履歴書に書きえぬ才能

例えば、寝つきがいいとか、やたら動物に好かれるとか、なんでもおいしく食べられるとか。
数値化できない、もしくは、具体的に役に立つわけじゃない、履歴書に書きえぬ才能ってありますよね。
わたしは、そんな話を聞くのが好きです。
数値化できないからこそ、よりいっそう、そのひとらしさを表している気がするからです。
(^-^)
わたしの履歴書に書きえぬ才能は、よく道を聞かれること。
スマホの普及で最近はだいぶ減りましたが、学生時代は京都という土地柄もあってか、しょっちゅう道を聞かれました。
聞いてくる相手は、家族連れからサラリーマン、お年寄り、外国の方にいたるまで性別も年齢層もばらばら。
音楽を聴きながら本を読んでいたり、乗り換えのために速足で歩いていたり、決して声をかけやすい状況じゃないはずなのに呼び止められるんですね。(^^;
そういえば、山科駅から二条駅までのほんの20分のあいだに、3組に道を聞かれた日もありました。
聞かれること自体には慣れていたものの、3組はさすがに困惑して、今日はそんなに暇そうにみえるのか?と思ったっけ…。
ちなみにこの才能は、あきらかに母からの遺伝です。
それも姉妹のうち、わたしだけに受け継がれたようです。
母とあるある話(自転車で走っていたひとが急停止して道を聞いてくる、旅行先でこっちが道に迷っているのに道を聞かれるetc)をしていたら、妹に、私はそもそも道を聞かれる機会なんてないけどなぁと首をひねられたからです。
長年、大勢のひとが行き交うなかで、何故わたしを選ぶのだろうと疑問に思っていたんですね。
本当に急いでいるときもあるし、知らないひとに急に話しかけられるとビックリするし、方向が苦手で地図がよめないから答えられないし、ちょっと煩わしいなとも感じていたのです。
そんなおり、あるコラムで「道聞かれ顔」なる言葉を知りました。
文字通りよく道を聞かれる人相のこと。
この言葉に出会ったとき、おおお!これだ!!わたしは「道聞かれ顔」だったのか!!!と妙に納得しました。
納得すると、それからは道を聞かれることが自分の「道聞かれ顔」を証明しているみたいで、楽しく感じるようになりました。
聞く側の立場に立ってみると、知らないひとに道を教えてもらうなんて緊張しますよね。
機嫌の悪そうなひと避けるだろうし、周囲から浮いた雰囲気のひとにも声をかけにくいと思います。
そう考えると「道聞かれ顔」というのは、顔立ちの如何ではなく、ある程度の親近感と信頼感を与える、話しやすい雰囲気を指すのではないでしょうか。
誰に声をかけようかキョロキョロしているときに、向こうから「道聞かれ顔」のひとが歩いてきたらホッとするかもしれません。
こっちはただ街を歩いているだけなのに、一瞬で相手にそんな印象を与えられるなんて、素敵な才能に思えてきたのです。
よく道を聞かれるひとは運のよいひとだ、という説もあるみたいですし。(笑)
さてさて。
履歴書に書きえぬ才能をお持ちのみなさん。
皆さんも、その才能がひそかにまわりに与えているものを、考えてみてはいかがでしょうか。
例えば、寝つきのよさは、家族に物音の気を遣わせないですよね。
やたら動物に好かれるひとはペットのいる家に呼びやすいし、なんでもおいしく食べられる才能は、パートナーの料理下手のコンプレックスを救っていたりして。
具体的に役に立つ才能だけが、まわりの役に立っているわけじゃないのです。
そんな小さなことって思うかも知れませんが、でも毎日積み重なったら結構な影響になるでしょう。
なにより、自分が知らないうちに世界をほんのり平和にしているなんて、愉快な想像じゃないでしょうか。
うっかり自分を見直すきっかけになったらいいなと思います。
思いつかなかったら誰かに尋ねてみてくださいね。
それこそ、話しやすい「道聞かれ顔」の誰かに。(笑)
読んでくださって、ありがとうございました。
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