願えば叶う ~あなたの願いを叶えたい人がいる~

子供の頃の私は、本を読むのが好きでした。
中学生くらいの時は、少女小説的なものをよく読んでいました。

その中に、こんなフレーズがありました。

「願いは叶う。一生懸命やればきっと叶う。」

当時の私には、とてもキラキラ輝いていた言葉でした。
願いは叶うんだ!
そう信じていた私と、
そうは言ったってどうせ叶うわけない…所詮小説、作り話だもの。
そんな風に思っていた私と、
両方いました。

ただ、当時の私は、願ったところで叶うわけない、という毎日を過ごしていました。
結構卑屈な少女時代を過ごしていましたから。

幸い仲良くしてくれる友達はいましたけど、学校が楽しいというわけでもなく、いろんなことに投げやりな態度だったので、今振り返ると、周りの子の目には結構嫌な感じに映っていたのではないかな、と思います。

そんな日々を過ごしていたので、仲間外れにされたり、無視されたりなんてこともいろいろありました。

私は中学生頃から、海外にとても憧れていました。
きっと、そんな学生生活から逃避したいという思いもあったのだと今なら思います。
それと同時に、外の世界の広さに、新鮮さに、知らない世界に、輝きを感じてとても惹かれていたのも事実でした。

海外のテレビ番組を見ては、ここに行ってみたい、あそこに行ってみたい、こんなところで暮らしてみたい、あんなところで暮らしてみたい、と夢物語を語っていました。

何の自慢にもなりませんが、というか、マイナスでしかありませんが、学校での英語の成績は全然良くなかったんです。
ホントに、驚くほど悪かったんです。
でも、怖いもの知らずなのか(いえ、ただのおバカだったのだと今なら思いますが…)、海外に留学したい!と無謀なことを高校生になった私は言い出していました。

そうは言っても、留学って当時私の周りにそんな人はいませんでした。
飛行機にすら乗ったことがあるのかないのか…という状態です。
だから、はっきり言って私の中では夢物語だったんです。
口では言っているけれど、そんなことが可能なわけはない、と思っていたのが現実でした。

でも、そんなことを何か月も言い続けていたある日、母がパンフレットをいくつか持って帰ってきたのです。
それが、留学を斡旋している業者のものでした。
そんなに行きたいのなら、まずは一体どのくらいのお金がかかるのか、どんな方法があるのか、実態を知らなきゃ、ということで、何社かのパンフレットをどこかからもらってきてくれたのです。

私は…実はあの時、嬉しさもありましたが、怖ろしさ大半…でした。

え???留学って…海外だよ?わかってる?私、英語もろくにしゃべれない、どころか、学校の成績だって悪いし…お金だって…うちにそんなお金あるの?

そんなことすら、口にも出せないほどに、なんかヤバいことになった!という気分でした。

しかし、何社か説明会に参加し、夢のようなキラキラ輝いている世界の話を聞き、私の心のドキドキワクワクはどんどん大きくなってきました。

最終的に、ここなら大丈夫そうかも!というところを見つけ、私の当初の夢、留学したい、という夢が叶えられたのです。

私の人生の中で、二つ、叶った夢、という代表的なものがあるのです。
その1つが、今ご紹介した、留学したい、という思い。
もう1つは、結婚したこと。(この結婚は離婚するに至りましたが、良き想い出であり良き経験です。)

この二つの私の夢は、私が叶えた、というよりも、私じゃない人が叶えてくれたもの、と私は感じています。

自分で努力して、手に入れるものだってもちろん嬉しいですし、価値を感じますよね。

だけど、私たちはいつも何かをコントロールできるわけではないんですよね。
だからもちろん手に入らないものもたくさんある。
特に、1人では、不可能なこともたくさんある。
だけれども、誰かが力を貸してくれることも、実はたくさんあるんです。

私たちは、人生で苦労した経験が多ければ多いほど、危機管理能力が高くなってきます。
私も実は相当な怖がりで、悪いことにならないように、酷い目にあわないように、という危険回避型なのですよ。
だから、恋愛すれば、フラれないように尽くさなきゃ、というような考えがすぐ浮かびますし、仕事では怒られないように、なんてしょっちゅう頭をよぎります。
でも、その怖れを回避する方法をとっていると、結局その怖れていた出来事が起こったりする、という何とも悲しい結果になってしまうことって多々ありますよね。
ここでしている行動というのが、心理学で言われる「補償行為」。
補い埋め合わせるためにする行為、ですね。
なぜ補い埋め合わせる必要があるのか、それは、そもそも自分が自分につけている点数が低いため、「どうせフラれる」「どうせ怒られる」という前提になっているからこそ、それを回避するために、補い埋め合わせる必要が出てくるのです。

私たち人間は、怖れを感じている時には、そこには全く愛を感じていない状態だと言われています。
自分が「どうせフラれる」「どうせ怒られる」という存在に位置付けている時、相手の存在というのは、私をフル人、であり、私を怒る人、になっています。
結局良い存在ではない、嫌な人、という状態で相手を見ていることになりますね。
私にとっても相手にとっても、何も良いことが無いんです、怖れの状態、に入り込むと。

では、愛の視点から見てみるとどうなるのでしょう。

大好きな人に、美味しいものを作ってあげたい、きれいな部屋で気持ちよく過ごしてほしい、だから料理して、掃除して、喜んでくれれば嬉しいし、私自身も料理するの楽しかった、掃除して気持ちよかった。
そう思う時って、怖れは一切無く、愛の状態です。

仕事で失敗して、結局上手くいかなかった。上司からはいろいろ言われた。でも、次には上手くできるようにいろいろ教えてくれてるんだな、ほったらかしにせずよく見てくれてる、気にしてくれてる、ありがたいな、なんて思えたら、愛そのものです。

自分自身に間違った低すぎる点数をつけていると、周りもみんな私を低く見てくる、と思えてしまうので、ろくな目にあわない、と思いがちですが、自分で自分につけている点数と、周りが私につけている点数って、案外違ったりするものです。
まずは自分の本来の価値に気づく必要があります。

そして、自分の望み、本当に手に入れたいこと、手に入れたいもの、そんな望みに気づいて、その望みに自分自身が素直になる必要があります。
どうせ手に入るわけない、ではなく、
「手に入ったらこんなに嬉しい!」と想像してみてください。

それができたら、勇気を出して言葉にしてみましょう。
誰かに伝えてみましょう。

あなたが思う以上に、
あなたの願いを叶えたい、あなたを喜ばせたいと思う人が、この世界にはいるものですよ。

あとはあなたが、満面の笑みで、受け取るのみです。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

こじれたパートナーシップという自身の経験から、恋愛、夫婦関係、浮気、不倫、離婚、パートナーシップの問題を得意とする。「自分を愛する」ことで本来持っている才能魅力を開花させる。「話すと元気になれる!」「そういうことか!」など、明るく明瞭なカウンセリングスタイルが好評。