カウンセリングーサービスの山田耕治です。
いつもビジネス心理学を読んでいただきありがとうございます。
さて、私事になりますが、サラリーマンのお仕事で、2年越しのプロジェクトが先月完結しました。
時間と費用、もちろん気持ちを入れて取り組んでをきたのでとても嬉しいのですが、実は、途中、とても疲れていた自分がいたのです。
心理の学びのない昔の自分だと燃え尽きてしまい、最後まで、プロジェクトを継続できなかったかもしれません。
カウンセリングの中でも、バーンアウト、燃え尽きのお話になることがあります。
ということで、今日は、自分の過去も踏まえつつ、バーンアウトと補償行為という心理学的テーマと、プロジェクト継続に向けた心の持ちようはどんなものだったのか、少しお伝えできればと思います。
まず、補償行為とは、私たちの自分に対するマイナスな観念、ネガティブな観念を埋め合わせるために頑張ってしまう、ものなんだ、ということになると思います。
私たちは日々頑張っています。
そんな私たちの誰もが、心の中に、それほど意識していないとしても、どこか自分に対するマイナスでネガティブな思いがあるものなんだと思うのです。
そして、私たちは、そのマイナスを埋め合わせよう、また、マイナスではない、できる自分を証明しなければと、頑張りすぎてしまうようなところがあるようなのです。
そのようながんばりのことが補償行為です。
がんばるのですが、悲しいかな、マイナスは埋め合わせしても、マイナスがなくなりゼロになるだけです。
がんばってがんばってやっと、ゼロで、なかなか大きなプラスになりません。
まだまだとがんばってがんばって、それでは疲れ果ててしまいます。
それでも、またそんながんばれない自分を責めながら、また頑張り続ける私たちがいます。
とうとう動けなくなります。
それがバーンアウト、燃え尽き症候群、という状況ということです。
実は、私が今、カウンセラーになっているのも、今思えば、バーンアウトからなんだなあと思います。
私が42才の時です。
当時、次男を授かり、大変な子育て、加えて、仕事の環境も大きく変化した状況の中で、日々、頑張っていたと思います。
はりつめた日々に、頭が痛くなり、家の玄関を出るとめまいがするようになりました。
逆に一人になりたくて、最寄りの駅にあるカラオケボックスで、1時間ほど、整えてから帰ることもありました。
睡眠不足と疲れと心の辛さ。
私は会社勤めをやめました。
そして、以前より縁のあったカウンセリングサービスの母体、神戸メンタルで、本格的に心理を学ぶようになったわけです。
カウンセラーになって10年以上たった今でこそ、やっと、ずっと補償行為続けてきたんだなあ、それから、それにしても、そうやって長くよく頑張ってきたなあ、そんなふうに、ロジックではなく、心の底から思えるようになってきたと思います。
なかなか自分を見つめていくことは時間もかかり、難しいですよね。
ただ、きっぱりとお伝えしたいのは、補償行為のような苦しいやり方ではなく、本当はもっと楽にできることがあるのだということです。
そして、たとえ、同じことをしていても、心の持ちよう次第、使い方次第で、楽にできます、と確信して、お伝えできます。
また、それは、ただマイナスな観念、ネガティブな観念を、投げ捨てることではないと思います。
今ある自分もその観念のおかげで体験や獲得したこともある。
そのことからのすばらしいギフトを見つけ出すことも、できるようになります。
カウンセリングとは、その変容を生み出す、孵化させるインキュベーターのようなものかもしれませんね。
冒頭、疲れた自分がいたと書きました。
今、私の心の支え、ベースは、出会いへの感謝と貢献、というものです。
感謝と貢献という思いがカウンセリングを通じて、孵化インキュベートされたのだと思います。
同じ取り組みでも、補償行為ではなく、感謝と貢献の気持ちを持っての行為として、自らの心を選択し直すことで、疲れと心の辛さは変容していくのです。
それでも補償行為の自分は確実にいます。
なので、今日の副題は、〜補償行為との戦い〜としています。
なんだ、結局、戦ってるじゃないか。辛そう。
そうなんですよね。笑笑
本当は、〜補償行為ではなく、感謝&貢献の選択〜、としたいところなのですが、それでは、今の私には、弱い気がしてしまうのです。
どうしても、戦いという意識的な厳しさがないと、無意識の補償行為に負けてしまう自分がいるように思えてならないのです。
しょうがないですね。無意識は相当に手ごわいですからね。笑笑
私も、戦いではなく、もっと楽にできるように、学び、継続です。
誰もがまずは補償行為。
でも、辛い心を必ず成功へのプロセスにする。
繋がって、学びを孵化、醸成していきましょう。
カウンセリングご連絡お待ちしています。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。