●わかりやすさ

先日、もうすぐ小学1年生になる僕の娘が、なにか一生懸命お絵かきしたり、セロファンテープをつかったりしていました。
僕が何気に
「なに作ってるの?」
と聞いたら娘は、
「おとうちゃんにあげるからまってね」
とにっこり笑います。
僕の娘は、いつも僕に手紙をくれたり、絵を書いてくれたり、時々おもちゃのお金をくれたり(僕がまたお金にこまっているときにくれたします)、それはもう、娘からのいただき物は数限りがございません。
この間はのいただき物は、びっくりばこでした。
まさにびっくりです。
数年前は渦巻きの殴り書きの絵(お子さんのいる方ならイメージできるでしょう?)ばっかりだったのが、本当に大きくなっていくものです。
。。。
でも、大人の目から見て、娘がくれたものに、おおよそ役に立ったものはありません。
正直、やり場にこまってしまうものばかりです。
しかし!
その一つ一つは、本当に、そのときの僕をよく表してくれているものばかりだから、結構びっくりしたりするときもあります。
たとえば、先のびっくりばこ。
僕がなにか刺激的なことはないかなぁとか、たいくつだなぁと考えていたときにくれたものでした。
僕は趣味でプラモデルを作るんですが、以前に、「タイガー戦車がほしいなぁ」と思っていたときに、娘は、戦車で遊んでいる僕の絵を書いてくれました。
僕をちゃんとみているんだなぁと、本当に感心したものです。
子供は親の姿を見て育つと言いますが、そのときは、妙にその言葉に納得してしまいました。
僕や、僕の奥さんの姿をみて育つ娘はどんな女性になるんだろう・・・
その部分ではすこし遠い目に僕ら夫婦はなってしまいますが、本当に楽しみです。
と、そんなことを考えつつ、また何をくれるんだろう?と期待と不安(?)をいり混ぜながら、僕は待っていたのでした。
出来上がって、「おとうちゃん、あげる!はいっ!」と、娘がくれたのは、ちゃんと本になってある絵本なのでした。
所要時間、約2時間30分。
のぞみなら新大阪から東京までいってしまえる時間です。
ご飯を食べて、布団にはいって眠るまでの貴重な1日最後の遊びタイム・・・。
娘はその貴重な時間を、大好きなテレビアニメも見ずに、わざわざ僕にくれるもののために裂いてくれたのです。
感激しつつ、内心、「本当にそれでいいのかおまえ?」と思いながら、「ありがとう」と受け取って表紙をみると、
「おとうちゃんへ。どうぞみてください。とってもおもしろいよあははてわらうよ。」
と、覚えたての字で書かれていました。
たったその1文だけで、僕は撃沈、あははと笑ってしまいました。
中身はといえば、ディズニーのキャラクターとか、僕の好きなプラモデルの絵とかが乱舞していて、とても内容を説明できそうにないような、精神世界の研究者も真っ青のものでしたが、僕はそれがもう、可笑しくてたまらず、げらげら笑ってしまいました。
で、それを先のびっくりばこの件と照らし合わせてみると、ちょうど僕が、カウンセリングでも、もっとおもしろ可笑しく、楽しく、僕が取り組めれば、クライアントさんももっと元気になれるかもしれないなぁ。。。と考えていたときでした。
全部偶然かも知れません。
また、これも、あれこれ難しく考える僕の悪い癖の表れかもしれません。
でも、なんだか、娘にずっと見られている、見てくれているという感じがして、それもうれしいんです。
子供は僕たち夫婦にとって、本当にすばらしい「援助者」だと思えます。
しかもその援助の方法には、無用な技も恥じも衒いもありません。
すべてが正確でわかりやすいものです。
僕たち大人にも、そういった子供の時代があったはずです。
そして、素直に気持ちを表現することが、こんなにも難しくなってしまうなんて、あのころ、想像もしていなかったはずでした。
僕も、多分、これを読まれているあなたも、辛いことや苦しいこともありましたけど、あのころは、辛ければ泣くし、楽しければ、あははって笑っていたはずなんですよね。
僕は、僕の2人の娘が、それをいつも、僕に教えてくれているような気がしてならないんです。
「むずかしくしているのは、ほんとうはおとうちゃんだよね。」
娘たちの笑顔が、僕にいつもそうやって教えてくれているような、そんな気がしてならないんです。
どこかで技や恥を優先してしまって、本当の気持ちをうまく伝えれないとき。
それが、問題を大きくしてしまう原因なのかもしれません。
自分の気持ちをいかにわかりやすく相手に伝えるか。
どうせこだわるなら、技や恥ではなく、この部分にこだわってみたい。
最近の僕はそう思うわけです。
田村厚志

この記事を書いたカウンセラー

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