当たり前に存在しているものに対して、感謝の気持ちが出てくるかもしれません。
そうしたら、あなたはその感謝の気持ちを言葉にすることができます。

その感謝の気持ちの分だけ、心がすっと安らぐのを感じられるのではないでしょうか。

●“区分け”のススメ

自分が出来ること、出来ないことを“区分け”してみましょう。

できないことなんて本当にたくさんあります。
でも、出来ることもたくさんあるんじゃないでしょうか。

出来ることに関しては自分を認めてあげましょう。

出来ないことに関しては、目標にしてみましょう。
それを責める必要はないんです。
目標にし、学ぶことで、出来ないことも可能になっていきます。

出来ないことを受け入れることだけでも、あなたは少し楽になります。
出来ない自分を「許す」ことになりますから。

自分を認められないのならば、最初にそれを目標にしてみましょう。

僕たちが不安になったり、恐れを抱くのは、出来ないことを求められているように感じるからかもしれません。

出来ないことはすぐには出来ません。
焦る必要もありません。
出来ることをまずはやっていきましょう。

それが無力感を克服していく一つのプロセスになっていきます。
その時、あなたは何らかの“成功”を受け取れているのです。

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