●ばあちゃんが昔話が好きで僕を子供扱いする理由 ~100円玉2枚と50円玉2枚に込められた想い~

少し前の話になりますが、ばあちゃんが田舎から遊びに来ました。
長い間ご無沙汰していたにもかかわらず、ばあちゃんは久しぶりの再会をとても喜んでくれました。
せっかく出てきたのだから楽しんで帰ってもらおうと思い、花が好きなばあちゃんが喜ぶかと思って、かろうじて桜が残っているであろう京都にお花見に行ってきました。
嵐山という有名な観光名所に行ってきたのですが、平日にもかかわらず、人・人・人…
歩道が人であふれていて、歩くのもままならないほどの混雑でした。
それでもばあちゃんは桜に目を細め、「人が多いね~。田舎ではこんなに人が集まることはないからね~」と、その人混みまでも喜んでいるようでした。
嵐山には渡月橋という有名な橋があるのですが、橋の端から端まで人が連なるような混みようで、「足が悪いばあちゃんにはちょっと大変かな~」と思っていると、ばあちゃんが言うんです。
「私はここで待っとるけぇ、橋の向こうまで行っておいで」
って。
それはまるで小さな子に「遊んでらっしゃい」と言うような口ぶりで、「もうそんな歳でもないのにな…」と思いながらも、「せっかくそう言ってくれているんだし…」と思って1人で橋を渡り、対岸の桜を堪能してきたのでした。
戻ってきて休憩をしている時にばあちゃんと話していると、「小さい頃のよーちゃん(と呼ばれています)は…」「子供の頃田舎に遊びに来た時には…」と、話がいつの間にか昔話になるのです。
しかも、僕が覚えていないようなことでも詳細まで覚えていて、それを何度も何度も話すのです。
そして、その話をしているばあちゃんの様子が、とてもうれしそうなのです。
「花見に来ているのに、今ここで昔話をしなくてもな~…」と思いつつも、うれしそうなばあちゃんを見てると話を変えることもできず、昔話に華を咲かせていました。
そしたらばあちゃんが、小銭を取り出して僕の手に握らせて、言うんです。
「よーちゃん、ソフトクリーム好きじゃったじゃろ。これで買って来て食べなさい」
「もういい歳をした大人なのに、子供扱いだな~」と思いながらも、せっかくそう言ってくれているんだからと、ソフトクリームを買うために列に並んでいました。
列に並び、握らされた100円玉2枚と50円玉2枚を見ているうちに、昔のことが次々と思い出されてきました。
…幼稚園や小学生の頃、夏休みや冬休みにばあちゃんの家に遊びに行くのが楽しみで楽しみで仕方がなかったなぁ。
…もらったおこずかいを握りしめて、少し離れた商店までお菓子を買いにいくのがすごく楽しかったなぁ。。
…田舎のばあちゃんのでっかい家ではしゃぎまくっていても、全然怒らずにニコニコ見ててくれてたなぁ。。。
「あ~、いつもそんな笑顔があったな~」と思っているうちに、まるでパズルのピースが次々にはまっていって1つの絵や写真として見ることができるかのように、僕の中でパチンパチンパチンと何かがつながり出したのです。
握らされた2枚の100円玉と2枚の50円玉。
「橋の向こうまで行っておいで」という言葉。
人混みさえも喜んでいるその様子。

全てがばあちゃんの愛だと感じて、それがストンと心に入ってきたのです。
僕も覚えていないような昔のことの記憶の1つ1つ。
愛しているからこそ、愛したからこそ詳細まで鮮明に覚えているのだというのがわかったのです。
それが、ばあちゃんが僕を愛してくれた証の1つ1つだったのです。
会うことが少なくなってからは、その証となる思い出の数も少なくなってしまっているので、必然的に昔の話が多くなるのでしょう。
だから、今、愛を伝えようとすると、愛の証である昔話になることに気づいたのです。
ばーちゃんが昔話をして僕を子供扱いするのは、思い出という過去の時を生きていているからではなく、子供の頃と同じように、今も変わらず僕のことを愛してくれているんだというのに気づいたのです。
それに気づいてからは、胸が熱くなり、心拍数は上がってドキドキでしたが、必死で平静を装っていました。
順番が回ってきたので、汗ばんだ手で握りしめた100円玉と50円玉をお店の人に差し出してソフトクリームを受け取ると、ばあちゃんの横にちょこんと座って、おいしいおいしいと言いながらペロペロ舐めていると、ばあちゃんは、目を細めながらその様子を見ていました。
いつものあの笑顔で。
ばーちゃんと一緒に見た桜、ばーちゃんに買ってもらって食べたソフトクリーム、ばーちゃんの笑顔、そしてあの人混みまでもが、桜色の“ばあちゃんの愛”として僕の心に刻まれたのでした。

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