●当たり前な存在

先日、新年ということで妻の実家に行った帰り、風邪気味の妻を置いて深夜のタクシーで家に戻りました。
(妻の実家からは車で15分程度の距離なんです)
タクシー通りまでの道はビル風もあってほんとに寒く、ついつい小走りになってしまいます。
寒さもあって、何かしんと心に染み入る寂しさを感じます。
ちょっと懐かしいような感覚。
そういえば、理加と付き合い始めたのも冬でした。
運良く信号待ちしている空車のタクシーが見つかったので背中を丸めつつ自宅まで連れて行ってもらうことになりました。
家にはショコラ(わんこ)が待っていて、僕が帰るときゅーきゅーと鳴きながら甘えてきます。
昼からずっと放置されていたわけで、ついつい罪悪感が刺激されます。
抱き上げて「遅くなってごめんな〜」と、しばらく遊んで、遅い夕食を彼女に与えながら僕はいつもどおりパソコンを開きました。
もう夜も2時に近いというのに眠たくなくて、いろんな方からのメールや相談コーナーなどを見ながら返事を書いたり、インターネットのニュースを見たりしながら過ごしていました。
ちょっとさびしいのでテレビを点けてみるけれど、何だか耳障りですぐに消してしまいます。
その頃ショコラは所在無げにお気に入りの座布団と僕の座っているリビングの椅子のあたりをうろうろしています。
いい加減眠らなきゃいけない時間になったので「風呂は明日でいいか・・・」と思いつつベッドに入りました。
でも、なかなか眠りに付けません。
本を読んだり寝返りを打ったりしている内に、気がつけば眠ってしまっていたようで、目を覚ますとすっかり時計はお昼を回っていました。
僕も風邪気味だったので、加湿器を強めしていたせいもあるんでしょう。
窓には結露がびっしりとついていました。
「寒いんやなあ」と結露をぬぐって空を見上げると真冬の空は高く、冷たそうな風の中を雲が飛んで行きます。
脱ぎっぱなしの靴下を拾い上げながらリビングに出るとショコラは早速ばたばたと甘えに来ます。
腰を振りながら見上げてくるその目にまたも心を奪われてしまい「遅なってごめんなー」と話しかけながら彼女に朝食を与えます。
ところが、いつも妻の座っている椅子のところで奴は粗相をしてしまいました。
まるで妻の不在を責めているように。
ボーっとした頭のまま「おれ、もしかしたら風邪かもなあ」と思いつつ、最近習慣付いている朝風呂(正確には昼風呂)に入りました。
なかなか気持ちよく、冷えた体にじーんとお湯の温かさが染み渡ります。
風呂から出てケータイを見ると友達から「2時から江坂でカラオケするけど来ぃへん?」とのメールが。
時計を見るともう2時になろうかというところ。
なんだか気だるいし、ショコラと一緒にいてあげなきゃな、と思い、そのありがたいお誘いは断ってしまいました。
申し訳ないなあ、と思いながらも、頭の中ではショコラを連れての散歩をイメージしつつ。
わんこ連れでも入れるカフェで食事がしたいと思ったんですけど、なかなか無いんですよね(衛生上は当たり前だけど)。
「あの店はどうかな・・・」と何件か思いつくところはあるけれど、何だか踏ん切りがつかずに、近所に新しいドッグカフェでも出来ていないかネットをサーチすることにしたんです。
でも、やっぱり近くでも車で行かなきゃいけないところにあるので、断念。
そうこうしているうちに妻が帰ってきました。
妻は二日ほど実家に泊まっていたのでショコラとしては、3日ぶりに見る妻の顔。
キャンキャンうれしそうに吠えながら、妻の周りをまとわりついています。
結局僕の朝食兼妻の昼食は出前で済ませることになりました。
その夜、妻と久しぶり(といっても二日ぶり)に同じベッドで寝たんですが、不思議なんですよね。
じんわりと居心地のよい安らぎが体に染み込んで来るんです。
ちょうど頭のてっぺんから、足に向けてゆっくりと、ふーっと息を付くように温かい安らかなものが流れて行くような感覚。
いつも妻に「ひろゆきはベッドに入って3秒で眠っちゃうんやから・・・」とぶうぶう言われますけど、それも仕方ないやん、と思うのはきっとこの安らぎのせい。
そうして、やはり気が付かないうちに眠ってしまったようでした。
仕事というのもあるけれど、僕の癖のようなもので、パソコンを開いて今もこうしてぱちぱちとキーを打っているわけですが、今日はソファにまだ風邪気味の妻が寝ていて、床のわんこ用のベッドにはショコラが眠っています。
テレビはずっと点けっぱなしになっていて、色んなCMや番組が流れています。
加湿器は先ほどから勢い良く水蒸気をあげていて、エアコンの音も激しく動いている様子。
ついこの前はテレビの音もうるさくて耳障りだったのに、今日はそんな音のすべてが何かほっとして安らいでいるように感じられるんですね。
それはもちろん僕の気持ちが安らいでいるからなんですけどね。
カウンセリングやセラピーでは「あなたはただ存在していることに意味があるんです。
何をしなくてもあなたは役に立っているのです」という表現を使います。
なかなか自分自身には信じられないところもあるけれど、少なくとも僕はこの当たり前の状況の中でそれを改めて実感できたような気がします。
僕たちは失って初めてその存在の価値を知ることがあります。
僕も何度もそれを繰り返してきたけれど、こうした当たり前の日常の中に安らぎがあって、幸せがあり、愛する家族がいることに改めて感謝したい気持ちになりました。
根本裕幸

この記事を書いたカウンセラー

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