黒縁メガネの呪い

皆さんは、自分の周りの世界や人の“ありのまま”をみているでしょうか?
「もちろん!“ありのまま”を見ているにきまっているじゃないか!」と思う方もいると思います。
以前は私もそうでした。
しかし、心のことを学んでいくうちに「私は本当に物事や人を“ありのまま”に見ていたのかな?」という思いが出てきました。

私が新入社員の頃、私が所属した経理課の隣に営業課の机が並んでいました。
その営業課の課長は黒縁の四角い眼鏡をかけた30才くらいの男性でした。
営業成績が良くて部下のことも良く面倒を見ている方でした。

しかし、私はその課長が苦手でした。
課長は私からお願いする仕事内容に細かな説明を求めてきました。
新入社員だった私はまだ自分のやっている仕事に自信がなくて、いつもオドオド、しどろもどろしながら説明していました。
黒縁の四角い眼鏡の奥の目は私を冷たく睨んでいるようで、ぶっきらぼうな口調はいつも怒っているように感じました。
私はいつも「課長に何か言われるのではないか」と緊張してしまい、ミスを繰り返すようになりました。
私は「新入社員の私にあんなキツい言い方をするなんてひどい奴だ!」とか「あんなに冷たい目で見てくる課長は私を嫌っているに違いない!」と思っていましたし、「私がこんなにミスを繰り返すのは“黒縁メガネの呪い”ではないか?」と本気で思っていました。

5年ほど経ち、その課長が他県に転勤すると聞いた時、私は「もう黒縁メガネと話さなくていいんだー」と心底ホッとしました。

その後、10年ほどして私の職場にある営業社員が転勤してきました。
その営業社員は、私のところに来て「前の部署の上司から『今度、君が行く部署には南條さんという人がいてとてもしっかりしている良い子だから困ったときには助けてもらうといいよ』と言われてきました。よろしくお願いします」と声をかけてくれました。

私は「はて?その上司は誰なんだろう?」と思ってよく話を聞くと、私が新入社員の頃、私が苦手だと思っていたあの黒縁メガネの課長でした。

私は大げさではなく、本当に腰が抜けるほどビックリしました。

「え??あの課長はどう見ても私を嫌っていたよね?いつも冷たい目で私を見ていたし、いつもキツイ言い方だったよね?」と頭の中が?マークでいっぱいになりました。

そして「課長は私を嫌っていると思っていたけれど本当にそうだったのだろうか?」「私が見ていた(と思っていた)黒縁メガネの奥の目は本当に冷たいものだったのだろうか?」
と考えるようになりました。

私たちの心には“自分の心の状態を外の世界に映し出す・自分では受け入れがたい自分の感情をあたかも他人が感じているように見る”という無意識の働きがあります。

新入社員の頃の私は、上司のことを「最低な上司だ!」と責めていましたし、自分自身のことも「仕事ができないダメな奴だ」と責めていました。
それは私が感じていたことなのですが、私は自分の感情を外の世界に映し出して、あたかも課長が私に「お前はダメな奴だ」と思っていると感じていたのです。

真実は、課長は私のことを嫌っていなかったし、オロオロしながらもなんとか仕事をする私のことを認めて応援してくれていました。
課長を冷たい目で見ていたのは私で、私を攻撃していたのは課長ではなく私自身だったのです。

そのことに気づいた時、私は「あの毎日オロオロして課長を怖がっていた日々は何だったんだろう、、」とガッカリするような気持ちと「課長を冷たい人だと思っていてごめんなさい」という気持ちが出てきました。

先日、その課長が定年退職になるという話を聞いて、思い切ってメールをしてみました。
その上司は退職前の忙しい中、私に電話をくれました。
メールをくれて嬉しかったこと、同じ事務所で働いていた時の懐かしい話やお互い年齢を重ねてきて性格や(体型も!)丸くなってきたことや老眼が出てきたこと、お互いこれからの人生がより良いものになるようにしたいねという話をすることができました。

話をしているうちに、私の中から新入社員の私を応援してくれた上司への感謝の気持ちが出てきました。
そして、私の記憶の中の黒縁四角メガネの奥の冷たい目も、自分を見守ってくれている暖かい優しい目に変化していくのを感じました。

私たちは、目の前の人や物事を“ありのまま”見ているようで見えていないのかもしれません。
自分の心を見つめて「自分は何を感じているんだろう。そしてその感情が目の前の人や物事にどう影響しているんだろう」という視点を持つと、自分の取り巻く世界はまた違うものに見えてくるかもしれませんね。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

孤独感、自己否定からのうつ病を克服した経験、大手企業に勤続30年以上の経験から、自分自身との関わりや生き方、親子・友人・職場などの人間関係全般などを扱う。 気持ちに寄り添う高い共感力と地に足の着いた安心感を兼ね備える。「話をして安心できた」「気持ちが明るくなった」と好評である。