お金に対する観念を見直してみよう

最近は税制面の優遇措置の拡大や将来不安も手伝って、投資的な資金運用が盛んになってきています。
今まで、多くの日本人が「投資」という言葉にどこかネガティブな感覚を持ってきました。
「働かざる者食うべからず」という言葉が示すように、「働いてこそ食べるに値する」といった価値観や「勤勉に働くことは美徳だ」といった価値観が我々の底流にあり、そこには“報酬”は“労働”の対価という構図があります。この構図が、長年にわたり私たちの心の中に刻み込まれてきました。

多くの場合、労働は何がしかの労力、すなわち「汗水たらす」ことと結びついています。
もう20年ぐらい前の話になりますが、マーケティングプランナー達と話をしていて、企業に何か提案を行う時には、企画の中身もさることながら、企画書のボリュームが求められるといった話がありました。
現在のように映像を手軽に使える時代ではなく、当時はプリントアウトした紙ベースの企画書が主流で、その厚みが求められるというのです。
これは、企画という形が無いものに対価を払うという感覚が未だ薄い時代で、何らかの形、すなわちボリュームで箔をつけて、それを含めて対価とするという考え方だっただと思います。当然、エビデンスとしての資料等は必要だったかと思いますが、ボリューム=形あるものには価値がある=「汗水垂らした結果」という考え方だったのではないでしょうか。
すなわち、労働の対価には何等かの形が存在するという観念です。

このような観念が私たちの心の中のどこかで生きていて、「お金=労働の対価」という考え方が根付いており、先の、どんないい企画でもボリューミーな企画書が求められるというのと同様に、お金は苦労して手に入れるものという観念に繋がっているのではないでしょうか。

そうなってくると、お金と労働、そして苦労は一つのセットとして捉えてしまうようになります。
特にお金に苦労した家庭環境で育った人は、お金は苦労のシンボルとなり、お金使わないように貯め込んだり、お金自体を嫌うようになったりすることもあります。
また、労働の対価と言う観念の強い人は、投資でお金を増やすということが、あたかも悪いことのように感じられる場合や、逆に投資にのめり込んでしまう場合があります。
お金に対する平衡感覚が狂ってしまうのですね。
例えが適切かどうかわかりませんが、子供の頃に何かを食べてアレルギーになって苦労したことがあったとしたら、その食材を嫌ったり食べなかったりするのと同じような状態です。

日本はお金や投資に対する教育が学校時代に十分にはなされて来なかったので、お金や投資に対する価値観が自分の周囲にいた人や環境の影響を強く受けます。
そうすると、偏った価値感や観念に影響を受けて、お金との良い付き合い方ができないかもしれません。

日本はこれから更に人口減少の時代に入ります。制度を変えて行かない限り社会的経費の負担が増えていきます。収入が増加することもあるでしょうが、それを上回って個人の支出が増加する時代になるのです。
かつては、勤務先が様々な側面で面倒を見てくれる時代でした。
しかし、今後の日本は更に人材が流動化し、勤務先との関係性が薄れて個人の判断で生きていく側面が増える時代になっていきます。

そんな状況ですから、自分の中にあるお金に対する観念や価値観を見直して、お金との付き合い方をより上手な付き合い方に変えていく必要があるのではないでしょうか。

この記事を書いたカウンセラー

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恋愛や夫婦間の問題、家族関係、対人関係、自己変革、ビジネスや転職、お金に関する問題などあらゆるジャンルを得意とする。 どんなご相談にも全力投球で臨み、理論的側面と感覚的側面を駆使し、また豊富な社会経験をベースとして分かりやすく優しい語り口で問題解決へと導く。日本心理学会認定心理士。