メメント・モリ~死を想い、今を生きる~

メメント・モリ(Memento mori)は、ラテン語で
「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句です。
日本語では「死を想え」「死を忘れるな」などと訳されることが
普通のようです。
先日、7月の19日。父の命日でした。


私の父は、平成12年に亡くなりました。
突然、驚く間も無いほど、あっけなく逝ってしまいました。
亡くなる数日前から夏風邪をひき、寝込んでいたことは
妹達から聞いていたのですが、7/19の朝に危篤の連絡を受けた
数時間後には、帰らぬ人となっていました。
あまりにもあっけなく逝ってしまった父。
死と言うものが、あまりにも突然訪れるのだと知りました。
去年、30代の友人が突然に倒れて亡くなりました。
友人のご主人が、行ってきますと会社へ出かけて行き
数時間後に、車の中で亡くなっていたのを発見されたという
出来事を聞いたりもしました。
死という事象は、いつかは誰にでも訪れる事象で。
命の期限は、誰にもわからないことだと想います。
それでも、あまりにもあっけなく感じるほどに
死を感じる機会が増えています。
40代を過ぎた頃から、自分の命の期限を意識しだしているのかもしれません
体力的な衰えは、イヤでも目につくこととなりました。
必要以上の不安感を持つことは無いのだけど
それでも、この死を想うことが増える経験とは・・・
ここから何を学ぶ必要があるのだろう?と、良く考えます。
私の大切な友人の一人が、いつも口にする言葉があります。
「どうしてみんな、明日の朝、当たり前に
 目が覚めると信じられるのだろう?」と、言います。
その友人は、20代の若い子達が、老後の心配をしているのを耳にすると
今の生活がそのままで40年間も続いていくのだと・・・
どうして手放しに信じられるのだろう?と、不思議なのだと言います。
リスクの管理をすることがダメなわけでなく、
刹那的に生きなさいという事でも無いのですが
来るかどうか解らない未来の不安を「今」
していることが不思議なのだと言います。
私自身も、父の死を経験してから、今生きることを大事にしよう!
そんな風に感じるようになりました。
命の期限は誰にも分からなくて、
命の期限は、30分後にやってくるかもしれない
だから、死を想い。そうして今を生きようと感じるようになりました。
今、この目の前にない事を不安に思っている間に
今、目の前に居てくれる人に感謝を送ることが出来たり
今、目の前に居てくれる人の美しさや優しさを
大いに味わうことが出来たり
今、会いたいと想う人に逢いたい気持ちを伝える事だったり・・・
逢いたかった人に逢いに行き。その時間を存分に楽しむことだったり
出来る事は、本当にたくさんあると想います。
メメント・モリ。死を想う。そうして今を生きる。
今の私は、このあり方がとても心地よくあります。
人間ですから、完璧に生きることなど出来なくて
不安や、やってしまった事への罪の意識。やらなかった事への罪の意識
色んな事を感じます。傷つけてしまったこと。傷ついたと感じたこと。
だけど、感じきってしまった後には、メメントモリを想います。
後、1週間の寿命だとしたら・・・誰に会いたいだろう?
誰に何を伝えたいだろう?誰と共に過ごしたいだろう?
それを「今すぐ」伝える。
ありがとう。ごめんね。大好きだよ。愛してる。
テレもせず、隠しもせずに・・・・想いを伝える。
今、目の前にあるものに魅了されよう。
日の光の美しさに心を奪われます。空の青さが目に飛び込んできます。
大好きな人の笑顔がソバにあります。守りたいと感じる家族が居ます。
大事な仲間が居てくれて、一緒に歩いてくれます。
時には、一緒に泣いてくれます。共に笑える人がたくさん居ます。
世界は美しいと感じます。
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