「その優しさは、ほんとうに“相手のため”ですか?」
優しさが自分をすり減らしてしまうとき、そこにはどんな思い込みや不安があるのか——“やめたくてもやめられない理由”をやさしく解き明かします。
「共依存」と聞くと、多くの人が、「それってアルコール依存症の家族の話でしょ?」「DVやギャンブルなど、極端なケースのことでは?」そんなふうに思われるかもしれません。
けれど実際には、もっと身近で、ごく自然な人間関係の中にこそ、共依存は潜んでいます。家庭や職場、恋愛関係、友人関係など、特別な問題があるように見えない状況でも、そこには共依存の構造が隠れていることがあるのです。
特別な問題がある人だけではなく、「誰かの役に立ちたい」「放っておけない」そんな思いから行動している“優しい人”たちの中にも、共依存は根づいていることがあります。そしてその優しさが、時に自分自身を苦しめてしまうこともあるのです。
この第1回では、そんな共依存関係の中でも、「支える側」に焦点を当てて、なぜその優しさが時に自分を苦しめてしまうのか、そして、どうすればそこから抜け出すことができるのかを考えていきます。
■ 共依存とは、“関係に依存する”こと
共依存とは、相手との関係性の中で自分の存在価値を感じ、そのつながりを保つために、自分の気持ちや限界を後回しにしてしまう状態を指します。
たとえば、こんな状態に思い当たることはないでしょうか。
・相手に頼られることが自分の役割だと感じる
・自分がいなければ相手はダメになると思ってしまう
・相手の問題に過剰に反応し、自分のことのように背負ってしまう
こうした傾向が強いとき、そこには「支えることをやめられない心理」があります。それは、単なる好意や親切心だけでは説明できない、もっと深い心のメカニズムが関係しています。
■ “優しさ”の裏にある不安
共依存に陥りやすい人の多くは、とてもやさしく、責任感があり、まじめな人です。誰かのために行動できる力を持っている一方で、こんな感覚を抱えていることがあります。
・相手に必要とされないと、不安になる
・期待に応えられない自分に、価値がないように感じる
・相手の気分や状態に振り回されることが多い
つまり、共依存とは「自分の感情や価値」を、相手との関係に預けてしまう状態とも言えます。自分の中心が、つねに「誰か」の反応や状態に左右されてしまうのです。
■ 自分を見失っていく関係
共依存が続くと、次第に「相手のために生きている」ような状態になります。自分の気持ちや欲求がわからなくなり、「これって私がやりたいことだったのかな?」と立ち止まる場面が増えてきます。
たとえば、次のような思いに心当たりはないでしょうか?
・相手の問題に首を突っ込まずにいられない
・何かを頼まれると断れず、疲れてしまう
・「私ばっかり頑張ってる」と感じる
・相手が変わらないことにイライラしている
これらはすべて、「支えることをやめられない自分」に無理がきているサインかもしれません。
■ なぜ、やめられないのか?
共依存が起きやすい背景には、過去の経験や、心の思い込みがあります。
たとえば——
・子どもの頃、「いい子」でいることで愛された
・家族の問題を自分が何とかしようとしていた
・誰かの役に立たないと、受け入れてもらえない気がしていた
こうした体験から、「誰かの役に立つことでしか、自分には価値がない」という感覚が心の奥に根づいていることがあります。そうした信念は、無意識のうちに行動のパターンをつくり、似たような関係性を繰り返してしまう原因となるのです。
そのため、大人になっても「支えること=自分の存在証明」として、つらくても手放すことができないのです。
■ その優しさを、まず自分に向ける
共依存から抜け出す第一歩は、「私は本当にこれをやりたいと思っているのか?」と立ち止まることです。
・本当は疲れている
・本当はやめたくなっている
・本当は、自分の時間がほしいと思っている
その“本音”に気づくことは、わがままでも冷たいことでもありません。むしろ、自分を大切にすることができる人だけが、相手との健全な関係を築けるのです。
支えることが悪いわけではありません。でも、その支えが「自分をすり減らしてまで」になっているなら、それはやさしさではなく、“依存”になっているかもしれません。
「私はこの人を支えることで、自分の価値を保っていないか?」
「助けることで、安心を得ようとしていないか?」
そんな問いかけを、自分自身にしてみることから、共依存の関係はほどけていきます。
次回は、“助けられる側”の心に焦点を当てていきます。共依存のもう一つの側面にある、「頼ることがやめられない理由」について、丁寧に見ていきましょう。
(続)
- “つながり”のつもりが、苦しくなるとき(1) 〜“支えること”をやめられない理由〜
- “つながり”のつもりが、苦しくなるとき(2)〜“助けられること”から離れられない心〜
- “つながり”のつもりが、苦しくなるとき(3)〜どこまでが“わたし”で、どこからが“あなた”?〜
- “つながり”のつもりが、苦しくなるとき(4)〜それでも、つながりを諦めたくないから〜