◇「1995年1月17日」 

年が明けて、半月あまり立ちましたが、まだ正月気分が残っている今日この
頃です。
今回、コラムの担当になって何を書こうか、と思っていたら、発行日をみた
途端、内容が一発で決まりました。
表題でもおわかりになると思いますが、あと3日で、阪神・淡路大震災から
10年が経ちます。
この10年、自分にとってどんな10年だったのか、ふと思い出してみました。
10年前の私は、心理学の「し」の字も知らない普通のサラリーマンでした。
毎日普通に会社に行き、仕事をして、終わったらデートしたり、買い物し
たり、家に帰れば風呂に入って、テレビを見てそして眠る。
そんな当たり前の毎日を、ただ何となく過ごしていた気がします。
1995年1月17日。
その日は今でも鮮明に覚えています。
というより、一生忘れませんね。
あの時の揺れ、音、恐怖、不安、目の前でみた炎、街の風景、人々の姿。
普段は全く思い出せなくても、この間の新潟地震のようにテレビで速報が
入った途端、記憶は一気によみがえってきます。
以前はそれに耐えられなくて、でも見ないと不安が膨らむので、夜中中テレ
ビを見ていたりしました。
そこから先は、まるでそれまで生きてきた人生を何十倍にも濃縮したような
人生でしたね。
急性アルコール中毒で死にかかったり、婚約破棄したり(しかも3回)、仕
事で出向したり、入院もしましたね。
でも、そう悪いことばかりでもありませんでしたね。
地震で行方不明だった友人と再会したときは、本当にうれしかったですね。
そこで羽目を外して急性アルコール中毒になったんですけどね。
他にも、無事結婚もできたし、今ではこんな仕事もしています。
仕事も10年で出向も含めて4回変わってますし、結果としてこの仕事ができ
ている自分を見たとき、案外いい10年を過ごせたんじゃないかな、なんて思っ
たりします。
そんな中で、やっぱりいちばんうれしいのが、皆さんとの出会いです。
先日、数年ぶりにカウンセラー同期で一度やめていた仲間が再びカウンセ
ラーになるべく戻ってきたんですね。
そんな彼に自分の思いを伝えようと思ったとき、たった数年のことが次から
次へと溢れてきて、涙が止まらなくなりました。
彼も泣いていて、その姿を見て大笑いできたので、ちゃんと思いを伝えるこ
とはできましたけどね。
また、クライアントさんたちとの出会いもたくさんありました。
その中で一番大変だったのは、ローカル放送のテレビ番組で夫婦のカウンセ
リングをしてくれというのがあって、「30分で癒してください!」とディレ
クターにいわれたときはさすがに「それは無理!」って思いましたね。
それでも、当時は妻と夫婦でカウンセリングをしていましたので、何とか1
時間でまとめたときは本当に大変でした。
このときの裏話なんですが、「電話カウンセリングの様子を撮りたい」とい
うことでしたので、撮影したのですが、ただふりをするのでは面白くないの
で、ディレクターの方にクライアントをお願いしたんですね。
そして、このディレクターをカウンセリングしていったらカメラマンが笑っ
てるんですよ!
ちらっとディレクターの顔を見たら、もう血の気がなくなっていて、真っ青
なんですね。
ふりだけだったのにまじめにカウンセリングしてしまってたみたいで、心の
準備をしていなかったディレクターさんは、まさかそこまでとは思ってなかっ
たみたいで「もう勘弁してください!」と泣きそうな顔でいってました。
私のいったことに相当思い当たる節があったんでしょうねぇ。
あ、普段はそこまでしませんから大丈夫ですよ。
このような仕事をしていると、人が幸せになる瞬間、人が成長する瞬間を肌
で感じることができるのがすごく楽しいんですよ。
でも、これもあの1月17日がなかったら、私はこの世界に入ろうとは思わな
かったし、あの時の経験が実際今も生きています。
私にとって、この10年で得た最高の宝物、それは、皆さんとの出会いです。
仲間のカウンセラー達もそうだし、クライアントさんたちもそうです。
今年も、今まで以上にたくさんの出会いをしていきたいな。
たとえそれが一度きりであったとしても。
まだお会いしたことのない皆さんに。
そして、いつもお会いしている皆さんに。
たくさんの仲間に。
愛する妻に。
いつの日か、みんなにお会いできるのを楽しみにしています。
感謝!

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