虹の橋 〜ペットロスにて〜

ペットってたくさんの幸せをくれますよね。
喜びを素直に表現してくれるし、たくさん愛させてくれて、人を癒してくれます。
パートナーや親など、相手が人だといろんな感情が出て来て愛するのが難しいこともありますが、愛らしいペットには素直に愛を表現しやすいのではないでしょうか。
可愛らしい目でじっとみつめられると、ついつい忙しくても遊んであげたりおやつをあげたりしてしまいます。

「今日は何をして喜ばせてあげよう。」
そう考えている時、心は愛でいっぱいになっています。
人は、誰かを愛しているときがもっとも気分が良いんです。

愛犬が亡くなった時、「わたしも一緒に逝きたい。」そう思いました。
喪失感に苛まれ、頭はぼーっとして何も考えられず、ただ涙があふれてくる。
歳を重ね、困難もそれなりに乗り越えてきたし、父と母を亡くしても人生にしがみつく強さを持ちあわせても、それでもやっぱりペットの死は特別に辛いものです。

一日の中で、パートナーや子供よりペットと一緒にいる時間が長いという方も多いのではないでしょうか。
最近は犬猫のペットの数だけも1,800万匹以上といわれ、人間の子供の数を上回っているそうです。それほどペットは、家族の一員となっているようです。

家に帰るとペットは喜びの舞でお迎えしてくれて、その姿を見ると笑顔になり疲れも吹っ飛びます。
誰かが自分の帰りを待っていてくれるのってうれしいですよね。自分は愛されている、必要とされていると感じられて、生きる意味を持ちます。

ペットは飼い主のことがだいすき。
なにしてくれるのかワクワクと目を輝かせて待っています。
そして飼い主は、お散歩に行ったり、遊んであげたり、特別なご褒美ご飯をあげたりしてペットを喜ばせることが簡単にできます。

「自分は誰かの喜びである。」
そう感じると、人はとってもうれしいのです。
だから、ペットのように素直にわかりやすく喜びを表現してもらえると、人は幸せを感じます。

ペットを亡くすのは辛いです。
けれど、それだけ素敵な時間をもらったということでもあるし、愛していたということですよね。
人は愛されるより、愛しているときに幸せを感じると言います。
そして、愛は使えば使うほど、減るのではなくて増えるのだそうです。

「しあわせにしてあげたい。」
わたしは愛犬のあの子を育てながらいつも考えていました。
言葉がわからない分、どうして欲しいのかわかりたくて、ひたすら観察しますよね。
何を考えているのか、何を求めているのか、元気はあるか、機嫌はいいのか。

そして手を変え品を変え、ごはんやおもちゃやお散歩コース、ブラッシングの仕方など、どうしたらうれしいのかを手探りで探します。
喜んでもらいたい。幸せにしてあげたいと、ペットに対して「愛」しかないんです。

たいせつな誰かのため、人って強くもなれるし変化していくものですよね。
わたしはあの子に責任感と強さ、そして愛する心を育ててもらいました。
愛される側から愛する側。面倒を見てもらう側から見る側へ。
あの子のおかげで成長させてもらいました。
楽しい時間もたくさんもらいました。
たくさんの学びをもらいました。
わたしのところに来てくれて本当にありがとう。
感謝と愛でいっぱいです。

「あの子にまた会えるかな。」
ペットを亡くすと考えますよね。

葬儀場で『虹の橋』という絵本を読みました。そのお話によると、
『天国に行く手前に虹の橋と呼ばれる場所があって、ペットは亡くなった後、若くて元気な体を取り戻し、みんなで楽しく遊んで暮らしながら飼い主が来るのを待っていて、そしていつかふたりは出会い天国に続く虹の橋を渡っていく。』のだそうです。

またあの子に会えることを楽しみに。
それまでは精一杯生きて、あの子の自慢の飼い主として再開したいなぁ。
そう思います。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

こじれたパートナーシップを改善するサポートを得意とする。 気さくで親しみやすいキャラクターで、クライアントの問題解決に寄り添い続ける粘り強さがある。 やわらかい雰囲気だが、鋭い感性で的確に問題の原因を探りアドバイスをもらえると支持を集める。優しさと鋭さを兼ね備えたカウンセラーである。