●こいごころ

 初めての恋、初恋っていくつの頃でしたか?
 私が初めて感じた「これが恋?」と言う感覚は、中学2年生の頃。相手は同級生で、お決まりのようにスポーツマンのいわゆる「かっこいい」タイプ。その次は、高校2年生の同級生で、数学がとてもよくできて、でも落研に所属していて、百人一首が得意。「一字取り」「二字取り」なんて言うのを教えてくれ、覚える気の無い私はよく叱られた(笑)。高校時代の彼とは、大人の目から見ると、多分「両想い」。でも、これがまたよく言う「恥ずかしがり屋さんと恥ずかしがり屋さんの恋」で、友達が撮ってくれた二人の写真もそっぽ向いて辛うじて端っこと端っこに写っているんですもん。想いを伝えることもなく、卒業してからは恩師の家にグループで行ったきり・・・友達に言わせたら「確かに良い人とは思うけど、私にはあなたの恋する気持ちはわからない」と言われたな。でも、この人が多分その後の好きな人や恋愛の、基本のラインになってるな、と思っています。
 何も特別にしないのに、なぜか人気者。頭の回転が速くて、どこか観点がユニークで、そっけない言動の割にはいつも気にかけてくれていた。いやぁ、懐かしい。今ごろ、どうしてるかな。私のこと、覚えてるかしら(笑)。
 恋心を科学的に分析した本なども読んだりするのですが、やっぱり恋は頭でなくハートで感じるもの、ですよね(^^)。あのときめき、心臓がばっくんばっくん相手にも聞こえそうなくらいの音をたてて、ふとしたことにどきどきして、すぐ真っ赤になって・・・あー恋はえーなぁーと四十過ぎた今も思います。
 誰かをひたすら想うあの素直さ、柔軟さ。そして情熱。世界を動かしているのはこんな恋心なのかもしれない、いや、そうであってほしい(笑)。銃弾や暴力や、そう言ったものではなくこんな気持ちが世界を動かしていてほしい、と思うのは私だけではないはず。そう、この間、息子たちとあのブラピの「トロイ」を観たんです!ブラピかっこえーわー、あれはただの男前やないと前から思ってたけど、とご満悦の私に呆れ顔の息子たち。
 ブラッド・ピット演ずる勇者アキレス。そう、アキレス腱の名の由来になった、あのアキレス。彼にかなうものは一人もいなく、しかも誰にこびることも無い孤独の勇者。でも彼を慕う人は多く、彼の軍隊は抜群のチームワークと能力の高さで無敵。でも女には、、、そんな人間的な最強を誇る勇者アキレス。でも、「トロイ」で描かれているアキレスは、自分が絶ってしまった命の幻影に悩まされたり、最愛の従弟の仇である王子ヘクトルを殺めた夜、その亡骸に涙する。その亡骸を敵である父王に返し、弔いのための停戦を守る。ブラッド・ピットの切ない表情に、歴史を亘る余儀なくされた殺戮の虚しさを想っていました。
ブラッド・ピット自身が言ってるんですよね、アキレスの本当の泣き所は心だったと。人間が他の動物とのもっとも大きな違いである、心。私たちが人間である由縁はこの高い精神活動なんですよね。
 話は戻りますが、私は二面性のある男性に魅力を感じます。
一見強面で鋭い眼をしているかと思えば、すごくデリケートな愛情を見せてくれたり、反対に気弱そうでいながらいざと言うときにはリーダーシップを発揮してくれたり。ずっと昔になりますが、「天使のように大胆に。悪魔のように細心に。」というCMのコピーがありました、ウィスキーの宣伝なんですけどね、確か。BGMは交響曲「驚愕」だったと記憶してます。
ふと思い出していました。
もっとも、人の心は多重の層を成しているのですけれども。でも、これが私の思っているのと反対だと、非常に大変なわけで(笑)。こまやかなところに行き渡った感性を大胆に表現する、というのには魅力を感じるけど、どうでもいいところに細かくて、デリカシーにかけるのはちょっとなぁ・・・と言う具合に。まあ、思うに、人間の多くはそういう面をもっているわけです。
女性であっても、すごく女性的な外見なのに意外に「男前」な性格だったり、男っぽい立居振舞をするのに、とてもチャーミングな心を持っていたり、そんな友人が私の周りには多いんです。
 男性の心の中には女性性が、女性の中には男性性がひそむ、と言います。
ユング心理学のアーキタイプで言う「アニマ」と「アニムス」ですね。ある本で、自分の中の異性(男性であれば女性性、女性であれば男性性ですね)と相手の中の異性とが愛し合う、というのが最も強い心の結びつきになる、とあり、なるほど!と思ったのです。
私であれば、私の中の男性性=アニムスが相手の中の女性性=アニマに恋をするんです。
恋愛とは、似ていて同感する部分と異質な部分と両方あるから惹かれもするし解らないから解ろうとする、って思います。
私の中の「男性」の部分が相手の「女性」の部分を好きになる・・・ふーん。なるほど(・・・ちょっとうつろな目(笑))。この内なる異性は自己・パートナーの成長と共に成長し続けるといいます。
 ティーンエイジャーの頃、そう、初恋は卒業した頃ですね、「男らしく」「女らしく」という言葉が大っ嫌いでしたね。物思う(!)高校生だった私は、何を持って○○らしいと言うんだ、と思っていたんですよ、ステレオタイプにはまりたくない、という感じで。まあ、今思うと、はまろうと思ってもはまれなかったはずだけど(笑)。それよりも「自分らしく」という方が、私にはぴったりくるな、と感じていました。
年月を経て、やはり三つ子の魂百まで、ではあるのですが、自分が今の自分の体を選んで生まれ生きていることを考え出してようやく女性としての自分に意識を向けるようになった気がします。
学んでゆく中で、あるいは人と向き合っていく中で、自分の女性としての感性は否定できなかったんですね。
脳の構造は解剖学的に、男女差があるのだそうです。
大きさ・重さもですが、左脳(論理的な部分を支配していると言われる)と右脳(感性や感情を支配していると言われる)をつなぐと言う脳梁が女性のほうが太いのだそう。つまり、女性の方が五感を初めとした感性と思考とが密着している、のだと。「女の勘」だとか「(女性的な)細やかな気配り」と言うのはこういったところからなんだそうですよ。もちろん個人差はあるのですけれども。
 こんなことを知るにつれ、私は自分を「女性なんやなあ」と思わざるを得なくなりました。
やっぱり男性とは違う、と思いますね、男性から女性をみた時もきっとそうなんでしょうね。男と女は似て非なる生き物、と昔の友人は言いましたが、本当にそう思います。
 恋する気持ち、というのは、「自分に似ている」「でも明らかに自分とは違う」「違うところに魅力を感じる」「でも通じるところがあるから理解し合える」文章にしてみればこんな感じかもしれないのですが、何よりも、あの「言い難い感覚」が私たちの心を占拠します。
だいたい、他の誰かが見たらそんなに魅力的とは思わないかもしれない彼や彼女を唯一の人、と思うこと自体、不思議ですよね(体験上です、はい)。でもそう感じるからこそ結びつきは強くなり、理解は深まる。そう思います。
自分自身を一番知っているはずの自分が、誰かを愛した時・愛された時、違う自分を発見する。相手の中に今まで逢った事のない彼・彼女を発見し、さらに愛しく思う。恋する気持ちを持ち続け、相手や自分を大切に思うことを続ける。「永遠の愛」「真実の愛」はそんな積み重ねなのでは、と思うのです。
でも、日常生活の中で(特に結婚年数が二桁に乗っちゃうあたり)難しいのは「恋する気持ちを持ち続けること」かもしれません。いや、きっとあるんですよね、恋心は。でも、何をいまさら・・・なんて思ってしまうのでは(これも体験上・・・)。第一恥ずかしいですよね。
でもね、恥ずかしいのは二人の間でだけです。
自分の想いが彼(夫)・彼女(妻)に知られるのって、とても恥ずかしい(照れくさい)のですが、でもじゃあなぜこの人といるの?と思ったらそこに答えは無いでしょうか。まるで洋服を着せるようにたくさんの理由が出てくることは多いと思うんですが、洋服の中身、つまり自分の心の核にはどんな感情があるのか、関心を持ってみてみませんか?恥ずかしい、照れくさいかもしれないけれど、新鮮で良いもの、とも私は思います。
核心に触れていくほど、叶えられなかった願いや夢、期待、これは相手だけにでなく自分自身へもともすれば攻撃の矢となって向けられます。
そして、あたかも夢の残骸を見るように感じてしまうこともあるかもしれません。でももしかしたら残骸ではなく、琥珀のように時をかけてはぐくまれる美しいものだってあるかもしれないのです。
だとしたら、もったいないですよね。
あなたの中に眠る琥珀のような恋心を掻き立ててくれるのは、隣にいる余りにも見慣れた人なのかもしれません。
中村  ともみ

この記事を書いたカウンセラー

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