言葉を覚えててよかった

『言葉を覚えててよかった』
父が笑顔でそう伝えてくれました。
私の父は聴覚言語障害者です。
音は全く聴き取る事ができません。
言葉も、父が小学生の時に、父の母にあたる祖母が付きっきりで言葉を教えていました。
祖母がまだ生きていた頃にいつも私に伝えてくれていた事です。
「あんたのお父さんが小学校のとき、いつもろうあ学校に一緒に行ってたんやで。
 そしてな、おばあちゃん学校で教えてはった事、お父さんに一生懸命教えてたんやで。」
当時の祖母も、父が小さい頃に聴力を失ってから、相当の間必死に父の教育に対して一生懸命だったのです。
父の言葉を借りると
「おばあちゃんはとっても厳しかった・・・
 言葉を覚えるまで、ちゃんとしゃべれるまで何度も何度も繰り返した・・・」
相当スパルタだったみたいです。
そして、幼かった頃の父は言葉を覚えるのが相当苦痛で辛かったそうです。
昨年、父が脳梗塞で入院をしました。
一時は回復したものの、退院間際に病院内で転び不自由ではない手を負傷し、両手が全く動かせない状況になってしまいました。
今現在も、毎月少しでも毎日介護をしている母の負担を減らすべく実家に帰って父と一緒に過ごす時間を作り側についている状態です。
そして、ある日、父の入院している病室で2人きりになった時、笑顔で私に伝えてくれた事がありました。
「お父さんな、言葉覚えてて本当によかった。
 おばあちゃんはとっても厳しかったし、覚えるのも辛かったけど。
 でも、こんな状態でもちゃんとお前と話が出来る」
と、嬉しそうに、そして饒舌に話してくれるんです。
父は、元々口話(口を使って言葉を発しそれを聴き取る事)より、手話(手でサインを作りそれをみて会話をする事)を好んでおりました。
そして、私にも強制的に覚えるようにと強く言われ、当時の私は意固地になり口話での会話しかしない、といういわゆる父に対して相当反抗していた時期もありました。
しかし、そんな父が、言葉を使って、それも嬉しそうに『話す事が出来て良かった。会話できるのがとっても嬉しい。』と何度も何度も繰り返して伝えてくれるんです。
そして、その時に病室に看護士さんがやってきました。
「中村さんの娘さんですね。
 お父さんに『痛い?』って聴きたい時ってどう手話で伝えたらいいんですか?」
と訪ねてくださったんです。
私は、知っている限りの手話を看護士さんに身振り手振り伝えていました。
その時、父は嬉しそうに、そして優しい笑顔でその姿を見ていたんです。
その時に、感じた事は『もし、お父さんが“言葉を覚えてて良かった”って嬉しそうに話している姿を祖母が見てたら今のお父さんと同じような顔でお父さんを見ていたんだろうな。』という事でした。
『おばあちゃん、良かったな、お父さん嬉しいって言ってるで。
 おばあちゃんの努力は決して無駄じゃ無かったんやで。』
と思いながら胸が熱くなるのを感じました。
一生懸命、必死に相手の為を想って心を鬼にする事もあるかもしれない。
それをされている方はたまったものではありませんし、相当厳しくする相手を避けたり、若しくは憎んだりする事もあるかもしれません。
しかし、それが数年、いや数十年経った時に『やってて良かった』と感じれる事っていっぱいあると思うんです。
そして、そこには厳しくした側にも、された側にも深い愛情があるんですよね。
心を鬼にする事、そしてその行動の裏に深い愛情が隠れていた事に気づく事、その両方ともにあるものなんです。
父の笑顔と、その笑顔を見て笑顔になっているだろう祖母の顔を思い浮かべてそう思わずにはいられない出来事でした。
皆さんにとっても、とっても辛い事やしんどいと思った中からも何か後々にやってて良かったって感じる事があるかもしれません。
かつての私が、手話を覚える事に反発しながらも、根気づよく手話で会話を徹してくれた父のおかげで、基本の手話での会話が出来るように。
そして今、父は病院でだいぶ動けるようになった手を使い看護士さんに手話を教えているそうです。
そこから、また何かのコニュニケーションの繋がりが広がっていくんだろうなと、ワクワクしている、そんな自分がいます。
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