夫の子育てを見て、私が受け取った「異性の親心」

「子どもを育ててみて、はじめて親の気持ちがわかった」
そんなふうにお話してくださる方に、私は何度も出会ってきました。

子育ての日々を送る中で、みなさんもかつては想像もできなかった両親の思いがふと、心に沁み込むことはありませんか?

「あのとき、両親はどれほどの気持ちで私を見守ってくれていたのだろう」
「親の行動の裏に、深い愛が本当はあったのかもしれない」
子育てをとおして自分のものごとの見方が変わっていく。ただ時間が経ったからだけではなく、「育てる」という立場に立ったからこそ見えてくる景色があるのかもしれません。

今日はパートナーである夫の子育てを隣で見て、私が受け取った「異性の親心」について綴ります。

 

アドバイスのなかにある思い

ある日のことです。娘が夫に悩みを相談していました。そのなかで夫は真剣に話を聞きながら、
「こう考えたらいいよ」
「それなら、こうしてみたらどうか?」
と、適切なアドバイスを返していました。聞いていると、上司としては理想の答えです。

でも、娘の表情はどんどん曇っていきます。夫が席を外したすきに娘は
「お父さんって、なんで気持ちをわかってくれないの」
と、涙目でぽつりと言います。

そのとき、私は忘れかけていた父の記憶がよみがえってきました。

 

父の記憶がよみがえる

私の両親は離婚し、私は母に育ててもらいました。父との時間はとても少なく、距離も遠いままでした。だから私は長い間
「父に、私は愛されなかった」
「父にとって、私という存在に意味はなかったのだろう」
と、思っていました。

心理学を学ぶ中で、「父に会ってみることも、自分を癒す大きな一歩になる」と知り、とんでもない勇気を振り絞って再会しました。

でも当時の私は、まだ心に
「私はどうせ父に愛されていない」
「この人は、私に関心なんてない」
そんな思い込みの分厚いレンズを通して父を見ていました。

そんななか、一緒に過ごした喫茶店で私がなにかを父に質問したところ父は
「あなたは余計な言葉と行動が多い。10秒待たないといけない」
と、アドバイスしたのです。

もっともなことです。衝動性の強い私は、してしまったことを後悔する人生をどれほど送ってきたか。だから、父は本当に私をみて、私に一番大事なことを伝えてくれたのです。

でも、そもそもこじれていた私の心はもっと拗ねてふてくされて、
「どうせ私が父に会いに来たのも、余計な言葉と行動なんでしょ」
と、妄想にも似た、「やっぱり私は愛されていない」ストーリにはまり込みました。

父の言葉を素直にはとてもじゃないけれども受け取れず、悲しくて、絶望と憤りで、「会わなければよかったのかも」
ぐちゃぐちゃの気持ちになって帰宅した経験がありました。

 

不器用な愛のかたち

過去の記憶と、今、目の前で繰り広げられる夫と娘のやり取りが重なったのです。
「ああ、父も夫と、同じだったのだ」
と。

そこにあるのは間違いなく父の娘を思う気持ち。でも、ちょっと共感は苦手。ただ、父の愛は本物で、熱くて、真剣で、まっすぐで、深い。本気で娘を見て知っているからこその、娘のための幸せを祈った父親の愛の言葉でしかなかったのだと気付いたのです。

私は、父から愛されていなかったのではなかった。父から愛されていたことを、私が、受け取れなかっただけだったのです。

そして
「父に、私は愛されなかった」
「父にとって、私という存在に意味はなかったのだろう」
と思っていた私こそが、父の愛を疑い、父という存在に意味はないものにしようとしていて、愛をさぼっていたのです。

 

「かわいそうな少女」の物語を書き換える

私は長い間「父に愛されなかったかわいそうな少女」として自分を見ていました。

でも、娘を見ていて、娘も父親が大好きすぎて、そのままでは自立できなくなってしまうから、父を遠ざけなければならなかった。それほど、父と娘の強い絆を感じているんだなと感じるのです。

きっとそれは私もまた、同じ。私も父が大好きで仕方がなかった。でも、距離を取らないと生きていけない。だからこそ、父に愛されていたのに、あえて文句をつけるしかあのときはできなかったのかもしれません。

そうでなければ私はあんなにも
「本当に、私は父に愛されていたのか?」
なんて、何度も何度も人生をかけて問い続けることなどなかったはずです。

つまり私は根っからの「お父さん子」だったのです。今なら
「娘は夫にとって愛おしくて、奇跡のような存在。娘も夫が大好き。同じように、私は父にとって愛おしくて、奇跡のような存在。私もお父さんが大好き」
と、胸をはって思えます。

 

子育ての景色が変わるとき

子育ては、ときに自分自身を見つめなおす旅でもあります。親としての立場を通して「かつて子どもだった自分」が癒され、「愛されていた自分」に出会いなおすことがあります。

視点が変わると、当たり前の日々の何気ない出来事が、とんでもなく豊かなギフトに見えてくるのです。

「子育てって、本当にすごいな」
「子どもがいてくれることもまた、当たり前じゃない。奇跡なんだ」
と、深い感謝の気持ちが自然と湧き出てきます。

一人の人間として、親として、子どもに育てられる。私たちもまた、両親にとってそんな存在だった。
そう思えたとき、親子の関係はもっと自由で、もっと楽しく、豊かなものへと変わっていくのではないでしょうか。

みなさんの子育ての、なにかのお役に立てたら嬉しいです。

来週は、小川のりこカウンセラーです。
どうぞお楽しみに。

[子育て応援]赤ちゃんの頃から、思春期の子、そしてそんな子どもたちに関わる親とのお話を6名の個性豊かな女性カウンセラーが、毎週金曜日にお届けしています。
この記事を書いたカウンセラー

About Author

恋愛・夫婦・子育て・人間関係など、生きづらさや悩みを抱えたかたに、穏やかに、寄り添うことを大切にしている。「話すことのすべてを大切に聴いてもらえる安心感」がある。あらゆる人のなかにある豊かな才能・魅力に光をあて、生きる力を一緒に育む。共感力の高いカウンセラーである。