苦手だった。でも大好きだった母のおかげで

私の実家は、自宅の1階で両親が食堂を営み2階が住居という自営業の家庭だったので、日曜祝日がお休みのサラリーマン家庭の友達のことを羨ましく思う幼少期を過ごしました。

家族(両親と兄と私)揃って旅行などに出かけるということはなかなか難しかったのですが、今でも鮮明に記憶している、私が確か10才位だった頃のある出来事の話をしたいと思います。

◆家族で出かけた楽しい時間が一転してしまった事件

結論から言うと決して良い思い出ではない、悲しいエピソードになるのですが、父が運転するマイカーで夏のある日、家族4人で鎌倉にある通称、銭洗弁天(正式には「銭洗弁財天 宇賀福神社」)に出かけたことがありました。

少し離れた駐車場に車を停め、銭洗弁財天の入口まで到着すると、岸壁に大きな口が開いた洞窟が待っています。
その洞窟に入ると薄暗い非日常の空間になっていて、ちょっとした探検気分を味わいながら前へ進んでいきます。

途中、社務所でお金を洗うザルと線香を購入し、本宮でお参りした後奥宮の「銭洗い水」で持参したお金を洗います。
そのひとつひとつの行為がとても新鮮で、金運が良くなりますように・・・と願いながらお金を洗います。

そして参拝が終わり、「楽しかったね」などと感想を言いながら駐車場に戻り、車に乗ろうとしたところで事件が起きました。
父が、「車のキーがない」という、なかなかの衝撃発言をしてきたのです。

キーがないことには家にも帰れませんから、とりあえず周辺を探してみたのですがキーは見当たらず、じゃあ引き返して通った道を探してみよう、ということになりました。
父と兄は、冷静に今出来ることをやろうという感じで、私もそれに従うのが賢明だろうなと思っていました。
それに加えて銭洗い水の辺りで何か光ったものが落ちたのを見た?ような記憶もあったので、『探しに戻れば見つかるんじゃないかな』という気持ちもあり、そこまで不安は感じていませんでした。

しかし、母だけは違っていました。
「まったく!なんでキーなんてなくしたりするわけ?!このまま見つからなかったらどうするの!!」と、落としたであろうキーを協力して探そうというよりも先に、ひどく父を責め続ける母の姿がありました。

結局キーは無事見つかり事なきを得たのですが、母の不機嫌が収まることはなく、帰りの車中はまるでお通夜のような雰囲気で、楽しかった時間が全て消えて無くなってしまったような一日になってしまいました。

◆母のことが理解出来ない、愛することを諦めていた過去

この出来事はほんの一例で、母は家族で楽しく平和に過ごそうという場面で、母の不機嫌のせいでぶち壊す、ということを何度となくやるような人でした。

例えば、たまには外食しようと外で待ち合わせをした時、駅の西口と東口で待ち合わせ場所を間違えてしまい(誰が間違ったのかは未だに謎のままですが)、今のように携帯電話もない時代でしたから落ち合うことが出来ず、母の不機嫌が数日間続いてしまってえらい目に遭ったとか、

他の場面ではたまたま母の体調が悪かったとか、虫の居所が悪かったとか、とにかく母の不機嫌は母個人の都合で起きるため、私たちにはどうすることも出来ないわけです。

そして、どこに不機嫌スイッチがあるのかも分からないので防ぎようもなく、一度そうなってしまうと手が付けられないので、家族全員が貝のように黙るしかない、ということが我が家ではよく起きていました。

このような母を間近で見ていて、
『自分の不機嫌さを出すことで皆が辛い気持ちになっていることが分からないのだろうか?』
『楽しい雰囲気を作ることより、自分の不機嫌さを出し続けることのほうがこの人にとっては大事なんだろうか?』
ということがずっと疑問でしたし、母の気持ちを理解したくても、当時は分からな過ぎて理解しようとすることも諦めていたと思います。

「こういう人なんだからしようがないよね」と自分に言い聞かせ、受け入れているフリをして、本当はほったらかしにしていたのかもしれません。

でも最近になって思うんです。
『母は、本当はどうしたかったんだろう?何が欲しかったんだろう?』と。

◆自分の生き辛さを通して、初めて母の苦しみが見えてきた

私たち人間は、不安や怖れがなく、心が安定した状態であれば他人に優しく出来るし、突発的な出来事が起きても余裕をもって対処出来たりもします。
それは、『きっと大丈夫、なんとかなる』という、自分への信頼、未来への信頼を持つことが出来ている状態と言えるかもしれません。

そう考えると、母はとても怖がりで、不安や怖れを強く感じやすい人だったのかな、と思うのです。

また、車のキーを落としたのは父であり、駅の西口と東口を間違えてしまったのは母のせいではなかったのかもしれない。
にも拘わらず、母は不機嫌になって周りの人を責める言動を取っていたことを考えると、
常日頃から『自分は間違ってしまうかもしれない。ちゃんとしなきゃ。きちんとしなきゃ。』と、緊張して自分に厳しくしていたのではないか。
だから、予定通り行かなかった場面に遭遇すると、必要以上に自分を責めていたのかもしれません。

それは裏を返すと、私たち以上に家族で過ごすことを楽しみにして、自分自身にもそれを期待していた、ということだったんじゃないだろうか。

要するに、誰よりも楽しく過ごすことを求めていたし、期待も大きかったんだと思いますが、それが何かしらの理由で期待通りに叶わなかった時、期待外れになってしまった自分自身の気持ちを立て直すことよりも、自分を責める気持ちが勝ってしまった結果、不機嫌な態度を取ることに執着してしまっていたのかもしれないな、と思うようになりました。

◆今出来ることをやってみる

母がなぜそこまで怖がりになってしまったのか、背景を知らないので分からないですし、既に亡くなってもいるので事情を聴くことも今からやり直すことも出来ませんが、それでもなにか、母のために出来ることがあるとしたら何だろう?と考えてみました。

心の世界には、時間という概念はない、と言われています。
例えば、もう何十年も前の出来事なのに、まるで昨日の出来事のように鮮明に覚えていることって、皆さんの中にもあったりしませんか?

そんな過去の出来事であっても、思い出すと未だに胸が苦しくなったり、逆に心躍るようなワクワク感が蘇ってきたりもするのは、心の世界では時間という概念がなく、それだけ自由に行ったり来たり出来る、ということなんですよね。

というわけで、当時は言ってあげられなかったけれど、今なら言ってあげられる言葉を母に伝えてみることにします。

「本当はすごく怖かったんだよね。ちゃんとしなきゃ、と思って頑張ってくれていたんだよね。」
「家族全員で出かける機会はなかなか持てなかったから、その分楽しく過ごしたいって沢山期待したんだと思うんだよね。それを自分がやってあげなきゃ!って思ってくれていたんでしょ?そんな優しい気持ちを持っていてくれたんだよね。」
「人が困っていたり、悲しい顔をしていたりすると、放っておけないところがあるお母さんだもんね。自分のことは後回しにしても、私たちを笑顔にしてあげたかったんだよね。そんな愛情深いお母さんのことを尊敬している。大好きだよ。沢山愛してくれて、本当にありがとう。」

愛しにくい態度を取るには理由があることは今でこそ理解できるようになりましたが、前述した通り私自身の未熟さ故に、長い間理解することが出来ませんでしたし、
気付いたら私も同じような酷い態度を取る人間になっていました。
母の通った生き辛い道を選ぶかのように、です。

そして、自分自身が愛しにくい態度しか取れなくなる度に、母の姿が浮かんできました。
そして、そうなってしまう気持ちが心の底から腑に落ちていきました。

◆頑固さを手放して素直さに意識を向ける

愛しにくい態度とセットになっているのが、【頑固さ】であると私は思っています。
自己嫌悪が強くなり、誰も寄せ付けないようにバリアを作り、自ら孤独になっていく。

「誰も私のことなんか分かってくれない。分かるわけがない」

絶対に愛させてなんかやるもんかという、頑なな態度です。

味方なんていないと思っている世界に住んでいるので、自分で自分を守るしかない。
しかしそれは、安心・安全とは程遠い世界に居続けること、不安や怖れと常に隣り合わせに居ること、でもありますよね。

そしてこうも思うんです。
「こんな酷い態度を取っている自分のことなんて、誰も愛してくれるはずがない」と。
母も私も、そんな世界に長いこと住んでいたように思います。

そして実は、この先に待っていることが最も怖くて恐ろしくて、受け取れないことだったんだなって思うんですけれども、それは、

「こんな愛しにくくて酷い態度を取る自分のことさえも、許して愛してくれる世界が手に入ること」でした。

幸せになりたい。愛して欲しい。
そう願い続けていたくせに、いざ私を愛そうとしてくれる人が現れると全力で逃げ出してしまったり、嫌われるような態度を取ってしまったり、とにかく自分を許すことが出来なくて大暴れしていたのが以前の私でした。

でももう観念して、先ほど母に向けたようなセリフを、今度は自分に向けてひたすら言ってあげることにしました。

もういい加減、自分を許してあげてもいいんじゃないか。自分の生きたいように生きていいんじゃないか。幸せになってもいいんじゃないか、と。

【頑固さ】を手放して【素直さ】に意識を向けること。

今はちょっとずつですが、流れに身を任せても大丈夫だし、きっと悪いことは起きないような気がするし、今の自分に出来ること、やりたいことはやるけど、出来ないこと、やりたくないことはやらない、ということも許せるようになってきています。

母が手に入れることが出来なかった、安心・安全で、味方が大勢いて、自分は愛されて幸せになれる。
そんな世界に一歩踏み出せているような気がするし、この姿を母が見ていてくれたら嬉しいな、とも思うここ最近の私なのです。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

『日常でも使える具体的なアドバイス』を提供し、お客様が気付いていない才能・魅力に光を当て、 自らが輝いていけるような、パワフルな”応援力”を備えている。 圧倒的な受容する力を持ち、心理面からの分析・アプローチと、直観力を使ったバランスが良いカウンセリングスタイルが好評。